自分の心の鍵を開けることについて。

私たちの会社では毎朝、6時から定例のオンライン会議を開いております。新入社員のケイちゃんが入社したことをきっかけに、決まったオフィスを持たない私たちが業務の確認やタスクの整理をするために始めました。最近はそうした具体的な確認だけでなく「私たちの事業のコアな価値は何なのか」といった大きな命題を話す時間が長くなっております。そんな会議で出た話題が「自分の心のカギを開けること」についてです。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2023.10.17
誰でも

私たちの会社では毎朝、6時から定例のオンライン会議を開いております。新入社員のケイちゃんが入社したことをきっかけに、決まったオフィスを持たない私たちが業務の確認やタスクの整理をするために始めました。最近はそうした具体的な確認だけでなく「私たちの事業のコアな価値は何なのか」といった大きな命題を話す時間が長くなっております(朝からなかなか深い内容…)。そんな会議で出た話題が「自分の心のカギを開けること」についてです。

みなさんは自分の心に扉はありますか?その扉に鍵はついていますか?鍵穴がどこにあるかわかりますか?扉を開け閉めする鍵を自分で持っていますか?

「心の鍵」。

我が社に入社して5カ月の新入社員ケイちゃん(43歳・男性)が表現した言葉です。

ケイちゃんによると、彼は自分の心の扉は基本的に閉めて、鍵をかけて生きてきたそうです。扉の奥にある自分の「感情」が感じられない・見えない状態。「今どんな気持ち?」「どんな感情が湧いてきた?」と問われても、厚い扉が閉まり、鍵がかかっているから見えない。分からない。そもそも、扉が閉まっていること、自分で閉めてきたことすら、意識してこなかったから、その向こうに自分の「感情」や「深い願い」が潜んでいることすら知らずにいた。

HARAPPA株式会社にケイちゃんが入社して5カ月。最近は私たちとの関りのなかで気づいたら鍵穴に鍵が差し込まれ、扉が開いていることがあるそうです。でもまた閉まる。自分で開けたいけど、自分一人だとなかなか開けられない。開けられるタイミングは非常に限定的。そんな感じの状況にあると、朝6時の定例会議で教えてくれました。

そんなケイちゃん、ワタシから見ていると、機械のように感情が感じられない人間かというと決してそうではなく。優しさがあふれ、子どもたちはすぐに心をひらく、暖かい人柄なのであります。

だから、おそらくここでいう扉の向こうに仕舞われているものはきっとケイちゃん自身の感情。怒りとか恐れとかそういう一見「ネガティブ」に見え否定したくなるような感情や自分の弱さや脆さに直結する感情、それらとつながる深い願い。きっとそれらを扉の奥深くにしまい込み、他者の気持ちに寄り添い、他者のために生きる、そんな生き方をしてきたのかもしれません(あたくしの想像)。

外側から見たケイちゃんは非常にバランスの取れた人間味あふれる存在。かたや誰も見ることのできないケイちゃん自身の心の扉の内側では、もっと自分の声を聞いてー、感情に目を向けてー!という自分自身の声が渦巻いているのかもしれません(これもあたくしの想像)。

さて、ワタクシ自身の場合。もう少しややこしいかもしれません。

原っぱ大学の「ガクチョー」という仕事をしておりますし、基本的に扉は開け放たれているように見られがちです。ええ、日々は基本的には開いているのです。ただ、私の場合には非常に堅牢なオートロックシステムを常備しておりまして。そこは触れてほしくない、という領域がいくつかあるんです。その領域のボタンを押されると一斉にシャットダウンします。扉は、閉まります。鍵がかかります。

そして見ないようにする。嵐の過ぎ去るのを待つ。臆病なヤドカリのように。そう、オートマチック・ヤドカリ・システム(AYS)であります…。あまりに自動で発動するし、普段は閉まっていないようにみえるからややこしいのであります。

ケイちゃんのいう「心の扉と鍵」とは、結局、何なのでしょうか。

私自身の感覚、解釈に照らして言葉にしてみると、それは自分自身の内側にあるドロドロしたもの。感情や願い。傷つきやすい心そのもの。そうした混然一体とした心のコアみたいなものを守るために自ら設置するのが心の扉と鍵、なのかなと思うのです。

あまりに生々しく、傷つきやすいから、守る必要がある大切なもの。

扉と鍵はそんな弱く傷つきやすい自分自身の大切な部分を守ってくれるから、私たちが生きていくうえで必要なものなのだと思います。その扉の存在自体は決して批判されるものではない、はず。

…なのだけれど、この扉が閉まり続けていると自分の本当の願い、感情を無視し続けることになり、結果として他者と根本でつながり切れないのだと思うのです(当社比)。

そして、往々にして、扉と鍵は開けてみると恐れいてた恐怖の現象は起きない。案外大した問題ではない。開けてみると新しい世界が見える、そんなことばかりです(これも当社比)。

自分が心に扉をもっていること、鍵をかけていることを知ること、認識することもひとつ勇気がいること。ましてそれを開けるのは生半可なことではないのだけど、そんな風にちょっとずつ自由に、身軽になれたらなと思うのであります。私たちHARAPPA株式会社が生み出す場は、心の扉の存在を尊重し感謝しつつ、鍵を気軽に開け閉めできる場であれたらなと思うのであります。

ヤドカリさん、ヤドカリさん、世界はそんなに怖いところじゃないよ。殻から出てきてごらんなさい。(と、自分に言い聞かせてみる日々です)

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