祖父が、残してくれたもの。

手元に父方の祖父が小ロットで出版した本が手元にあります。おそらくもはや世の中には我が家以外どこにも残っていないであろう本。「歴史つれづれ草」。今日はその本を読みながら考えたことについてです。
塚越暁 2025.07.22
誰でも

手元に父方の祖父が小ロットで出版した本が手元にあります。おそらくもはや世の中には我が家以外どこにも残っていないであろう本。「歴史つれづれ草」。今日はその本を読みながら考えたことについてです。

何度か触れていますが、私の母方の家系は昭和の歴史に名が残るような存在でした。

そのあまりの存在の大きさにどうしても祖父母や祖先を思うときに母方の家系を思い描きがちだったのですが…。たまたま手元に残っていた1冊の本から、父方の祖父への思いが膨らんでいる今日この頃です。

祖父は戦争の影響で財閥系の会社を辞してから、自分でいろいろと小さな事業を立ち上げたけど、あまりうまくいかず、仕事を転々としたそうです。晩年は逗子の山奥の家で読書を重ねながらミツバチを飼ったり、投網で魚を獲る、という暮らしをしていたと両親から聞きました。

祖父は私が小学1年生の時(つくば万博の年。1985年だから今から40年前か)に亡くなったので、直接の記憶はぼんやりと白髪の大きな身体を思い出すぐらいです。

ここ数年、私自身がミツバチを飼ったり、投網で遊んだりと、この土地の小さな自然出遊ぶようになって祖父の存在が急に近いものになりました。たぶん、経済的・社会的ないわゆる「成功者」ではなかったのでしょう。ただ伝え聞くその在り方が、たしかに今の私のひとつのルーツであり、道標であるような気がしています。

そんな祖父の本。書かれたのは1983年ごろ。私が4歳か5歳のころ。

帯にはこんな言葉が書かれています↓

太陽系から説き起こし、シルクロードを主軸に据えて、遊牧民から騎馬民族への推移とその治乱興亡、信仰の発生と消長、イデオロギーの趨勢など、歴史の流れとサワリを興趣く侭語る独壇場・世界史談義。
歴史つれづれ草 塚越暗香著 審美社

歴史の専門家ではない祖父が隠居する中で積み上げた領域横断の知を基に宇宙、地球、人類の歴史の流れをつづった随筆とのことです。かなり壮大。そして、私好みのテーマ。一方向から切り取った歴史を捉えるのでなく、多元的に流れとして歴史を見ることは非常にワクワクします。あとがきに目をやると「スタイルは祖父が孫に語るようにしました」と書かれているのです…。

とはいえ、文章は決して読みやすいわけではなく、話が縦横無尽に飛ぶ。ただ歴史を順を追ってつまびらかにするのではなく、祖父の頭の中に浮かぶ流れのままに構成されているようで、エジプト文明の話をしていたかと思ったらナポレオンの話になって、ふと気を緩めて読んでいると気づいたらユダヤ教の話からイエス・キリストの生涯の話に移り変わっている始末…。

この本の存在を知ったのは10年ほど前で、当時から何度か読もうと挑戦しては挫折していました。

ところが、今、改めて読むとその奔放な文体が気持ちよく、祖父と対話をしているような感覚で読み進められます。孫に語る様な文体、と祖父は書いていたけど、語りかけられる孫がちゃんと受け取れるようになるにはだいぶ時間がかかりました(すでに私は1983年当時の父の年齢を越えて、着実に当時の祖父の年齢に向かって進んでおります)。

有り難い気持ちで読み進めているとふと、こんな一文に出会いました↓

私の孫は三歳半の男児だが、父に抱かれて初めて満月を見たとたん、「アッ!地球!」と叫んだ。毎日のようにテレビや絵本で見せられる宇宙船から見た地球とそっくりなので並みいる大人も思わぬ盲点に唖然とした。
歴史つれづれ草 塚越暗香著 審美社

この三歳半の孫は紛れもなく私のこと。もちろん、月を見て「地球!」と叫んだことなど微塵も覆えていないけど、こうして、祖父の目線からみた私の存在が言葉として残っていて、突然目の前に現れたことに不思議な、そして非常に暖かな気持ちになりました。

不思議ですね。「地球!」と言葉を発したのは恐らく自分自身なのだけど、その時の記憶は一切なくその感性もよくわからないけど、そのさまを見て印象に残る祖父の気持ちははっきりと想像できるという…。

言葉の力よ。

たぶん、40年前の祖父は何の気なしにこのエピソードを書いただろうし、自分の年齢に近づいてきた孫が、自分の本を手に取り、この一文を読むことなど想像していなかったと思います(あるいは想像していたのかな?願いを込めていたのかな?)。

それでもこうして言葉が残っていて、私に届いた。祖父とのつながりを強く感じることができた。

言葉を紡ぐことの大切な側面を感じさせてもらった気がします。ささいな、個人的な言葉を残すことでこういう巡り合わせが起こる可能性がある。AIで言葉をいくらでも生成できる時代だからこそ、強く感じます。人間の言葉を残しておくことの尊さよ。

だから今日もワタクシは結論のない文章を書き続けています。未来の孫なのかひ孫なのか、あるいは誰か私が想像してもいない誰かに何かが届いたらいいなと願いつつ。

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