全自動型自己否定システムの効用。

白状します。ワタクシ、ここのところ、ちょっとぼんやりしていました。原っぱ大学のリニューアルがひと段落したのと、最高に良作のゲームにはまっていました。ちょっとぼーっとして、景色がスローに流れていく日が続いていたのですが…。ここ数日でまたモードが変わりました。そのモードの移行は「自己否定」から始まったというお話。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.06.04
誰でも

白状します。ワタクシ、ここのところ、ちょっとぼんやりしていました。原っぱ大学のリニューアルがひと段落したのと、最高に良作のゲームにはまっていました。ちょっとぼーっとして、景色がスローに流れていく日が続いていたのですが…。ここ数日でまたモードが変わりました。そのモードの移行は「自己否定」から始まったというお話。

数日前のこと、会社の中長期の数字を触っていました。そうするとまったくもって予断を許さない状況だということが分かったのであります。いや、僕らの規模の会社で、楽観的であれる状況なんてそもそもないはずなのですが、やはり改めて状況は厳しい、ということがドスンとハラにきたのであります。

ここでワタクシ、いつもの癖で全自動で「自己否定モード」が発動しました。

本当はもっと早く気付いて手を打てたんじゃないのか、とか。そういう過ちを繰り返すからお前はダメなシャチョーなんだ、とか。だからシャチョーに向いていないんだよ、とか。ぼんやりしている場合じゃねーんだよ、とか。まあひどい、セルフ暴言。

全自動型自己否定システム(Automatic Self-Denial System。通称ASDS)と名付けましょう(←私の思い付きです)。この強力なシステムがなかなかしつこく、激しく、ワタクシの過去のメルマガでもこれ系の話題が非常に多いと改めて思います。

痛いし疲れるんですよ。自動で沸き起こる自分に向けたネガティブワードとそれに伴ってキリキリ痛い身体のあちこち。そしてもう、なんでもかんでも投げ出したくなるのであります。ぽーい。

ちなみに、いつものアタクシですと、このあとは「穴モード」(自己防衛)に入ります。ふかーい穴。穴の中に入って外界を遮断し、我が身を守る。何から守っているかというとたぶん、自分自身の攻撃なわけで。攻撃してくるのは自分自身なので、穴に入ってもあまり効果がないのですな。そして、長いこと、穴の中に潜む結果となり、状況は結果として悪化するのであります。

ただ、今回、少しばかりいつもと違ったのは「危機意識」でした。それは何というか、この状況を何とかしたい、この状況を解決したい、という思い。からの「危機対策集中モード」に入ったような気がするのであります。

「危機対策モード」は、「穴モード」と全然違う。少し前までの楽観ゆるふわモードとも違う。できることにフォーカスしてひとつひとつ解決していこう、という「攻め」のワタクシになっているようなのであります。

非常に感覚的で表現し辛いのですが、穴モードのときには心の周りに殻をつくってそのなかに逃げ込む感じ。ぎゅぎゅーっと小さくなる感じ。体温が低くなる感じ。一方で「危機対策集中モード」では開かれている感じ。体温が少し上がって、ぎゅっと集中している感覚があるのであります。抽象的ですみません。

図に表すとこんな感じのプロセスです↓

ASDS発動後の移行モードの分岐がポイントなのであります。当然ですが「穴モード」に入るより、「危機対策集中モード」になるほうがダンゼンいいのです。

問題はこのモード移行の違いがなぜ起きるのか、ということです。その要因が分かれば再現できる。事件発生→ASDS発動→穴モード突入、というお決まりの負のパターンを変えられるかもしれないのであります。

はっきりと捉えられていないので仮説段階なのですが、要因は2つ。

①自己否定モードのセルフ暴言を聞いたうえで冷静に反論する
②人のつながりを信じること

ああ、なんと月並みで平凡な要因仮説なのか…。ちょっと補足します。

①自己否定モードのセルフ暴言を聞いたうえで冷静に反論する

自己否定モードのセルフ暴言は、結局自分の内側から自分の過去の経験と妄想と思い込みから引き起こされているんですね。「事実」ではない。なんたって自分の心の中で飛び交っているだけの言葉ですから。そのことに思いを向け、セルフ暴言に対して「いやいやいや、そうは言っても以前より進歩しているよ」とか「向き不向きとか決めたって仕方なくない?」とか冷静に反論してみたんです。

そうやって一人対話をしていくと、ガチャガチャと騒がしかった心がすーっと落ち着いていくようであります。ポイントは慌ててセルフ暴言を止めようとしないで、言いたいように言わせたうえで改めて捉えなおす、ということだったようです。ワタクシの場合。

②人のつながりを信じること

これ、本当に月並みなのですが…。ASDSモードから穴モードに移行するときに、「セルフ暴言」だったはずの暴言がいつの間にか「他者から言われるであろう暴言」に自分のなかで置き換わってしまっているんです。だから、穴に入って他者からそんな言葉を投げられたくない!となってしまうようです。ワタクシの場合。

でもこれもなんか変な話で、自分の作った虚像を自分で怖れている感じ。

そんな必要はなくて、フラットに自分の周囲にいる仲間を信じること。信じて声をかけること。

そして、もう一つ大事なのがちっぽけな「自己防衛」はおいておいて、共に働く仲間だったり、私たちの事業を信じて、関係を続けてくださっている参加者の皆さんやクライアントさんや応援してくださる皆さんに意識を向けることなんだと思います。そうしたら、穴に入っている場合なんかじゃなくなるから。危機に向き合うエネルギーが湧いてくるから。みんなが仲間だと実感できるから。

で、ここまで書いて思うのであります。

私の心に備わっている全自動型自己否定システム(Automatic Self-Denial System。通称ASDS)。今までは割とこのシステムそのものを取り除くべきバグだと思って、どうやったらこのシステムが発動しないようにできるか、ばかりを考えていました。

が、もしかして、このシステムそのものは悪いものでもないし、そもそも取り除けない可能性が高い。だから、今回のように、うまくシステムとお付き合いすればいいんじゃないのかな、と。

今回の気づきは、ASDSはぼーっとした「のんびりモード」から「緊急がんばるモード」に自分自身をシフトチェンジする重要なきっかけになったということ。激しい「自己否定」だって、モードチェンジのためのスイッチだと割り切れば、非常に便利なアラートシステムなわけで。自分の中でうまく活用すればいいだけなんだな。うむ、なかなか素晴らしい気づき。自画自賛。

海があったら飛び込む。穴に入ってる場合ではないのだ、と積極果敢な姿で教えてくれた、弊社に入社して1年、頑張り続けてくれた社員のケイちゃん。つながりの大切さ、心強さを教えてくれた仲間の一人であります。ナイスジャンプ。

海があったら飛び込む。穴に入ってる場合ではないのだ、と積極果敢な姿で教えてくれた、弊社に入社して1年、頑張り続けてくれた社員のケイちゃん。つながりの大切さ、心強さを教えてくれた仲間の一人であります。ナイスジャンプ。

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