「境界線」を軽やかに飛び越えたい。
「境界線」を軽やかに飛び越えること。「境界線」をぼんやりとあいまいにすること。「境界線」を自在に引き直すこと。「境界線」を遊ぶ、ということが私がずっと大切にしてきたこと、やりたかったことなんだ…、と最近気づきました。今日のテーマは「境界線」。
境界線。
そもそも、私たち人間は「境界線」を引くことで社会に秩序を与えているのだと思います。
リンゴ、机、木、私、あなた…etc。名をつけるということは事象と事象の境界線を設けるということ。以前、何かの本で読んだ記憶があるけど、もし境界線がなければ世界はカオスでしかないらしい。すべてに名をつけ、境界を設けることで世界を認識しているのが我ら人間。人間が存在しなければ世界のひとつひとつの事象には名が存在しない。名が存在しなければすべては混然一体。バッタとたんぽぽとボールを分かつ「境界」はそこには存在しない。
ちなみに、その混然一体の世界の眼鏡(名と境界がない世界)をイメージして周囲を見渡してみると、いつもの景色が全然違って見えるから面白いです。ぜひやってみてください。
「はじめに言葉ありき」とはよく言ったものです。
「原っぱ」は境界線から自由で居られる場
一方で私たちは人間が恣意的に引いた境界のラインを太く、濃く、強くすることで息苦しくなってきたのかもしれない。そんなぼんやりとした問題意識が原っぱ大学設立当初からあった気がします。
大人と子ども、先生と生徒、サービス提供者と受益者、彼らと私たち、正義と悪、正解と不正解…。自分たちが引いた境界線が「絶対なもの」と思い込んでしまうと重たく、堅苦しく、つまらなくなるんじゃないかしら…。
「原っぱ」とはそういう境界線から自由で居られる場のメタファ―です。いろんなものが同時に存在しあって、影響しあって、ごちゃごちゃとただそこにある。その存在に対しての判断が留保される場。私はそんな聖域のような場をつくりたい、という思いから「原っぱ大学」を作ったのだ、と改めて思い至りました(いまさら)。
ちなみに、私が最近AIを中心としたデジタルワールドに熱中しているのも、この「境界線」を軽やかに飛び越えたい欲求に根差しているように思います。デジタルと自然は対立軸ではないと高らかに宣言したい欲求…。
ただ私は決して、「境界線」そのものを否定したいわけではございません。エヴァンゲリオンの碇ゲンドウよろしく世界をひとつに丸っと統合したいわけでもございません。
僕らはもっとゆるやかに境界線そのものを飛び越えることができるんじゃないか。境界線そのものをあいまいにしてぼんやりとさせたり、引き方を自在に変えてみたりすることができるんじゃないか。その自由があれば私たちはもっと平和に生きられるんじゃないか。そんなことを夢想するのであります。
日々の暮らしのなかでは難しいかもしれない。でも、遊んでいるとき位は、自然の中にいるとき位は境界線から自由になれたらいい。
山林と人の暮らしの境界線をあいまいに戻す
昨年から京急電鉄さんと原っぱ大学とが中心となって取り組んでいる「みうらの森林 共創パートナー事業」というプロジェクトがあます。京急さん所有の横須賀にある広大な森にパートナー企業の皆さんと月1回集まって、自然と交わり、山を手入れしていくというプロジェクトです。
数十年前までは人間の暮らしの一部だった三浦半島の山林。いつしか、「山エリア」と「住宅エリア」は明確な境界線が引かれて、誰も入ることがなくなった山。そんな山にゆっくりじっくり時間をかけて、各パートナー企業の皆さんと共に入り、手を動かすことで山林と人の暮らしとの境界線を緩め、あいまいにしていく。そんなプロジェクトです。
まだプロジェクトが始まって半年ほどですが…、山の中に階段や遊び場ができあがり、畑が耕され、土砂で埋もれていた小川に流れが戻ってきて、ミツバチの巣箱が置かれるようになりました。本当に少しずつ、人と山とが交わり合う時間、空間が生まれています。
プロセスの中で人同士の境界線も溶けていく
そのプロセスを通じて、人と山の交わり合いはもちろん、人と人との境界線も曖昧になってきた気がします。
管理職と新入社員が一緒になって土を掘る。これまで交わることのなかった異業種の企業メンバー同士がともに作業し、ともに焚火を囲む。泥んこになって、背筋を痛めて、なかなか一筋縄でいかない肉体労働に向き合って、うまくいかなさ加減、自分の非力さ加減を一緒に笑い合う。そして、一日の終わりに少しだけ積み重なった成果を愛で合う。
我らのDNAに刻み込まれた山の民としての血がよみがえる感じであります。
ひとつひとつ手作業で時間がかかるし、失敗することもたくさんだけど急がない。なぜならばそのプロセスそのものに価値があるから。そのプロセスのなかで人は混ざり合い、境界線が薄まっていくから。
時間をかけること。ゆっくりと自他の境界線をあいまいにしていくこと。自然を静かに感じること。自然に働きかけること。これはきっと、圧倒的に贅沢なことなのだと思うなぁ。

パートナーの1社であるティーカフェチェーン、ゴンチャジャパンさんが中心となって開墾する茶畑。社員自らが植えた茶の木からティーを作る日を夢見て汗を流しています。 photo by Keiichi Kudo
繰り返しますが、原っぱ大学は家族ひとりひとりが「境界線」を手放して遊ぶ場としてこの世界に生まれました。親と子、大人と子ども、スタッフと参加者、その境界線があいまいになる場として存在し続けています。原っぱ大学を始めた10年前は企業が事業の一環としてこうした場にメンバーを送り込んでくる世界が想像できませんでした。
時代が変わった。世界が変わった。
時間がかかり、短期的な「成果」が見えづらいプロジェクトだけど、5年後、10年後に圧倒的に大きなものを生み出す場になっている予感しかしませぬ。このプロジェクトを共に作ってくれている京急電鉄さん、そしてファーストペンギンとしてプロジェクトの初期メンバーとして関わってくださっているパートナー企業の皆さんに心から感謝します。
Special thanks to:
わが社も、私も関わってみたい!というお声がありましたら、私に直接ご連絡くださるか、「みうらの森林」のコンタクトフォームまでお気軽にご一報くださいまし。

共創パートナー事業の1シーン。泥で埋もれてしまった川を掘り起こし、枝で護岸工事をして、清流を復活させる。みんな泥んこ。 photo by Keiichi Kudo
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