誰もが「最適解」にたどり着ける社会で。
先日のフィールドでの写真。お気に入りの1枚。なんてことない汚い板の画像なのだけど、よーく見てください。書いてある文字を読んでください。「こっそりみるところ」(鏡文字、横文字は御愛嬌)。

まんなかの丸い穴をよく見ると…。きゃー!覗いてる!

これ、子どもたちと増改築を数年越しに繰り返している小屋というか秘密基地というかの壁面。
壁は隙間だらけで、「こっそり見る」必要なんて全然ない場所。そして、たぶん、この文字は本来、家の内側にむけられるはずだっただろうに、施工を誤って、外壁側に記載されてしまった模様。ぜんぜん「こっそり」じゃない。

この家にはパソコンもあるの。

ロボットもいるの。

「アレクサ」だっている(あわくさじゃないよ!)。

思いつくままに、その場のノリと勢いで、身体が導くままに、雑然とした家が出来上がっていく。だれも全体のトータルコーディネートなんて考えない。統率なんてしない。それぞれが、それぞれの発想で個別最適の積み重ねで家ができていく。
ああ、美しい。
岡本太郎先生はたしか、「子どもたちは皆、天才だ」みたいなことを語ったという記憶があるけど、まさにだね。
ちょっと前のアメリカのこととしてこんな記事を読みました↓
米名門大の秀才を襲う就職難 8000社玉砕、コンピューター専攻で悲劇
最近の日本のできごととしてこんな記事も流れてきました↓
「就活なんてチョロい」中堅大から大手マスコミ5社内定。AIに自己分析から面接の台本まで丸投げした22歳の告白
アメリカの方が少し先の未来。日本はほんの少し手前、という感じ。
でも、もはや時間の問題で…。例えば就職活動というフェーズにおいては応募する側も、評価する側もAIを使うことが当たり前になるんだろうな(たぶん、来年には)。そして、例えば受験だったり、仕事の提案資料だったり、行政向けの書類だったり、そういうものもAIで描き、AIが確認する、ということがあまりに当たり前な社会がすぐにくる。
誰だってAIを通せば「最適解」にたどり着ける社会。
「最適解」のアウトプットが社会にあふれる社会。
特に工夫や努力しなくても「最適解」が数秒で手に入る社会。
「最適解」を提出する側も評価する側もAIが行う社会。
今の日本では、AIを使える人と使えない人のギャップがあるから、上の記事のように上手に使っているとちょっと先行して得点できる状況があると思う。でもそんな隙間をついたハックは通用しない社会がすぐにやってきて、誰だって容易に似たような「解」を手にすることができるようになる(たぶん)。
「最適解」がありふれたコモディティになった社会において、何が希少になるんでしょうかね。
いろいろ浮かぶけど、そのひとつが、合理性のかけらもないような子どもたちの在り方そのものだな、と思うのです。
最適かどうか、
役に立つかどうか、
お金が儲かるかどうか、
他人に評価されるかどうか…
そういう分かりやすい評価軸と一切無縁に、面白いから、やってみたいから、気になるから、なんとなく作ってしまったアウトプット。その尊さよ。その美しさよ。その、自然と評価軸の外側にある在り方やアウトプットそのものこそが圧倒的に希少だと思うのです。
この感性を保ったまま人は大人になれるのかしら?
YESと思いたい。そして私たち大人の内側にも、昔、自分が小さかった頃の彼らのような無邪気な非合理性がまだ眠っていると信じたい。そういう原体験みたいなものが必要な世の中がやってきているんだよ。しかも、もうすぐそこに。
だからだから、原っぱで遊ぼうぜ!大人も、子どもも。
・・・でね、白状しますが、今回のコラムのタイトルはAIと議論して導いたんですよ。タイトルの「最適化」を誤ると読んでもらえないわけで…。読んでもらえないと寂しいわけで…。本文にはAIをこれっぽっちも使っていないけど、タイトルはAIと共に「最適解」を探したことをここに告白します。ちーん。

All photos by Misa Mine
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