手書きで文章を書いてみる。

先日、妻と話していたときに彼女はがぜん手書き派だという話になりました。そういえばいつごろからか、手書きで文字を書く習慣がなくなっていたや。試しに手書きでこの文章を書いてみる実験です。
最初はボールペンで書いた。消せない。バックスペースが使えないと文章が思い浮かばなくなるのか。不思議。
えんぴつで書くことにした。えんぴつ削りがないから、カッターで削る。PCを閉じた。 作家さんになった気分。
字がへたくそだ。力を入れて書くとつかれるから軽くえんぴつをにぎるからなおさら。
ずいぶんと漢字を忘れている。そのことにびっくりする。そして、文章に入れたい 「情報」になかなかたどりつかない。 言葉が頭とではなく身存と結びついている感じがする。

実は今、普段のPCの入力を音声入力に変えようと色々試しています。ただ、音声とタイピングとで脳の使い方が異なる気がしていて、音声から文章を作るのがどうにも不慣れで難しい。
たぶん、使うツールによって脳の活性化される部位が異なるのでしょうね。知らんけど。
手書きの文章は目の前と向き合うことなんだな。あとから振り返って構成を直すなんて相当な手間。だから全体構成のイメージとか気にせず思いつくままに文字を置くことになるのね。
即興性。
書いている自分としてはこの感じは嫌いじゃないです。読んでくださる方々にとって耐えうる文章かは…別問題。

「身体性」。その言葉を発することは容易なんだけど、実際、これは手間ですな。「意味」とか「効果」とかを求めると割に合わない。
だから、実験。←「実験」って良い言葉。
だんだん手書きがなじんできました。人生の前半はPCなんて使っていないもんね。 ちゃんと身体が憶えているのだ。
そうそう、「言葉」と「意味」と言えば。 この週末に港区のとある小学校にイベントで呼ばれました。大量のダンボールを材料に「村」をつくるというイベント。もう10年以上、原っぱ大学でやっているお家芸です。
家はもちろん、車だったり、トイレだったり、動物だったり、戦車だったり、テーブルだったり。色んなものを大人、子どもが混ざりあって好きに作る。ダンボール、ガムテープ、ダンボールカッターとマジックで。

僕のこれまでの経験では、このイベントは大人も子どもも、誰でも創造的にものを生み出せる。それは多数のダンボールという「雑」な素材のチカラ。
今回もいろんなものができた。10年前の子も、港区の子も、鹿児島の子も根元は変わらない。でも、今回ふと気付いたことがあるんです。
作ったものに「言葉」がそえてある。
家の出口に「でぐち」。猫の背中に「せなか」。サッカースタジアムに「スタジアム」。それは見れば分かるし、みなまで申さんでいい、と思ってしまう私は古い人間か。
世界を言葉でとらえているのか。いや、人間はだれしもそうだと思うけど、言葉で説明しなくていい世界、できない世界もありますよ。

ということを言葉をつむぎながら考える矛盾よ。
だんだん左の肩甲骨が痛くなってきた。えんぴつは右手でもっているのに。不思議だ。手書きの文章をさらすのは非常にはずかしいけど、これをOCRで読みとってご認識だけ修正して投稿します。

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