メルマガの文章をAIに書いてもらって思うこと。
先週は「私たちの中の狩猟採集民族」について書きました。興味の移ろいやすいワタクシ、今週は近未来の話題であります。アルトマンさんの解任で話題のChat GPTの新しいバージョンGPT4ってのが本当にすごくて日々、ピョコピョコ触れておりまして。せっかくだからこのメルマガをAIに書いてもらえないか昨晩から試行錯誤し続けてきたのであります(手抜き!?)。
思うところはいろいろあるのですが、まずは僕とGPTさんが合作した文章をご一読くださいまし。
タイトル:
僕の大切にしていること
本文:
僕が何を大事にしているか、話してみようか。それはね、日々のちいさな発見と、その瞬間に感じる喜びなんだ。何気ない日常の中にも、よく見れば新しい何かが隠れている。そんな発見が、僕たちの毎日を彩り豊かなものに変えてくれるんだよ。
でもね、忙しさにかまけて、そんな小さな喜びを見逃してしまうこともある。そんな時はね、ふっと立ち止まって、周りをじっくり眺めるんだ。道端の雑草、空を流れる雲、街角の看板、周りの人々の小さなしぐさにも、新たな発見があるんだから。これら全てが、僕たちの日常に、特別な輝きを与えてくれるんだ。
そしてね、発見は外の世界だけに限らないんだ。自分の内面を深く探求し、自分の感情や思考に注意を払うことで、まったく新しい自己理解へと繋がるんだよ。これは難しいことかもしれないけれど、自分自身を観察することを習慣にすると、人生に予期せぬ大きな変化が訪れるんだ。このような小さな日々の実践が、やがては「習慣化」へとつながっていくんだよ。
「習慣化」と簡単に言うけれど、それが簡単にできたら誰も苦労はしないよね。だけど、小さな一歩を積み重ねることが、大きな変化への道を切り開く。ニール・アームストロングの言葉「一人の人間にとっては小さな一歩かもしれないけれど、人類にとっては大きな飛躍だ」を思い出すよ。個人のちいさな変化が、時に大きな意味を持つんだ。
ちいさな発見、ちいさな変化。これらが、僕たちの人生を豊かに彩る。欲張らずに、今を大切に生きること。それが何よりも価値あることなんだ。
だけどね、そう言われていることが本当に正しいのか、時には疑うことも必要だと思うんだ。常識や一般論に疑問を持つことで、新たな発見や視点が生まれることがある。そして、自分自身の思考にも疑問を持って観察する。自己反省と自己認識を深め、本当の自分を理解し、より良い未来へと進んでいくんだ。
いかがでしょうか。うーん・・・。
この文章、アウトプットまでに結構手間がかかっておりまして。まずは私の過去のメルマガをすべてGPTさんに読み込ませて記憶してもらいました。そのうえで私の文章の癖や選ぶテーマの傾向などを分析してもらったんです。その知識を前提にまるっと文章を書いてもらうことを何度かトライしたのですが、まるで面白くなく、到底メルマガとして成立しなさそうでした。
なのでちょっと工夫して、今回の文章はタイトルを決めたうえで、私⇒GPT⇒私⇒GPT...と一文ずつ交互に文章をつないでいきました。そのうえで、最終的に全体の文章を私の文章スタイルに合わせてチューニングしてくれ、と指示してできあがってきたもの。完全な僕とGPTさんの合作です。
ちなみに僕の大切にしていることを「日々のちいさな発見と、その瞬間に感じる喜び」と決めてくれたのはGPTさん。目の付け所が素晴らしい。
目の付け所は素晴らしいし、文章としてはちゃんと成立させてくれるんです。文章の趣旨は「いいこと」を言ってる気がします。そこに書かれていることに反論は全然ありません。
だけど、なんかつまらないんですよね(僕の主観です。違うご意見の方、挙手願います!)。
これは僕の指示の出し方が悪いのかもしれないです。AIの可能性をもっと引き出せばもっともっと情緒豊かな文章を書けるのかもしれません。あるいは進化がすさまじい領域だから来年は全く違った状況になっているかもしれません。
ただ、今時点のアウトプットで僕が感じるのは、明確に、つまらない文章だということ。
それってなんだろう?ってことを探っていくと、そこに揺らぎがない。矛盾がない。躊躇だったり恥じらいの感じだったり、小さな勇気だったり、ときには怒りだったり、そういうのが感じられない。個人の肉体や心の痛みや喜びや妬みやあれやこれやに根差した湧き出る不完全さみたいなのがないから、面白くないんだと思うんです。
そしてそこに思いというか、意志がない(当然だけど)。
あるのは滑らかに組み立てられ、整えられた最適解の塊。たぶんAIは論理的・合理的に最適解を求めるシーンにおいては最強なんだと思う。
ちなみに私は、大学受験生の息子の演習問題を大量生産するのに過去の受験問題をベースに模擬問題をAIに作ってもらう、というスクリプトをつくりまして、これは圧倒的に成功しております(塾や参考書がいらない世界がすぐそこ。というか今の形の受験は早晩終わると思います)。
話がちとそれました。最適解にたどりつく方法はAIにお任せするのがよろし、ってことですな。あちこちで言われていることだけど、改めて強くそう思います。我ら生身の人間の貴重な時間を最適解探しに費やしている場合ではない。
人間は人間らしく、矛盾をはらみながら感情と格闘して、うんうん悩んで、この尊い身体を使って生きる。他者と交わる。対話を重ねる。自分の感情と他者の感情を交換しあって、思いと意思をもって、それを言葉にしてあがく。あがき続ける。偏っていると言われようが、視野狭窄と言われようが、主体者として動き、主体者として語る。もうそこしかないし、そこが人間のフロンティアなんだってことを改めて感じるのであります。
生の体験と感情と心。やっぱりですね、我らは狩猟採集民族に回帰していくのであります。たぶん。そして、しばらくはこのメルマガはAIの手を借りずに自分で書きます、はい。
こちらは同じくChatGPTで「原っぱ大学のガクチョーとAIが一緒にものづくりをしている様」と指示を出して出てきた画像。ガクチョーの10年後です、はい。最適解にたどりつくことともうひとつ、異質な組み合わせを組み合わせて形にする力(クリエイティビティの作業の一部)もAIが得意とするところだなぁ、と強く思う今日この頃です。
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