「メロンパン」がゲシュタルト崩壊。

私のメロンパンの原体験。小学3年生か4年生のころに、社会科見学で行ったパン工場。そこでお土産にいただいたのがたぶん私の人生初の「メロンパン」。黄色っぽくて、しっとりしていて、ひとくちかじると口の中に広がる「メロン」の香り…。ああ、メロンパンって何て美味しいのでしょう…。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.10.15
誰でも

私のメロンパンの原体験。小学3年生か4年生のころに、社会科見学で行ったパン工場。そこでお土産にいただいたのがたぶん私の人生初の「メロンパン」。黄色っぽくて、しっとりしていて、ひとくちかじると口の中に広がる「メロン」の香り…。ああ、メロンパンって何て美味しいのでしょう…。

以来、40年近く、私は「メロンパン」とはメロンの味がするしっとりとしたパンのことだとこれっぽっちも疑わずに信じ続けてきました。

昨日のこと、家族の団らん中に長男が「大学の学食のメロンパンが抜群にうまい」と話題を提供しました。何気なく私が「しっとりとしてメロンの風味がおいしいんだね?」みたいなことを発したところ、家族中から総スカンをくらいました。

「何言ってるの!?メロンパンはメロンの味なんてしないよ!」

は!?メロンパンなのにメロンの味がしないとは一体どういうことだ?私は今でもあの、小学生の自分が味わったしっとりとしたメロンの風味を思い出すし、あれこそが私にとってのメロンパンなののでございますが…。

「メロンパンっていうのは作り方でクッキー生地をとかして焼いて乗っけて作るんだよ。だいたい、表面はサクサクしているのがメロンパン。見た目がメロンみたいだからメロンパンって言うんだよ」と娘と妻に諭されました。

は!?いや、メロンパンはしっとりだし、メロン風味だし…、とつぶやきながらwikipediaを調べるとこんな風に書いてありました↓

円形のパン生地の上に甘いビスケット生地(クッキー生地)をのせて焼いたパンで、表面に格子模様が付いているものが主流(中略)。名前の由来はいくつかの説があり、どれが正しいのかは不明である。表面のビスケット生地に数本の筋や格子状の溝が入れてある外見がマスクメロンの模様に似ているためという説がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%B3

衝撃。私が40年近く「メロンパン」と思い続けてきたものはなんだったのでしょうか。昨日の会話の直前まで確信をもって抱いていた「メロンパン」のイメージが儚くも崩壊しました。そして「メロンパン」がひどく曖昧模糊としてとらえどころのないものになってしまったのであります…。

私たちが「知っている」と思っていることはこんなにも儚く頼りないものなのですね…。先ほど、コンビニで「メロンパン」を買ってきました(写真)。やはり、wikiにあるようなサクサクしたパン。かじってみたけどまるでメロンの風味なんてしない…。しっとりメロン風味のメロンパンは私の描き出した幻だったのでしょうか…。

そうそう、こんなことを書いていたら小さい時の記憶がよみがえりました。たぶん、4歳か5歳ぐらいのころ。私はいわゆる「モンスター」みたいなものが見えました。はっきりと覚えているのは2匹。

昼下がりの実家で、階段を見上げると足がいっぱい生えている青色と緑色のタコみたいな生き物が2階でうねうねと動いていました。幽霊とかにありそうな不吉な気配とか怖さはそこにはなくて、ただそこにいる。で、目をゴシゴシとすると消えたんです。

そのときに僕は思いました。大人がよく言う「気のせい」ってこういうことなんだって。

同様に、いとこのお姉ちゃんの家にお泊りに行った時のこと。お姉ちゃんの部屋で寝ようとしていると半開きのドアからすーっと小さな一つ目のカラフルな毛むくじゃらのボールみたいなのが部屋に入ってきました。このときも怖さとかはなくて、目をゴシゴシすると消えたんです。

やはり小さな僕は思いました。これが「気のせい」ってことだ。

それ以来、大人たちがよく使う「気のせいだね」という言葉はそうした化け物たちが一瞬見えることなのだと疑いもなく納得していました。いつの頃か忘れたけど、大きくなってから、「そんな化け物は見えたことがない」と人に言われてびっくりした記憶があります。「じゃあ、『気のせい』ってどういうことなの!?」って…。

先週のメルマガの記事でも書きましたが、私たちが当たり前だと思っていること、言葉に付しているイメージ、前提条件ってなんと曖昧なのだろう、と突き詰めると不安になります。

でもなんかそのズレが面白いのかもしれません。思い込みに支配されること、認知がズレることはそれぞれ個体として生きる私たち一人一人の宿命なのかもしれません。客観的な合意形成も大切だとは思いますが、ひとりとりの主観から生まれるズレってなんだか愛おしいし、そのズレそのものを楽しんでいきたいなぁ。

そうそう、先日、今話題のアレックス・ガーランド監督の「シビル・ウォー アメリカ最後の日」を観てきました。私、好きな映画です。上映中の映画なので深くは立ち入らないですがこの映画がきっかけでガーランド監督の過去作品をアマゾンプライムで追いました。「MEN 同じ顔の男たち」という作品がまさにそんな認知のズレというか人のイメージと現実の狭間を描いておりまして印象的でした。不気味で不穏でテーマも息苦しいので万人にオススメできる映画ではないのですが…。

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