泥に、まみれろ。
泥に、まみれろ。比喩としての表現ではなくて。大人も子どもも一度、全力で、ドロドロの泥にまみれてみたらいいのに、という提言でございます。泥は世界中、皆様の足元に、いくらでもありますから。
ワタクシ、気づいたら泥をかぶり続けることはや10年。10年前も今も変わらず、泥をまとって遊んでいます。とはいえ、泥をかぶるのは普通に億劫です。スイッチが入ってしまうと楽しいのだけも…、それまでは汚れるのが面倒だし、不快だし、片付けが大変だし、できることなら、泥んこになりたくないな…、という感じているのであります。
それでもなぜかどこかでスイッチが入ると、暴走する。全身が泥で覆われる。服もズボンも泥になる。鼻も耳も口も目も泥で覆われる。

左が2015年、右が2025年。醸し出す雰囲気が10年分オジサンになっております。
泥をかぶるのに、理由はいらない。
それは何のために?
何の意味があるの?
と聞かれますが…、まあ正直、よくわかりません。そこに泥があるから、、、。
必然性はゼロ。圧倒的にゼロ。それでも泥に吸い寄せられていく。
サラサラの土でもいいのだけど、やっぱり楽しいのは水を混ぜた粘り気のあるやつ。ねちょねちょとかきまぜたチョコレートシェイクみたいな泥。きっかけはどうでもいい。おそるおそるでも、いやいやでも。それでもねちょねちょ触っていると、触っている者同士が何だか友達みたいな感覚になる。仲間になる。
泥の友達、どろとも。
どろともは年齢差を超える。立場の上下なんて瞬間に吹き飛ぶ。どろに一緒に触れあっているだけで、深い信頼関係で結ばれるの。
だまされたと思って、やってみてください。泥をこねるだけでよろし。全身じゃなくていい。手のひらだけでいい。ねちょねちょ、ねちょ。
気持ち悪いんだけど、気持ちいい。
不快なんだけど、心地いい。
汚いんだけど、美しい。
何だか詩的な感覚。イッツァ泥ワールド。
手の平から半歩だけ進んで、洋服だったりズボンだったりを汚してしまったらもうこちらのもの。最初はちょっととまどいがあるの。お気に入りの服が汚れて残念な気分になるし、後片付けのことを思って萎えるし…。でもね、ほんの半歩、境界線を踏み越えて、洋服に泥がついてしまったらこっちのもの。あとは、なし崩し。

このあと、この子が世紀の大発見をしたかのように叫びます。「チョコバナナ!」。言い得て妙。素晴らしい。
ただ泥をぶつけ合う新競技「ドロッチボール」。
ドロッチボール。今年の原っぱ大学で生まれた造語です。
みんなで泥をぶつけ合う。それだけ。ルールはひとつ。顔を狙うのはやめよう。
これが最高に楽しいの。べちゃべちゃ泥を投げ合う。あたり一面、ぐちゃぐちゃでつるつる滑る。沼もある。そこに突っ込んだり、滑って転んだり、などなどアクシデントがおきまくるなかで泥を投げ合う。ただそれだけ。
不思議とケンカなんておきない。みんな誰がどのぐらいまで泥を許容するか肌で感じて、暗黙の了解の中で泥と戯れる。顔面まで泥んこになってOKな子。なるべく泥だらけになりたくない子。ほんとは泥んこになりたいけどちょっと様子を見ている子。大人も子どもも、言葉で確認しあったわけではないけど、お互いの温度感が共有されていて、一定のかすかな秩序のなかで泥の交換が行われ続ける。
勝敗もない、制限時間もない。

小4男子の腹の底から沸き起こる「たのしいーー!」。
何が楽しいの?と聞かれるとよく説明できないのです。でも、楽しい。
原っぱ大学に小さいころから通っている小学4年生のT君。忖度無用なお年頃。つまらないときはつまらないと全力で表現する子。そんな彼がたっぷり全身を泥でコーティングされながら腹の底から沸き起こってきたような大きなひとこと。
「たのしいーーーー!」。
これが泥の魔力。
いろんなことを斜めに見るお年頃、小学4年生。泥遊びなんて卒業かもしれないお年頃。そんな彼からあふれ出た「たのしいーーーーーーー!」。最高でしょ。それ以上に意味とか理由とかいらないのです。

顔が全部泥。
大人の皆さま、この沸き起こるような震えるような、説明を超越した衝動的な喜び、最近味わっています?快と不快のごちゃまぜの体験。言葉を超越する時間。なかなかないでしょう?
泥に、まみれてみましょうぜ。新しい世界が開けるから。「何のために?」なんて野暮な疑問は脇に置いておいて。汚くて、きつくて、くさい(泥は結構独特なにおいがします)泥の世界。
レッツ3K!
泥遊びは村上龍さんの理解を超越した営み。
そうそう、泥遊びの専門家としてのちょっとした自慢がひとつ。
昨年のこと、逗子の尊敬する仲間で、ティーカフェチェーン「ゴンチャ」の日本法人の代表を勤めている角田淳さんがあの「カンブリア宮殿」に取材されることになって。社長の休日の過ごし方、として原っぱ大学に遊びに来るシーンが撮影されたんです。
淳さんはさすがの社長、躊躇なく、思い切り泥んこになっておりまして、そのシーンが「カンブリア宮殿」でこれでもか、と放映されたんです。スタジオにはもちろん、村上龍さんと小池栄子さん。村上龍さんがスタジオで淳さんに質問しました。「泥んこになって楽しいの?」。淳さんが「楽しいいですね!」と笑顔で即答すると、村上龍さんは首をかしげながら「俺にはわかんねぇな―…」。
最高でしょう。世界の村上龍の理解を超越した営み。「限りなく透明に近いブルー」をはじめ、様々な衝撃的な作品表現で社会を切り開いた村上龍(私は大学時代、『愛と幻想のファシズム』が好きでした)。そんな村上龍さんが「分からない」営み。最高の栄誉なのでございます。
皆様も理解を超越した営みに身をさらしに、原っぱ大学に遊びに来てくださいませ。

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