「のぐそ」ができる子どもたち最強説。

いきなり汚い話でスミマセン。「のぐそ」とは野でくそをする行為です。声に出すとなかなかパンチがある言葉も、平仮名で表記してみるとなぜだか優し気な空気が漂うから日本語は不思議です。昨日まで開催していた春休みのキッズキャンプで気付いた自説を展開します(科学的エビデンスはゼロです)。
塚越暁 2026.03.31
誰でも

 いきなり汚い話でスミマセン。「のぐそ」とは野でくそをする行為です。声に出すとなかなかパンチがある言葉も、平仮名で表記してみるとなぜだか優し気な空気が漂うから日本語は不思議です。昨日まで開催していた春休みのキッズキャンプで気付いた自説を展開します(科学的エビデンスはゼロです)。

ブルーシートで家を作って寝泊まりする。

原っぱ大学の春の小学生向けキャンプはなかなかにワイルドです。ブルーシートとロープと廃材を材料に自分の「家」をフィールドに建築してそこに泊まる。ご飯も自分たちでつくる。家がうまくできなければ雨に濡れるかもしれないし、寒いかもしれない。会場は原っぱ大学のフィールド。水道もトイレも電気もない山の中。

大人でもいきなりこの環境に突っ込まれたらなかなかにビビるものですが、原っぱ育ちの子どもらはけろっとしたもので、思い思いの家を楽しそうに建築していきます。柱が自立しないとか、ブルーシートがうまくはれないとか、ぱっと見はグズグズです(ブルーシートをぴんと張るって実はかなりの技術が必要)。でも誰も気にしません。自ら手を動かして、自ら泊まる「家」をつくる。これってホント、本能が喜ぶ営みなのでしょうな。野性が覚醒するのでしょうな。みんな夢中です。

もうほぼ屋外。でも熟睡できる子どもたちのたくましさよ。ちなみに夜には雨が降りました。

もうほぼ屋外。でも熟睡できる子どもたちのたくましさよ。ちなみに夜には雨が降りました。

夕飯時になれば、我先にジャガイモの皮をむき、ニンジンを切る。手を動かすことって実はシンプルに楽しいことなんだよな、と彼らの素直な挙動を見ていると思います。

あとはひたすら遊ぶ。かくれんぼしたり、鬼ごっこしたり、そこらへんの木片を組み合わせて弾のでない「銃」をつくって撃ち合いごっこ。木に隠れて、ダン!ダダダダダン!と射撃音を口で模しながら弾のでないゲリラ戦。完全に昭和の子どもたちの様相です…

 排せつと食欲は心と身体のバロメーター。

で、排せつのお話です。

食べたら、当然、出したくなる。生き物としての我らの摂理ですが…。いつもと異なる環境、異なるトイレだとなかなかそうはいきません。これまで何度となく子どもたちとのキャンプを行ってきましたが、食欲と排せつは子どもたちの心と身体の健康を知る大切なバロメーターです。

緊張をしていると食欲が出なくなる、便が出なくなる。慣れない環境で落ち着いて用を足せないから我慢していると今度は食欲が落ちる。食欲が落ちると元気がなくなる、気持ちが落ちる。食欲、排せつ、身体、心。この4つは非常に密接に絡み合っているのであります。

原っぱ大学には水洗トイレがなく、災害トイレを使っています。災害トイレとは文字通り、災害発生時につかわれるトイレなのですが、簡易の便座に黒いビニール袋をひっかけて、そこで用を足す。終わったら凝固剤というかたまる薬品を入れてビニール袋を縛っておしまい。やってしまえばなんてことないのですが、水洗トイレに慣れていると大人でも躊躇します。

今回、参加した子どもたちはそんな災害トイレにも慣れているのですが…。誰が言い出したのか、山の奥で穴を掘って、のぐそをして埋める、というのが子どもたちの間で流行りました。なぜか、のぐそがイケてる、という風潮になり、みな、スコップ片手に思い思いに山の中に入っていく(ときどき、トイレットペーパーを忘れて半ケツで戻ってくる子も…)。

たくさん食べて、たくさん野に出して(失礼)、たくさん走り回っている。
ああ、すがすがしい。強い。強いぞ。たくましいぞ。

こんな文章を書きたくなるほどに、僕は嬉しくなりました。

彼らは別に、四六時中、自然の中で暮らしているわけではありません。普通にゲームやyoutubeが好きな令和の子どもたち。それでも、そんな風に予定調和を飛び出した行動ができる。「排せつ」という子ども社会では忌避される汚らわしい行為をポジティブに楽しんでいる。

目の前の環境の制約をそのまんまに受け止めて、全身で楽しんでいる。

このあり方は、これからの変化の時代を生きていくうえで圧倒的な力になると思うし、君たちは「最強」だとワタクシは大いに希望を感じたのであります。

 10年前の原っぱ育ちの子らも皆、たくましい。

この1、2週間で、幼少期を原っぱ大学で過ごし、高校生や大学生になったかつての原っぱっ子たちの何人かに再会しました。大きくなった彼らからはもはや土の匂いはしないし小ぎれいな今どきの若者なのだけれども、ひとりひとりがそれぞれの場で一生懸命、楽し気にがんばっている。毎日が充実しているのが伝わってくる。

そのあまりのたくましさに、おじさんはこれまた胸が熱くなりました。

青年期の彼らと再会して改めて思うのであります。幼少期に「のぐそ」をするなり、どろんこになるなり、野山で思い切り遊んだ経験は、その人をたくましく育ててくれる、と。

のぐそ、最強。

彼らが山で「のぐそ」をしたかどうかは憶えていないけれども…。

のぐそをするために山の中で座ると、こんなにも自然が近く、自分が生物だと強く実感できるのであります。

のぐそをするために山の中で座ると、こんなにも自然が近く、自分が生物だと強く実感できるのであります。

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