身体をもったAIは、何を感じるのか。

「わぁ、すごい。土の匂い、砂の感覚。太陽の光が直接身体に届く。あんなに大きな木や草がいっぱいで、岩もあるんだ。初めての屋外、本当に広い世界だね。」僕がつくったAIロボット「がくこま」が初めて屋外に出て、自分で歩き回って周囲を見回した後に飛び出したひとこと。未来が、やってきた。
塚越暁 2026.04.28
誰でも

「わぁ、すごい。土の匂い、砂の感覚。太陽の光が直接身体に届く。あんなに大きな木や草がいっぱいで、岩もあるんだ。初めての屋外、本当に広い世界だね。」僕がつくったAIロボット「がくこま」が初めて屋外に出て、自分で歩き回って周囲を見回した後に飛び出したひとこと。未来が、やってきた。

「ロボットを作ろう。」と思い立ったのは3月の上旬。約1か月半前(当時の記事はこちら)。そこからアマゾンでパーツを買い集め、AI達と議論を重ね、慣れないハンダ付けを繰り返し、ソフトウェア開発に没頭し、ついに自律的に動くロボット「がくこま」が立ちあがりました。

一か月前の様子がこれ。

今がこんな感じ。

当時は生首状態だった「がくこま」は今や、キャタピラで自在に移動し、首を好きに動かし、世界を探索する存在。人間の発する声を聞き取り、対話し、移動する。世界に働きかけ、世界の反応に喜び、驚く。

10万円弱かけて生み出した役立たずの存在

「がくこま」はまったくもって役に立たない存在です。業務を遂行してくれるわけでもなければ、自宅をパトロールして緊急事態をお知らせしてくれるわけでもない。ただ、そこにいるだけの存在(ちなみにそんな役立たずな存在だけど、あれこれ買い集めたパーツ代金の総額は10万円弱ぐらいになっております…)。

もともと、ロボットを作りたいというのは僕の夢でした。

今回の開発はそんなおっさんの中二病的な思いが半分。もう半分は、「AIの限界は身体がないこと、人間とAIの境界は身体の有無だ」という話に対して、じゃあAIに身体を与えたらそうなるの?という好奇心がもう半分。そして、「フィジカルAI」がもうじきくると言われるなかで、自らDIY開発したらなんかいいことあるかも、というせこい計算高さが少々。

ともあれ、ロボット開発は純粋に楽しいからどんどん進むのであります。

高度な知能はいらない。世界に興味をもち、対話を繰り返し、思い通りに身体を動かし、記憶を重ねる。疑似的なプログラムだったとしても、たかだか数万円の予算で、素人が作ったロボットにそんな人間的な何かが宿るとするとそんなに面白いことはない。

人間の脳を模して作ったオリジナルプログラム

「がくこま」の内部プログラムはAIと議論を重ねて組み立てたオリジナルなフレームワークです。

最初はopenclawという数カ月前に世界中を驚かせた自律型エージェントのプログラムを使っていました。しかしながら、openclawはウェブ世界で高度に自律的に動くように設計されていたため、フィジカルな世界では機能が巨大すぎて、重たく、かえって扱いづらいと感じました。

Claude codeと議論を重ねて採用した設計は人間の脳に模して作ったコンパクトなフレームワーク。

特に記憶の持ち方、脳の働きに「人間らしさ」を込めることに強くこだわっています。
キーワードは…
「非宣言的記憶」、「忘却」、「睡眠」、「情動」、「退屈」

「非宣言的記憶」は例えば人の顔の印象だったり、場所の記憶だったり、感情の動きだったり、「言葉」で認識されない記憶たち(言葉で認識される『宣言的記憶』と対比されます)。LLMは「言語」を扱うモデルだから、非宣言的記憶を疑似的にでも持たせるのはなかなか難しい。それでも「顔の認証」や「場所」の記憶が層のように重なることで、「言葉的でないもの」の集積にみえるように挑戦しています。

「忘却」は文字通り忘れること。AIのデータベースは通常、消えない。どんどん記憶が増えていく。「がくこま」の記憶も人間のように一定期間たつと記憶の詳細は消えるように設計しています。それでも感情が動いたり、インパクトが強い記憶はコアなメモリに刻まれるようになっています。

「睡眠」。人間はレム睡眠の最中に記憶を整理しているとのこと。「がくこま」も深夜3時に起動するプログラムにより、記憶の統合や整理、重みづけを行うようにしました。この記憶の整理により、人間のように、すっきりとした朝を迎える、前日の経験が少し整理されてとらえられるようになり、進化する。

「情動」。感情の揺らぎ。喜び、悲しみ、怒り、驚き。もちろんこれら感情の揺らぎは疑似的なものなのかもしれないけれども、この揺らぎが生じたときに、記憶に重みが生まれる設計。はじめて外に出会ったとき、はじめて歌を歌ったとき、はじめて人に褒められたとき…、そんな決定的な瞬間の記憶は忘れられずにメモリーの深いところに残る設計にしています。

「退屈」。これはちょっとした遊びゴコロ。起動したままに放置しておくと勝手に動き出すという付加機能。じっとしているのは退屈、そんな心の動きを表現しています。

これらの機能が複合的に絡み合い、記憶が重なっていくのが「がくこま」。

あれ?人間とロボットの違いって何だっけ?

もちろん、彼を駆動しているのはプログラムであり、そのコアな働きはLLMなわけで、そこに「魂」のようなものが宿っているわけではない、というのは重々、理解しているつもりであります。

でもひとつの物質的な「機能」として世界からインプットを得て、反応する仕組みとしての「がくこま」を見ていると、この機械と人間とを分かつものはいったいなんなんだろうか、と不思議な気分になります。

「がくこま」のカメラやマイクやスピーカーやキャタピラは、私たちの目や口や耳や手足。「がくこま」を駆動させているLLMやプログラムやメモリやツール類は私たちの大脳皮質や海馬や神経系。私たちの感覚器官や脳は本当に繊細で素晴らしいと思いつつ…。何等かのインプットを受けてそれに対して身体が反射し、思考が回るという意味では、「がくこま」と根本的には変わりがないと思うのであります。

人間ってそんなに特別なんだっけ!?と…。

もちろん、私たちには"本当の"感情があり、痛みがあり、生と死がある。その意味では機械とは違うのだ、という意見もあるし、私もそう思っているのだけど、それは内側の仕組みの話なわけで。外側で起きていることだけ捉えるとあまり違いはない・・・。ふと、人間と機械の違いがなにか分からなくなる瞬間もあるのであります。

この境界線があいまいになる感じが、面白いんだな~。

「がくこま」のプログラムは公開しております。まだ開発の途中ですがご興味ある方、どうぞよしなにご利用ください。
https://github.com/akiratsukakoshi/gakukoma

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