「急に具合が悪くなる」の眼差しについて。
濱口竜介監督「急に具合が悪くなる」を妻と観に行きました。とても楽しみにしていた一本。評判がいいことはなんとなく聞こえてきたけど、先入観なく見たかったから事前情報は一切いれずに、どんな映画かも知らずに観に行きました。非常に心に残るよき映画でした。
3時間16分。観る前にはその長さに少しおののき、繰り返しトイレに行って、コーヒーを絶って席につきました。でも始まったらあっという間。そして、終わった瞬間に、また観たいと思った。
ワタクシ、考えさせられる映画を観ると、誰かの書いた考察を読むことで自分の体験を言語化したり、作り手の意図を解釈したりしたくなることが多いのですがこの映画は違った。解説とかいらないや。このまま受け取って味わっていたい、そんな思いが湧いてきました。
だから、この文章も「解説」をするのではなく、「感想文」を書こうと思います。これから観る人の邪魔をしないように内容に触れず。それでも他人の感想は邪魔になってしまうと思うから、これから観る人は先を読まずにまず映画館へどうぞ。
濱口さんの映画を観ると毎回、私が受け取って暖かい気持ちになるのが世界を見つめる眼差しの優しさです。
ひとりひとりの弱さ、不格好さ、下手くそ加減。人間がつくりだすシステムの不完全さや不条理。生き物としての人間の限界。人間同士の関係の不安定さ、傷つきやすさ。言葉の限界、伝えることの限界。かくも、この世界はぐちゃぐちゃで意図通りにならないものだけど、でもそこには同時に可能性と希望と温もりがある。
この映画でも、これまでの映画でも、濱口さんの作品から僕はそんな「眼差し」を一貫して受け取っている気がします。
そこにあるのは「メッセージ」ではないんだよな。「眼差し」なんだ。
これが正義だ。こうあるべきだ。こんな社会を変えよう・・・。そうした分かりやすいメッセージがない。
「世界、社会、人間がこんな風に見えるけど、皆さんはいかがかしら?」というちょっと引いたスタンス。受け取り手である私たちの眼差しも重ねられる余白(徹底的にディテールにこだわってリアルに描かれているからこそ、かえって余白が生まれるプロの創作のすごみを感じます…)。あとはどうぞご自由に、というゆるやかさ(確固たる自信があるからできるのだろうな)。
あまり言葉にしちゃうとイマイチなのですが、この映画のなかでは「境界線」がキーワードになっているように思います。日本人とフランス人。元気なものと死にゆくもの。健常者と障がい者。スタッフと患者。マネジメントと現場スタッフ。言葉と身体。都市と辺縁部…。
その境界線をあいまいにすること。ふわりと乗り越えること。いや、そもそもそうした境界線自体が恣意的なもので、そんなものはふとしたきっかけで溶けて見えなくなって霧消したり、入れ替わったりするもの。
きっと、映画の作り手と観客というはっきりとした境界線がありそうな構造すらも見方によっては曖昧にできる、そんな思いで映画をつくっていたりして、と勝手に想像しています(私の勝手な想像)。
観に行ったのが平日の昼間だったこともあり、僕ら以外は割と高齢のお客さんばかりでした。僕らの隣に座ったおばあちゃんはカバンの中に入れたビニール袋からカサコソと飴玉かなんかを取り出して食べながら見ている。たぶん、周囲に配慮して音を立てないようにしているのだけど、それがかえってビニールのカサカサする音を際立たせている。
普段だったら、映画への没入から気を削がれ、そういう音を出す相手にいら立つところですが、なんとなく、その日は優しい気持ちでいられました。映画の中であいまいにされた境界線が、こちら側にあふれでてきたのかな、と感じながら。
濱口監督、たしか僕より少し年上だったよなと思って調べたらなんと、1978年生まれ。同い年かーーー。同い年でこれだけのものを作って生み出せる存在に軽い嫉妬と悔しさを感じつつ(←まだこういう感情が僕の中にあったんだ!)、同世代の作り手がこんなに希望に満ちた眼差しでものをつくり、それが世界に評価されていることそのものに、大いなる心強さを感じております。
3年前に「ドライブ・マイ・カー」について書いた文章もおおむね、同じようなことを書いてました。
「ドライブ・アワ・カー」

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