それでも、人間が書く理由。

世の中のテキストにだいぶAIによる生成物が増えてきたなと感じます。今はまだ、なんとなく直観でAIが書いたものと人間が書いたものを見分けられる気がします。ただ、それが分からなくなる日もそんな遠くなさそうです。
塚越暁 2026.02.10
誰でも

世の中のテキストにだいぶAIによる生成物が増えてきたなと感じます。今はまだ、なんとなく直観でAIが書いたものと人間が書いたものを見分けられる気がします。ただ、それが分からなくなる日もそんな遠くなさそうです。

それでも、私は人間が書く、ということにこだわっています。

AIと一緒に文章を作る場を立ち上げてみた

このコラムは基本的にアイディア、構成、表現の一切をAIに頼っていません。いっとき、文字表現の添削をAIに聞いていたこともあったのですが、それもやめました。読みづらくてもよい。伝わりづらくてもよい。論理構成が破綻してもよい。

むしろ、そうしたことも含めて、そのときの私の内側から出てきた言葉として、書き、記録していくことが(私にとって)意味があると考えています。

一方でワタクシ、ひっそりと新しいオウンドメディアを立ち上げました。こちらではAIと共に書く、ということを積極的に実践しています。

名づけて、AIBOU LAB

AIBOUは「相棒」という日本語とAI Business Orchestration Laboratory の略とのダブルミーニング。私や私の周囲のスモールビジネスを営むインディペントな仲間たちがAIを相棒として活用し尽くしている事例を記事にして発信していくちょっとマニアックな内容のメディアとする予定です。

特にこだわっているのはすべての記事を英語と日本語のバイリンガルで作成することとAIフレンドリーなサイト構成にして、AIに探してもらいやすく作っていることです。

日本に住む私たちは言葉の影響でどうしても国内に事例が閉じがち。私たちと似たような非エンジニアかつ、小規模事業の経営者でAI活用を進めている仲間と国境を越えてつながる目的で立ち上げました。(ちなみにこのサイトや記事づくりのプロセスもすべてAIと一緒にバイブコーディングで作成しました)

AIと一緒に文章をつくると20分で仕上がる

AIBOU LABの記事づくりプロセスは下記を定型化して実装しています。

  • 私がメモ帳に乱雑なアイディアを書きなぐる。構造や構成は無視して思いつくままに。

  • AIがそのメモを読み込み文章のコアなメッセージと大まかな構成を作成する

  • さらに、AIは構成をより深くするために私に質問を投げかける(具体例や詳細表現など)

  • 私はその質問に答える

  • AIは1-4の要素と、私の過去150本のコラムの文章表現とサイトの目的を読み込んで具体的な文章を生成する

  • 私はその文章を添削。表現をチューニング

  • 「翻訳者」のAIが自然な英語表現に意訳8. AIが本番環境に日・英の記事を反映

僕の場合、人間だけで書くこのコラムの記事はだいたい2時間ぐらいかかります。アイディアを考える時間も含めるともっとかかることもある。でもAIBOU LABの記事はアイディアの書き出しからアップロードまで20分ぐらいから、長くても45分程度。

圧倒的なスピードで思考が言語化します。その文章は非常に論理的で視点が明確。そしてちょっとだけ僕の表現のエッセンスが組み込まれている。

正直、読み手にとってはAIと僕の共同作業の文章と、人間の手でつくった文章とその違いはもはや気にならないレベルかもしれません(僕はもちろん気が付くし、文章のプロもすぐに気が付くレベルだとは思います)。

だったらもはや人間が書く必要はないでしょ。

…という結論には至りませんでした。

人間だけの文章はもはや「アート」の領域なのかも

私はこのコラムはAIフリーで書き続けたいと考えています。

その最大の理由は、ひとりで書くことが自分の思考の深掘りであり、感じていることや考えていることを言語化して取り出すトレーニングであり、その瞬間の思考を結晶化する営みだからです。

このコラムはは毎週1回、火曜日に書く、と決めています。当然、何を書くか全く思いつかないときもあるし、混沌としていて整理がつかないときもある。そこから文章を抽出する作業はしんどいし、効率悪いし、嫌になるのだけれども…。

でもそうやってひねり出したその時の自分の「思考の結晶」は内面で血肉となるし、後から見返すと過去の自分との対話になるし、自分の思考の変遷の振り返りにもなります。もちろん、それはこのくどくどとした文章を読んでくださる皆さんがいるからこその営みでもあります。

SNSに投げるライトな文章や、AIとの共同作業でつくる文章は手を動かしてウンウン言いながら書くという作業と根本に違うわけです。それらの文章を書く軽さと、自分で書くことの重さや負担が体験の質として全く異質だということを実感しております。

感覚としては(ちょっと高尚にすぎるかもしれないけど)、絵描きが絵を描くとか、陶芸家が壺をつくるとか、彫刻家が像を削りだすという営みに近い気がします。もしかして、2026年時点で、人間が文章を書く、ということはそういうアートとか工芸とか言った領域になりつつあるのかも、なんて思いました。

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