新入社員が入ってシャチョーが気づいたこと。

先日のこと、わが社(HARAPPA株式会社)に新入社員が入社しました。ケイちゃん(43歳・男性)。創業パートナーの志村と、業務委託・アルバイトの皆さんとチームを作ってきて、久しく「新入社員」が入ったことがなかったたため、ケイちゃんとのやり取りは非常に新鮮で気づきがたくさんあります。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2023.05.30
誰でも

先日のこと、わが社(HARAPPA株式会社)に新入社員が入社しました。ケイちゃん(43歳・男性)。創業パートナーの志村と、業務委託・アルバイトの皆さんとチームを作ってきて、久しく「新入社員」が入ったことがなかったたため、ケイちゃんとのやり取りは非常に新鮮で気づきがたくさんあります。

当社創業以来の「入社式」の模様はこちら↓

ケイちゃんは新卒から20年、エンジニアとして一つの会社で働いてきました。そんな彼からすると、我らの原っぱ的な働き方はひとつひとつが新鮮らしいです。メールの書き方、顧客対応、クライアントとのやり取り、時間の使い方…。私たちが創業以来、約8年間、意識的・無意識的に築いてきたお作法のひとつひとつ、大切にしていることひとつひとつがケイちゃんの経験してきた環境とあまりに違い、驚きがあるそうです。

入社して約10日たった昨日のミーティングでケイちゃんが言いました。「新しい働き方は新鮮だけど、全体が見えないことがストレス。ゴールだったり、何のためにやっているのかを明確に把握したい」

ぐうの音が出ないほど、まっとうな言葉。そりゃそうだ。

しかし、ワタクシ、このときに目が白黒してしまいました。「全体って何だろう…??」

ケイちゃん曰く、プロジェクトのゴールや意図や役割や位置づけやらにあいまいな状態が無い明確ななかで、プロジェクトを推進したいと(至ってまっとう)。

かたや、ワタクシはある程度、検討をつけてから、ゴールを明確にしすぎず、えいっと踏み出し、迷子になりながら進むのが好き(行き当たりばったりとも言います)。

正確にいうと、「好き」と思っていることすら言葉にして把握したことがなく、私自身の行動パターンとして、なんとなくそういう感じだったのですが、このミーティングでの対話の中で、「ガクチョは迷子が好きだよね?」と経営パートナーの志村に言われて、おお、確かに…。と思ったのであります。

迷子が、好きです。

先が見えちゃうとつまらなくなります。迷子になって、先が見えない中進んで、ピースがはまっていって、結果オーライにする・なる、ってのが好きなのです。ケイちゃんのいう「全体」は私も見えていない気がする…。

ちなみにもっと正確に表現すると、先が見えなすぎるとそれはそれで不安なので、薄明りで手触りのある小さな一歩を重ねていくのが好きであります(面倒くさい)。

ビジネスマンとしてそれはどうなのか。ワタクシ一応、シャチョーをやっておりますゆえ、シャチョーとしてそれはどうなのかと。その突っ込みは甘んじて受けます。

ただ、好きか嫌いかでいうと、先が見えてゴールが明確で、という状態よりも先がぼんやりしてこの先どうなるかちょっとわけが分からなくて、道に迷いながら(行き当たりばったりで)進んでいく、ということのほうがワクワクするのでございます。

そしてそして、「ワクワク」がそこにないと、まったくもって動き出さないから我ながら困ったものです…。

そして「誰もがその感じにワクワクするはずだ」と心のどこかで思っておりました。ええ、非常に自分中心の目線なのであります。

毎度シェアしているHARAPPA株式会社の6つの眼差しの5つ目にこんなことが書いてありました。

「俯瞰」と書いて「せいじゅく」と読む。
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鳥の目になって「他者と自分」「他者と他者」の間合いを眺めること。
自分を尊重しながら、自分を特別視しない。
自分も、他者も、この広大な世を構成するひとつの要素に過ぎないと知ること。
自分の衝動と、他者への想像と共感を深めると、 成熟の景色が立ち現れます。
--------------

なんか素晴らしいことが書いてある…。俯瞰することは成熟なり。もはやワタクシ自身への戒めですね。どうしても自分が中心で、自分と同じ見方や感じ方を相手もしていると思ってしまう。そんな私たちが、自分も含めて相対化して眺める「鳥の目」をもてたら。自分も one of them だと、世界を構成する部分なのだと実感をもてたら、お互いの理解がぐんと深まる。

自分の言葉で語り、自分の内側の衝動を感じ、自分を大切にしながらも、自分を特別視しない。自分が特別、自分の目線が当たり前、自分が正しい、そんな風に思ってしまう自分を手放していく、手放し続ける、これが成熟でありますな。なかなか難しいけど。

みんなちがって、みんないい。

ケイちゃんのニーズとワタクシのニーズ。もちろん違う。ケイちゃんとワタクシの立場ももちろん違う。積み重ねてきた経験も違う。これ、別に40代のおじさん同士だけではなく、親子、夫婦、友達同士、誰とでも起こること、起きまくっていることですな。そして言葉にしていないから、その違いの存在に気づきもしない。

言葉にして、指差し確認。それが一番、大事。

そしてわが社はどうしていくことにしたかというと「対話を重ねる」ということに相成りました。お互いの癖、お互いの好み、お互いの思考パターンを理解し、違いを分かったうえで、どうしても抜けてしまいがち、ズレてしまいがちな点にアラームを出して、率直に聞く。対話する、会話する、これを重ねていく。

これまた、あまりにも当たり前のことなのですが。でも、きっと大切なことは当たり前の中にあるし、繰り返すけど言葉にして指差し確認するのは大切なのであります。

レッツ指差し確認!

ちなみに左がワタクシ(シャチョー)です。右のほうがシャチョーっぽい・・・

ちなみに左がワタクシ(シャチョー)です。右のほうがシャチョーっぽい・・・

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