他者の痛みを想像することと、弱き者への眼差しについて。
ワタクシ、ありがたいことに基本的に健康にできています。45年間、健康不安とは無縁できました。ところが昨日、お昼前から徐々に身体中が痒くなり、午後には蕁麻疹がでてきました。朝になっても引かず、午前中に病院に行って注射を打ってもらったら少し落ち着きました。でもまだ痒い…。ただ痒いだけ、ではあるのですがそれだけで身体も頭もうまく働かなくなっております。本日はそんな経験のただなかで思うことを書きます。
蕁麻疹。←この字を見るだけで痒くなりますね。カタカナ表記にしましょう。ジンマシン。あ、なんだか少しかっこいい雰囲気になりました。
私、学生の頃に一度だけ全身にジンマシンが出たことがあってその時もつらい思いをした記憶があります。それ以来だから実に25年ぶり。昨日の朝食べたのはシシャモと納豆なのでそのいずれかかが原因か。ちなみにサーファーは納豆アレルギーになりやすいそうです。サーフィンをするとクラゲによく刺されるのですが、クラゲの毒に含まれる成分と納豆に含まれる成分が同じで、クラゲに刺されまくることで納豆アレルギーになるんですって。納豆好きだから食べられなくなったらどうしよう…(←まだ決まったわけではありません)。
今、痒い身体で何を思うかというと、自分にとっての当たり前な健康な状態がこうも脆く崩れ去るのかということ(大げさですが)。そして、たかが『痒い』というだけの症状だけど、それだけでこんなにも心も頭も機能しなくなるのかと。妻曰く、「思いつめた重病人の顔をしている」と…。
いやそうなんです、ただ痒いだけなんです。熱もないし、他に自覚症状があるわけでもない。でもしんどいんです…。やはり大げさかもしれないけど、自分の身体をコントロールできていないことが不安にというか、気を弱くさせるのであります(病気に対する耐性が低すぎ)。
身体が痒い&そこはかとない不安に、そもそものキャパシティの少ないワタシの脳みそCPUの半分ぐらいを使われてしまい、思考が回らないのであります(必死でこの文章を書いておりますが、至らぬ点あってもご容赦を~)。
そして思うのであります。日常のワタクシがいかに恵まれた状態で過ごせているかということ。身体のことを気にせず、病の不安もなく自分の心と思考をほぼ100%自由に使えていることがいかに尊いことか。
そしてそして、そんな自分はそうでない人の状態を頭で理解できても、心と身体で想像し尽くすことはできていないのだなと。ジンマシンひとつですらこのような苦しさ。さまざまな身体的、精神的な苦しさや不条理な制御困難さに直面している人が、どのような状態で日々を過ごしているか。
そのことを想像し尽くすことはできないこと、できていないことを知ること。隣の人が平静な顔をしてそこにいても、その向こう側に自分が想像すらできない苦しさを抱えてきたかもしれないこと、今抱えているかもしれないことに思いをはせること。それが他者と関わるうえでの大切な架け橋となるな、と思うのであります。ジンマシンからの学びです。
話が少し飛ぶのですが、私がいつも立ち返る井上雄彦さんの未完の漫画「バガボンド」について。天下無双の剣士を目指して戦い続ける宮本武蔵の物語なのですが、この最後の方に、武蔵が名もなき農夫のおじいさんを師として教えを乞う一連のエピソードがあります。武蔵が剣を鍬に持ち帰る静かなエピソード群なのですが、私としてはここがバガボンドのクライマックスで到達点。これを描いてしまったから井上雄彦氏はその先の巌流島の戦いを描けなくなってしまい、連載が止まったのだろうなと想像しています。
そのなかで、農夫のおじいさん(秀作さん)が武蔵に言うんです。
「弱いもののことなどわからんだろう?」って。
自分より弱やつのことなど見ず、もっと強く、もっと強くと上を見続けてきた武蔵と、か弱くて日々細やかに手をかけないと枯れてしまう稲を育て続けてる農民の生きている世界の違いを指摘したんです。
そんなことない、と武蔵は返すのだけど、秀作が指さす武蔵の足元をみると、武蔵はまったく気づかずにカエルを踏みつぶしていたのです。
なんてことないシーンなのだけど象徴的なシーン。秀作は武蔵に、「弱い者のことがわかったら闘えなくなる。だから早くでていけ」というのだけど、武蔵はこの村に居続け、稲と向き合い続け、弱きものへの眼差しの解像度を高めていきます。
弱きものへの徹底した眼差しと、頂上を目指して戦い続けること。これが一人の個人のなかで統合されることは果たして可能なのかしら。統合されるとどんなありかたになるのかしら。
外へ外へと向かっていく種類の動的なエネルギーと内側へ向かい、耳を澄ましゆっくりとペースを落としていくことで見えてくる眼差し。このバランスというか統合というかが現代的なテーマだなと最近思います。「バガボンド」では一つの到達点として、そんなことが象徴的に描かれているのかな、と勝手に想像しております。わかりませんが。
願わくば、ワタクシもその両方を持てたらと思うのですが、果たしてそんなことは可能なのかしら…。
身体中が痒くて、書いていることが迷子になりました。痒いから、迷子のままに今回はおしまい。
ぜんぶ、ジンマシンのせいだ。
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