意図的に道具を変えてみる。
前回のこのコラムで私は手書きで文章を書いてみました。それはPCで書くのとはまた異なった文章体験を私にくれました。今回は音声入力で文章を書いてみています。テーマは「意図的に道具を変える」ということについて。
この文章はWindowsにデフォルトで備わっている音声入力ツールを使って書いています(あるいは、喋っています)。後から修正するのは誤字脱字だけというルールでやってみています。ちなみに実は、この文章はテイクツーです。 1回めに書いた文章はそこはかとない違和感しかなく、自分で書いている感覚も薄く、とても世に出せるものではありませんでした。
その時感じたのは音声で文章を書くのは難しいという感覚でした。構造的に文章の全体像を把握することが難しくなんだかちぐはぐな文章が生まれてきた印象でした。これが昨日のこと。不思議と一晩経ってみると音声入力で文章が書けそうな気がしていました。スノーボードやサーフィンなどで散々練習してもその日にはうまくできなかったことが、一晩寝てもう一度チャレンジしたらすっとできているそんな経験に近い感覚でした。
改めて思うのは、書くということは非常に身体的な営みだということです。
頭の中にあるぼんやりとした言葉のようなものを何らかのインターフェース(キーボード、ペン、声)を通じて形にして行くという行為のようです。インターフェースを変えるということはお気に入りの道具を変えるということ。だから最初は、うまく扱えなくて当然。それでも辛抱して使ってみていることでどうやら新しい世界が開けるようです。
道具を変えるということはこれまで慣れ親しんだやり方を変えるということ。安定したクオリティで出せる成果を捨てることになるかもしれないということ(この文章もともすると、硬いというか面白みの薄い文章になっているような気もします)。そんな違和感や非効率さを内包しつつも慣れない道具をしばらく使ってみると、その行為そのものへの解像度が一段引き上がる気がします。
「書く」という行為はこの試みをするまで私にとってキーをタイプするという行為とほぼ同じ行為でした。音声入力という不慣れな道具を使って「書く」という行為をして気づいたことがあります。「書く」は①頭の中にぼんやりと言葉のイメージが浮かぶ ②その言葉をつかみ取って文章という形でこの世界に存在させる という二つの段階があるようです。②の方法はいろいろあり、それによって微妙にアウトプットの形が変わったり受けるフィードバックが変わるようです。
新しい道具を取り入れることは決してネガティブなものではなく。かつ手放しで礼賛できるものでもなく。ポジティブかネガティブか判断を留保し「なるほど、私にとってはそんなものか」という納得感というか身体的な実感値を持つことが大切な気がしています。
ここまで書いて思い至るのはAIのことです。
私はここ一年以上、 AIを触れまくってきました。その結果、身についたのはまさにこの身体感覚。いいとか悪いとかでなく「私にとってこういうもの」という具体的な納得感を身体が感じている状態です。「身につく」とはそういうことなんだな。日本語ってよくできている。「身につく」≒「身体に着く」≒「身体感覚として納得している」ということなんだ!頭で理解したふりをすることはとても簡単なことだけど、その状態を超えて身体が納得するまで使ってみること。 AIでもなんでもきっとそのプロセスがとても大切なんだ。
とかく、新しい技術は警戒しがち(特に、年を重ねて自分の成功パターンが固まってくると)。そんな自分を意識しつつも、新しいものはとりあえず触ってみる。そのスタンスがきっとこれまでの自分のやり方をまでの自分のやり方をよりよきものに変革させていく原動力になるし、自分の幅を作ってくれるそんな気がします。
おしまい。
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音声入力で文章を書いてみて感じたこと:
■いいところ
①手が疲れない
②案外、誤字脱字が少ない
③文章を書く時間が早くなる気がする
■いまいちなところ
①文章の修辞が平易になる
②構成が単調になりがち
③記号類の入力が難しい
④フロー状態に入りづらい
いまいちなところの①-③は「慣れの問題」のような気もしております。④は僕自身の文章を書く体験の中でかなり大切にしている部分でこれが弱いと文章を書く喜びが半減する気がします。慣れれば音声でもフローモードに入れるのか、手を動かすということがフロー状態の入り口なのかまだ判断がつきません。なんとなく直感では手を動かすことが大切な気がしていて、音声入力よりも手を動かす文章作成の方が楽しいという結論に至りそうな気がしています(まだ判断は留保)。

この画像はAIがつくったものですよー、私に似ているけど私じゃないですよーー、と声を大にしていいたい。
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