こんな大人に、なりたかったんだ。

高円寺にある小さなライブハウスJIROKICHI。30人も入ると満席。50人入るとギュウギュウ…、という。線路わきの古いビルの地下にある小さな隠れ家。学生~20代の半ばごろまで通っていた場所。先日、久しぶりに妻と遊びに行きました。
塚越暁 2026.02.17
誰でも

高円寺にある小さなライブハウスJIROKICHI。30人も入ると満席。50人入るとギュウギュウ…、という。中央線の線路わきの古いビルの地下にある小さな隠れ家。学生~20代の半ばごろまで通っていた場所。先日、久しぶりに妻と遊びに行きました。

変わらない高円寺の町並みにほっとしつつ、狭い入口から階段を下りていくと、店の中も25年前と全く変わらっていない。天井に書かれた海外ミュージシャンのサインも、ピアノも、テーブルも、当時のまま。心地よく、タイムスリップ。

ステージなんか無くて、演者さんと客席の境界線も曖昧。

演奏が始まる直前に演者さんは客席の間をちょっと失礼…、という感じで前に出いてく。大きなホールの「これからライブがはじまるぞーー」という高揚感もいいけど、JIROKICHIのなんとなくゆるゆると演奏が始まる感じがすごく好き。

演奏している方々は日本のトップミュージシャンばかりなのだけど、JIROKICHIに立つときはなんかリラックスして、演奏そのものを楽しんでいるのが伝わってくる。立場とか役割とかをどこかに置いてきて、ただ演奏を楽しむ時間。そのゆるやかな楽しさを交換する時間。しばしの夢のような時間。

その日のミュージシャンたちは僕が学生の頃によく演奏を聴いていた方々でした。

皆さん、僕と同じようにきっちり25歳分年を取っていて、60代、70代…。でも冷静になって計算すると、25年前の当時、皆さんは今の僕と同じぐらいか、それよりも若かったわけで…、四半世紀っていうときの流れには本当にびっくりさせられます。

目をつぶって、身体を軽く揺らせて、彼らがゆるやかに即興を交えながら演奏する音に身を任せていると当時の記憶が浮かんできます。そうだった、僕はこの人たちに憧れていたんだった。こんな風に年を重ねたい、って強く思っていた記憶がよみがえりました。

楽しそうに満足げに肩の力を抜いて演奏しているおじさんたちがそれはそれはかっこよくて。笑い合いながら目配せしながら繰り出される音がまた最高で。そのとき、その瞬間だけの演奏。ミュージシャンとして生きていくのは多分、一筋縄ではなくて、皆さんそれぞれに苦労を重ねているのが伝わってきつつ、でも、音を出していること自体が最高に楽しそうで…。

自分もそうありたい。ミュージシャンじゃなくていいから、そんな大人になりたい、とおぼろげに思ったものでした。

JIROKICHIのマスターは“ジロマス”と呼ばれていた荒井誠さん。僕も妻も、とても仲良くしてもらっていたおじさんで、僕らは彼を「アボ」って呼んで慕っていました。ゴツゴツした手と握手をすると「あきらー、よく来てくれたなー」と笑いながら声をかけてくれて。アボも僕が憧れている人で、お父さんみたいな人で、年の離れた友達みたいな人でした。2011年、東日本大震災のあった春に亡くなったから、亡くなってからもう15年だ。

亡くなった年の春に、街を歩いていた時に風に乗ってアボの声が聞こえた気がしたことがありました。「あきらー、好きにやればいいんだよ」とその声ははっきりと僕に伝えてくれました。

25年経って、おじさんになった僕がJIROKICHIで演奏を聴きながら、当時のまま、気持ち良く楽しく、そして目の前でゆるやかに演奏をするおじさんたちに、同じ憧れを抱きました。こんな風に年を重ねたい。そんな人生の先輩たちに出会えるありがたさよ。

たぶん、僕が原っぱ大学を続けていることの要因のひとつに、原風景としてのJIROKICHIがあるのだと思います。場の力。集う人の力。帰ってくる場所…。そんな場に若い時に出会えた幸運に感謝しかない。そして自分もそんな場ををつくりたいという思いが、自分の中にあり続けるんだな。

ありがとう、アボ。

JIROKICHIはふらっと遊びに行っても最高に楽しく、気持ちいい場所。ぜひ行ってみてください。

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