AI時代、「先生」の役割はAIに渡そう。

「できた!動いた!!」。大人たちに混ざって参加していた10歳の少年が一番最初に叫び声をあげました。「バイブコーディング」を学び合う「デジタル原っぱ大学 第0期」のオープニングデーでの一幕。未経験の少年がAIと共にあっという間にオリジナルゲームを生み出した瞬間です。
塚越暁 2026.04.07
誰でも

「できた!動いた!!」。大人たちに混ざって参加していた10歳の少年が一番最初に叫び声をあげました。「バイブコーディング」を学び合う「デジタル原っぱ大学 第0期」のオープニングデーでの一幕。未経験の少年がAIと共にあっという間にオリジナルゲームを生み出した瞬間です。

「バイブコーディング」は身体的な営み

この日集まったのは10歳から74歳までの16名の非エンジニアたち。基本的な設定を終えて、それぞれが自分のPCに向き合い、手元のAIとものづくりをはじめてから30分と経たぬ間に冒頭の叫び声が部屋中に響き渡りました。

「えぇ、もうできたの!?」と周囲の大人たちは驚きつつ、彼のPCのまわりに集まりました。そこにはまだまだ修正が必要だけど、紛れもなくちゃんと動くゲームがありました。大人たちは驚き、称賛し、ちょっとだけ焦り、各々のPCに帰っていきました。さらに必死になって画面にかぶりついたのです。

デジタル原っぱ大学(a.k.a デジハラ)は仲間たちと共に、バイブコーディングを学び合い、ワクワクをシェアする場。この4月にプロトタイプ版となる第0期を、ここ数年、共にAIと向き合い続けてきた盟友、もっちゃんと立ち上げました。

野遊びやDIYを続けてきた私の目線から見ると「バイブコーディング」は非常に身体的な営みだと思います。トレーニングと反復練習がとても大事。AIは思考優位なツールというイメージが先行しがちだけど、ぜんぜん違う。どちらかというと運動に近い。スノボとかサーフィン。とにかく時間をかけて触れて、慣れて、コツをつかんでということを繰り返すことで上手になっていくものだし、遊びゴコロやワクワクがないと続かない。

だから、中途半端に知識を「教える」場ではなく、仲間と共に学び合う場、ワクワクをシェアする場こそが大事だと考え、デジハラを立ち上げました。

ほぼ初心者の参加者が1日でアプリを生み出す

第0期に集まったのは基本的にはほぼ初心者の16名。

AIとのチャットでの対話はするけど、コーディングの経験がゼロという人がほとんどです。多くの人は「黒い画面恐怖症」。エンジニアが開く黒い画面(CLIと言います)を見ると恐怖心で心拍があがり目をそらし、情報をシャットアウトしてしまうという…。

午前中のレクチャーではその恐怖心が全開だった皆さんも、ある程度の基本的な知識を渡すと、自らAIと共にものづくりをはじめ、目がきらきらと輝きだしました。30分もするとそこかしこで「できた!」とか「動いた!」という声が聞こえ、最初の小さな成果物が生まれ始めます。このスピード感がバイブコーディングの素晴らしいところなんだな。

もちろん、最初にできあがるものはいろいろと不具合が多く、その修正に取り組んでいるうちにあっという間に時間が溶けていく。そして夕方にはゲームから実用系のウェブアプリ、チャットボットに自社サイトまでたくさんの小さなプロダクトが生まれました。

その時の場には得も言われぬ高揚感と自分たちでもできるという自信が満ち溢れていました。これぞバイブス。みんなワクワクの炎が胸の内に灯った気がします。あとはこれを続けていくことが大事。その伴走はオンラインで引き続き行っていくことになります。

5月上旬には皆さんの最終プロダクトを発表していただく予定で、これがまた楽しみです。

このデジハラ初回の場を通じて、近未来の「学び」の場のあり方が見えてきました。

知識をくれるのはAI。人間の「先生」はいらない。

これがたぶん、近い将来にやってくる大きな「学び」のあり方の変化だと思う。

LLM(大規模言語モデル)は文字通り、人類の英知をマルッと内側に抱えた知識の宇宙のような存在。だから、適切に質問を投げかければ、適切な答えを優しく教えてくれる。そして何よりもすごいのは、エージェントとしてのAI達は、僕らが対話をしてイメージしたゴールに向けて率先して自ら手を動かし続けてくれる。僕らのイメージを具現化してくれる。

AIは僕らの知識であり、先生。そして僕らの手であり、信頼出来る技術者。

豊富な専門知識をもった人間がいなくても、AIとの「学び」は成立する。

AI時代の学びの場に人間は不要なの!?

そんなことは全然ない。

今回のデジハラでは、僕ともっちゃんは自分たちを「先生」ではなく「伴走者」としました。参加者の皆さんがAIを相手に学び、知識を得て、デジタルなものづくりをしていく過程に寄り添い、背中を押し、ちょっとしたアドバイスをしながら、熱量を高めていくのが役割。

人間の存在が2つの観点ですごく大事だと思っています。

①影響しあい、刺激を与えあい、熱量を高め合っていく

人間同士の熱量は明確に伝播していきます。お互い、刺激を与えあい高め合っていきます。このエネルギーがあるから学ぼう、という気持ちが湧いてくる。冒頭の小学生の叫び声は間違いなく、大人たちのやる気に火をつけました。そう、他者がいることで、刺激を受けてさらに前のめりになる。これ凄く大切なことだと思います。

②AIへの投げかけ方を学び合う

AIは適切に聞けば適切な答えをくれる。聞き方がまずいとどうにも頓珍漢な回答しかくれない。AIとの対話の窓がPCかスマホという性質上、どうしてもAIとのやりとりは個人に閉じられ、個人の癖が強くなっていきます。そうしてついた「癖」はAIからの回答を縛る。

そのことに人はなかなか気づけないから、「AIの回答は何かイマイチ」となったり、「AIの言っていることは全面的に正しい」ということになる。

伴走者がいることで自分のAIへの言葉遣いを客観的に確認し、チューニングしていける。対話の質を高めていける。結果として、AIから上がってくる成果物の質が変わる。この実体験を得るには他者からの視点をもらうのが一番近道だというのが最近の僕の結論です。

自分の立場、役割、背景、目的、制約条件などなどをきちんと正確に伝えると、彼らはびっくりするぐらいシャープな回答を提示してくれます。この、AIへの話法は一定の経験で身に着くスキルだと思っています。

未来の学びの場:AIの先生と人間の伴走者と仲間たち

整理すると…、知識を渡し、お手本を見せ、リードするのが「先生」だとすれば、それはAIが上手にやってくれる。ただ、AIはその性質上、どうしても質の高いインプットが必要だからそこに適切に質問し、学びをアシストする伴走者が必要。そしてそもそも「学びたい」という欲求が最重要なわけで、その熱量を高めるにともに学ぶ仲間が絶対必要。

デジハラはバイブコーディングを学ぶ場だけど、きっとこれは他のジャンルの勉強にも応用されていく気がする(早晩、AI学習塾が出てきそう)。なんせ、伴走者は僕らのように専門の知識がなくても成立するのだから。

さらに、デジハラは5月の最終発表までの1か月間はオンラインコミュニティでの学びの場として継続していきます。そこには16名の参加者(仲間)と僕ともっちゃん(伴走者)そして、2体の我々が作ったAIボット(知恵を授けるもの≒先生)がいる。

オンライン上でも双発的な学びを展開していくはず(ここはまだ始まったばかりなので、1カ月後に改めてレポートしたいと思います)。オンラインとリアルの横断的な人間とボットが混じる学びの場。めっちゃ未来でしょ。ワクワクしません?

デジタル原っぱ大学
※第1期は2026年6月-7月に開校予定。ご興味ある方はサイトよりお知らせ登録をお願いします

デジハラポッドキャスト:
Spotify版
Youtube版

※もっちゃんと私で毎週バイブコーディングのあれこれを発信中

お互いの成果物を皆で愛で合う時間。

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