幸せを願う祈りは、時空を超えるのか。

昨年の11月ごろに「お参り」のすごさについて書きました。それ以来、朝と夕にご先祖様に向かって手をあわせる、ということが習慣になっております。そんな習慣からふと湧いた思い付きが今日のお題。精神世界っぽい雰囲気のタイトルですが最新物理学の話です。たぶん。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2025.05.20
誰でも

昨年の11月ごろに「お参り」のすごさについて書きました。それ以来、朝と夕にご先祖様に向かって手をあわせる、ということが習慣になっております。そんな習慣からふと湧いた思い付きが今日のお題。精神世界っぽい雰囲気のタイトルですが最新物理学の話です。たぶん。

お参り。友人の森重君に教えてもらい半年ほど続けている習慣です。

何かというと、毎日、ご先祖様に向けて手を合わせるということ。そしてそのときに、ご先祖様に感謝し、ご先祖様の幸せをお祈りするということ(自分や家族の幸せを願うのではない、というところがポイント)。たったそれだけのことなのだけど…。これが本当に素晴らしくて、皆さんもぜひやってみてほしいのです。

詳しくは以前の記事を読んでいただきたいのですが、自分の存在の有り難さとちっぽけさを同時にかんじられるのです。そして、それが故に、今の自分の役割を全うしたい、という思いが溢れてくるのであります。

ここから、本日は次第に飛躍して参ります。

過去も現在も未来も、同時に存在している!?

今朝のこと。いつもの通りご先祖様に向かってご先祖様の「幸せ」をお祈りしていました。ふと感じたのが、このお祈りが極楽にいるご先祖様に届くのではなく、時空を超えてこの世に存在していたころのご先祖さまに届くのではないか、という気持ちになったのであります。

話が逸れますが、皆さん、スタジオジブリの「思い出のマーニー」は観たことがありますか?ワタクシ、数年前に金曜ロードショーで見てえらく感動したのであります。ネタバレ的になるので詳述はしませぬが、こちら、時空を超えたご先祖様との癒しの物語に私にはみえまして、非常に印象に残っている作品です。宮崎駿監督作品ではないですが、おすすめです。

閑話休題。とにかくふと思ったのです。

もしかして時間は過去から未来へ一方向に流れるのではなく、過去も現在も未来も同時に存在しているのではないか。もしそうだとしたら私がご先祖様の「幸せ」を祈ることは過ぎた過去を生きているはずのご先祖様にも届くのではないか。さらには未来の子孫たちの幸せを祈ったらそれも届くのではないか、と思ったのであります。

一見、荒唐無稽なアイディアですが、気になったので生成AIに聞きました(最近はググる、頻度が確実に減っております…)。

私:

“時間というものが一方通行に過去から未来に進むのではなく、同時に過去も未来も現在も存在している、みたいな考え方ってあるのかな?”

ChatGPT:

“そういう考え方はありますよ。特に物理学や哲学の分野で議論されていて、「ブロック宇宙論」と呼ばれる概念がその一例です。この考え方では、時間は一本の流れではなく、過去・現在・未来がすべて同時に存在する「時空のブロック」として捉えられます。つまり、私たちはそのブロックの中を主観的な感覚で「流れている」ように感じているだけ、という見方です。”

相対性理論をべ―スにした世界観「ブロック宇宙論」

ブロック宇宙論!初めて聞いた!

私の理解によると・・・。

怪しい考えではなくて、アインシュタインの特殊相対性理論に端を発した、物理学的には割とまっとうな時間に関する理論だそうです。ブロック宇宙論は過去、未来、現在の出来事が4次元の座標に静的にプロットされているのだそうです。ちょうど、平面の地図に座標がプロットされているようなものだそうです。

映写機のフィルムのように私たちは連続してそれを体験した気になっている、主観的な体験をしているように感じているだけなのだそうです。

めちゃくちゃ面白かった&ChatGPTのハルシネーションだとよくないと思ったのでgoogleのgeminiにディープリサーチしてもらいました。これがまたよくできた文章だったので番外編としてnoteに公開しました。興味ある人はぜひこちらを!

長い文章を読むのが面倒な方に向けて、うえの文章をnotebooklmの音声対話にしてみました↓

ブロック宇宙論は物理学の世界では一定、指示を得ているそうですが、大いに議論になっている観点が「自由意志」との兼ね合いだそうです。つまり未来がすでに存在しているのであれば私たちは「自由意志」をもっていないではないか、ということ。自由意志はどこに存在するのか、ということが議論になるのだそうです。すべてはすでに決まっている、となると生きる意味ってどこにあるんだっけ?と絶望しがちだ、という話ですね。

沢庵和尚が悟ったブロック宇宙論と自由意志

ここで思い出したのが私のバイブル、井上雄彦さんの漫画「バガボンド」の沢庵和尚の印象的なセリフです。沢庵和尚が悩みに悩んだ末、気づいたこと。

「お前の生きる道は これまでもこれから先も 天によって完ぺきに決まっていて それが故に完全に自由だ」

沢庵和尚はめちゃくちゃ「ブロック宇宙論」の肯定派!!そして、その決定論的世界においても「自由意志」はもてる、と閃いているのであります。さすが和尚!gemini君にこのことを投げてみました。

gemini:
“この言葉は、一見すると矛盾しているように聞こえますが、ブロック宇宙論の視点で見ると深い意味を持ちます。

「天によって完ぺきに決まっていて」:
これは、時空のブロックの中にすべての事象が既に存在している、というブロック宇宙論の考え方に対応します。あなたの過去から未来までの人生の全てが、まるで宇宙という巨大な書物に記されているかのように、最初から「決まっている」というニュアンスです。

「それが故に完全に自由だ」:
ここが重要なポイントです。もし全ての道筋が「決まっている」とすれば、私たちはその中で「選択する」という行為をどのように捉えるのか? 沢庵和尚の言葉は、その「決まっている」道筋の中に、あなたの自由な選択と行動そのものが含まれている、と示唆しています。

つまり、あなたの選択が、外部からの強制ではなく、あなた自身の内面から湧き出る意思と行動によってなされる限り、それは「自由」であると。その自由な選択の結果が、まさに「決まっている」道筋の一部を形成しているのです。”

時空を超えて祈りはご先祖様に届く、かもしれない

ええっと、今日は何の話だっけ…。

ああそうだ、過去、現在、未来は直線上ではなく同時に存在している可能性があるのではないか、と思ったのだった。そして、同時に存在しているのであれば、私がご先祖様の「幸せ」を思ってお祈りすることで、過去を生きるご先祖様の幸せにつながる可能性がある、と思ったのだった。

そのことをChatGPTに聞いてみました。

ChatGPT:
“ブロック宇宙論そのものでは、時間は固定された時空の中で一続きになっているので、基本的にはその中で並行する別のブロック宇宙が干渉し合うという概念は含まれていません。ブロック宇宙論は主に一つの時空全体を固定的な構造としてとらえる理論だからです。”

とのこと。つまり、ご先祖様への祈りは届かない…。

続いてgeminiに聞いてみました。ちょっと長いけどそのまま引用。

gemini:
“通常の時間観念では「過去は過ぎ去ったもの」なので、現在の祈りが過去に影響を与えるとは考えにくいですが、ブロック宇宙論では可能性の扉が開かれます。

ブロック宇宙論では、過去・現在・未来がすべて同時に、静的な時空のブロックの中に存在しています。これは、まるで巨大な映画のフィルムが最初から最後まで完成しているようなイメージです。私たちが「今」見ているコマは、そのフィルムの一部に過ぎず、過去のコマも未来のコマも、すべて「そこに存在している」のです。

この考え方を前提とすると、現在の「祈り」が過去のご先祖様に影響を与える可能性は、少なくとも理論上は以下のように解釈できます。

「祈り」もブロックの一部として存在する:
あなたの「今」の祈りも、時空のブロックの中の特定の時点に存在する一つのイベントです。そして、その祈りがご先祖様の時点に何らかの形で「結びついている」と考える余地があります。

非時間的な相互作用:
通常の時間観念では、原因は常に結果に先行します。しかし、ブロック宇宙では時間が線形に流れるというより、すべての事象が時空上に配置されていると考えられます。このため、現在の祈りが、過去の時点にあるご先祖様の幸福や平安に、非時間的な、あるいは時空を超えた形で影響を与える可能性が考えられます。
これは、因果関係が時間軸に沿って一方通行であるという通常の理解を超えた発想です。まるで、時空のブロックの中に存在する複数の点が、時間の前後関係に関わらず、ある種の共鳴や相互作用を起こすかのように。

情報としての影響:
「影響を与える」とは具体的にどういうことか、という問いには様々な答えがあり得ます。例えば、現在のあなたの祈りが、過去のその瞬間に存在しているご先祖様の「状態」や「経験」の一部として、情報的に、あるいは意識のレベルで組み込まれる、といった解釈も可能です。これは、まるでタイムカプセルが未来から過去へメッセージを送るような、しかしより抽象的な影響です。”

映画「インターステラー」の世界だ!ワクワクするわ。

そしてgemini君は優秀でバランスがとれているので最後にこう付け加えました↓

“注意点
ただし、これはあくまでブロック宇宙論という枠組みでの理論的な可能性であり、科学的に実証されているわけではありません。また、「影響を与える」という具体的なメカニズムは、現在の物理学では説明が難しい部分です。”

なんか結局、AIとの対話の話になってしまいました。こういうどこにもたどり着かない思索の相手としてAIは本当に楽しいな。生成AIは個人の内側に貯めてどこにも出所のなかった妄想やイマジネーションを具現化してくれるツールだ、と誰かがどこかで書いていました。まさにそうだな。

先日の原っぱ大学こども学部の活動で訪れた逗子の小さな公園。僕が子どもの頃遊んでいたのとたぶん、全く同じ雲梯で遊ぶ原っぱ大学の子どもたち。時空がねじれたぜ。

先日の原っぱ大学こども学部の活動で訪れた逗子の小さな公園。僕が子どもの頃遊んでいたのとたぶん、全く同じ雲梯で遊ぶ原っぱ大学の子どもたち。時空がねじれたぜ。

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