「助けてほしい」が言えなくて...夏。
先週のこちらのメルマガで「全自動自己否定システム」と「予断を許さない状況」の話を書いたところ、たくさんの方々から「大丈夫かー!?」のお声がけをいただきました。ありがとうございます。「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」。
賞味、緊張感が高い状態というのはメルマガを書くネタに事欠かず、悪くないのであります。
ということで、前回に引き続きピンチ状態の自分をモニタリングしていこうと思います。ものごとはまったく余談を許さない&緊張感は高いのですが…。なんというか、今は自分の状況・精神的なコンディションを客観的に眺める余裕があります。そして思考回路が回っている。どうすればいいのか考え続けている。そして、ほんの少しのきっかけで人に相談したり、話を持ち掛けたりしている。そうすると少しずつ状況が動いていく。
これ、私にとってすごく新鮮な感覚なんです。なんせ、ピンチになると「穴モード」に入ってシャットダウン・思考停止するという自分の大きな癖があったからです(前回参照)。
で、今は何が違うのかというと、「助けてほしい」が言えるということ。そんな頼れる仲間たちが周囲にいる実感があるということ。
数年前のコロナ禍の夏。減りゆく会社のお金を見て見ぬふりをしていて(←これが悪い)、ふと気づいたら会社のお金がほぼ無くなっており、にっちもさっちもいかなくなっていました。その瞬間、穴モードに入りまして、フリーズ。「助けてほしい」とも言えなければ、自分で動くこともできず、まさに瀕死状態でしたが、創業パートナーの志村が気合と明るさをくれたこと、たくさんたくさんの会員の皆さんや関係者の皆さんに勇気を出して「助けてほしいです」と伝えられたことで、本当にたくさんのご支援をいただき、その時、会社は存続しました。
その時に「助けてほしい」の大切さを学んだはずでした。ただ、あれから数年、その言葉を何度も忘れたり、言わずに済ませようとし続けてきたと思います。そのたびに穴に潜り込んでいた私。
でもね、今回は、何か違うのです。
前を見ながら、「助けてほしい」と言える自分がいる。そばにいる仲間に、久しぶりの友人に、経営者仲間に、はじめて会った人に。
また別の日に、お世話になっているグローバルコーチングの代表の本多喜久雄さんが焚火を囲みながら言いました。「『HELP!』と声を出すことはコミュニティに貢献することになるんだ。だってみんな助けたいじゃん。自分が助けられること、役に立てることを探しているじゃん。だからみんな『HELP!』って言い合おう」と。
善人ぶるわけじゃないですが、私も「人を助ける」ことは大好きです。誰かの「役に立っている」実感が大好きです。たぶん、それが嬉しくて仕事をしているし、生きている気がする。
でも不思議と、自分の「助けてほしい」はなかなか言い出せなかったんですよね。
なぜだろう?「いやいや、私は大丈夫だから」という思い。助けてもらうことは恥ずかしいこと、人に手間をかけることは申し訳ないこと、という思いがどこかにあったのかもしれない。あるいは自分は助なんてなくても生きて行ける、という奢りがあったのかもしれない。
そもそも、自分が「助けてほしい」状況だっていうことに気づいてもいなかったのかもしれない。人が助けてくれない、と思い込んでいたのかもしれない。
でも、本当にそんなことはなくて。私たちはお互いに助け合って生きている。必要なときは助けてって言い合える世の中を生きているんだな。
そして自分の経験から思うのだけど、追い詰められて、どうしようもなくなってからの、地の底から振り絞るような「た、たすけ、て…」だとなかなか助けられることが少なくなってしまうようです。だから、明るさがあるうちに、ポジティブさがあるうちに、冷静な自分がいるうちに、早め早めの「HELP!」ってすごく大切だなと思います(でももちろんね、地の底からの助けてだって時にはありだと思います)。
「助けてほしい」が言える、夏がやってきます。私からHELPコールが行ったらぜひ助けてください!私も、HELPコールをいただいたら喜んで助けに飛んでいきます。まじで。絶対。
先日の原っぱ大学 こども学部のひとコマ。大きな落ち枝で長縄。当たると痛い。なんという発明…(本文とあまり関係なし)。思えば子どもたちはライトに「助けて」を連発しますな。ある意味素晴らしい。そのお手軽「助けて!」を我ら大人も見習わねばです。
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