本当に大切なことは、言葉にならない。
私、サーフィンが好きです。学生の頃からだからこの夏でサーフィンをはじめて丸27年…(すご!)。まあ、いっこうにうまくならないのですがそれでも好きなものは好き。あまりに好きだし、自分にとってあまりに当たり前だから言葉にしてこなかったのですが・・・。
今日の夕方の波乗りの時間が心地良すぎた。なので、たまにはサーフィンの話。
台風6号のウネリが昨日から僕らのエリアに届き始めました。そうするとサーファーたちはみんなソワソワ。僕も、台風がやってくるときは、仕事の合間に波乗りではなく、波乗りの合間に仕事をする、という逆転モードに・・・(なんだかスンマセン)。
ウネリの向きと強さ、風の向きと強さ、潮位…。
いろんな条件が重ならないといい波は立たない。自然条件は刻々と変化するので、僕らが住んでいるエリアでは「いい波」の時間帯がとても限られています。その時間に合わせて予定と体力を調整して、何とか海に向かおうとする。台風の季節はもう何年もこんな暮らしです。
今日も夕方に打ち合わせと事務作業が終わったので、いつもの海にいくと、いつものメンバー三々五々、集まってきておりまして。波を見てあーだこーだ。そこまで「いい波」でもないけど、やろうか、やるまいかと相談したり、「いいからやろうぜ」とせっせとボードの準備をしている。
僕は朝一番に1回、海に入っているのでちょっと疲れていて今日はもういいかな・・・、という感じ。そんな僕を捕まえて、親しい先輩から「つかちゃん、行くよ。ほらあそこ良い感じじゃん」と背中を押されて「はーい」と海に向かう。
「先輩」なんて言葉、もはやここでしか使わない。地元の、昔ながらの関係性。学年が上か下かがけっこう大事なやつ。どこの小学校か、中学校か、みたいな話題がいまだにでてくる関係。
「地元」とか「先輩」とか「仲間」とか・・・。一見すると毛嫌いされそうな田舎のコミュニティ感丸出しなのだけど、これがとっても心地いい。ふるきよき、海の関係性が、好き。
みんな、仕事もバックグラウンドもばらばら。小学校のころからの同級生もいれば、数々の伝説を抱えた「地元の大先輩」もいるし、十代の子もいれば、70代の大先輩もいる。
この場で私は「原っぱ大学ガクチョー」ではなくて、いつまで経っても下っ端のサーファー。僕の仕事が「原っぱ大学」だってことはみんな知っているけど、そんなことは誰も気にしない。いつまで経ってもただの「つかちゃん」。たぶん、僕が「塚越」なのか「塚本」なのか「塚田」なのか、知らない人もいると思う。そんなことはどうでもよくて、どこまで行っても僕はただの「つかちゃん」。
気の置けない仲間たちといつもの場所で海に入って、台風の影響で少しずつ大きくなってくる波と戯れる。しかも、そんなかっこいいものではなくて、波に蹂躙されたり、一生懸命漕いでも波に乗れずに惨めな気持ちを味わったり、波を待ちながらどうでもいい世間話をしたり。
ちょっとずつ暗くなってきて、潮が満ちて波がなくなってきたら、誰ともなく海からあがって、二言三言、言葉を交わす。今日の波はあーだったこーだった、と。明日の波はどうだろうね、と。で、あっという間にそれぞれの家にバラバラと帰っていく。
なんてことない、そんなよくある夏の始まりの一日。
波が特段よかったわけじゃないし、上手なサーフィンができたわけじゃないし、天気が良くてきれいな夕日を見られたわけでもない。そこそこの波、どんよりと重い雲、しとしと降る雨。大して気持ちいい時間じゃないはずなのだけどあー楽しかった、と思いながら、バイクにまたがって家に帰ってきました。
僕がサーフィンしても、誰の役に立つわけでもない。
僕のサーフィンは人に自慢できるほど上手なわけでもない。
生産性は圧倒的にゼロ。
それでも、好きだなーと思って海に足が向かって、同じようにただ好きだから海に集まる人たちと時間を共有して遊べぶ。そしてそこには利害関係が一切ない。この自由さが溜まらないんだよな。この何気ない時間が、ワタクシにとっては宝物でございます、と改めて思うのです。
タイトル通り、言葉ではなかなか説明しきれなかったけどね、いいんですそれで。言葉で説明しきれないけど「好き」といえるものが、場所が、仲間があることに感謝。

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