「戦う」ことへの根源的欲求と、8月6日に思うこと。

毎日、暑いですね。夏休みは私たちはせっせと毎日のように外で活動しておりまして、炎天下の日差しと35度の気温に晒され続け、私の脳みそはオーバーヒート。ほぼ機能しておりません。首から下の反射機能だけで毎日を過ごしている感覚でございます。このメルマガもそんな調子で脳みそを経由しないで指先先行で書いております。支離滅裂だったらスミマセン。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.08.06
誰でも

毎日、暑いですね。夏休み、私たちはせっせと毎日のように外で活動しておりまして、炎天下の日差しと35度の気温に晒され続け、私の脳みそはオーバーヒート。ほぼ機能しておりません。首から下の反射機能だけで毎日を過ごしているのでございます。このメルマガもそんな調子で脳みそを経由しないで指先先行で書いております。支離滅裂だったらスミマセン。

原っぱ大学の夏の人気プログラムに「水鉄砲ウォーズ」というのがありまして。大量の水鉄砲を用意して、頭に金魚すくいのポイをくっつけて水を掛け合うのであります(←同世代の方は記憶にあると思いますが、『風雲!たけし城』の最後のバトルに着想を得ております)。ポイが破れたら負け。

これが滅法、楽しいのです。この夏だけであちこちで5回か6回開催しております。

そして、2015年から毎年夏休みに恒例で逗子市の観光協会と逗子海岸で開催している「水鉄砲ウォーズ」のイベントは今年で10回目の長寿プログラムになりました。10年経ってもいまだに定員をはるかに超える参加者が集まってくるのであります。ありがたい。

10年経って、当時小学生だった子どもたちは中学生、高校生になっていたり…。世代が完全に入れ替わっているのですが、それでも変わらず、大人も子どもも目を輝かせて、夢中に戦い続けるのであります。

同様に秋冬の原っぱ大学の人気プログラムに「ナーフ学園」というのがあります。おもちゃの鉄砲「ナーフ」を使って山の中で戦うプログラムです。こちらも10年近く続く人気プログラムになっているのであります。水鉄砲ウォーズと同様、大人も子どもも目を輝かせてバチバチ戦うのであります。

※まだ暑くてまるでそんな気分ではないかもしれませんが、この秋冬の「ナーフ学園」プログラムを立ち上げております。全国のナーフ学園ファンの皆さま、ご参集ください!
【11/23】ナーフ学園 秋の陣 in 逗子
【12/8】ナーフ学園 冬の陣 in 千葉佐倉

参加する人たちは入れ替わってもみんな夢中で思い切り戦う(もちろん、私も大好き)。戦い続けている。そんな姿を10年も見続けていると、「戦うこと」は私たちのDNAに根差した本能なのだろうな、と思うのであります。

焚火を囲む喜び、何かを作るワクワク、獲物を捕まえる興奮。そんなものと同一線上の、根源的な喜びが「戦う」ことの中にあるのだと思うのです。正しさとかロジックを超えたもっと深い欲求のひとつなのだろうなと(特に科学的なエビデンスや背景はないけど)思うのであります。

そして、今日は8月6日。「戦う」ことについて書くのであれば、その極限としての「戦争」について、言及しないわけにはいかず。かといって、自分自身の個人的な経験としては、小学校の図書館で何度も読んでは閉じてを繰り返した「はだしのゲン」を越えてのリアルな戦争の感覚はもっていないのが正直なところでもあります。

そんなときに思い出したのが、SNSを中心に交流のある藤村隆さんが書いたこの記事です↓

世代間で引き継がれる集団的なトラウマについての考察。自分たちの立っている場所をすごく納得感をもって感じられるのでぜひ元の記事を読んでいただきたいです。

傷ついた個人からその家族へ、家族から集団全体の文化へ。こうして時間や空間を越えて引き継がれる集団的トラウマは、それが癒されたかどうかに関わらず、時間をかけて、その集団のアイデンティティの一部として取り込まれていく。トラウマを負った集団はまるで、個人のPTSDの防衛機制と同じように様々な反応を見せる。
「日本の漫画やアニメは-どうしていつも戦っていのるか」takashi fujimura

戦争を体験して傷を負った世代(私たちの祖父の世代)。その傷の影を受けて育てられた世代(私たちの父母の世代)。彼らの世代が表現するアニメや物語(ガンダムやナウシカなど)はその世代のトラウマの影響を多大に受けており、そうした物語に触れて育った私たち(戦後の第3世代)はその影響を如実に受けているし、受けつつ、さらに下の世代を育てているということだと理解しています。

同じく、藤村さんが紹介してくださった本、村上春樹さんの父親についての短いエッセー「猫を棄てる 父親について語るとき」がこれまた、同じテーマで心に響く作品だったので紹介させてください。

藤村さんのこちらの新しい記事もぜひ。「猫を棄てる」を読みたくなります↓
村上春樹と透明なわたしたち

村上春樹さんは戦後の第2世代。春樹さんのお父さんは従軍された方。お父さんの戦時中の足跡を追ったエッセーです。非常に個人的な話で、だからこそすごく力をもった本でした。

戦争というものが一人の人間 ーごく当たり前の名もなき市民だー の生き方や精神をどれほど大きく変えてしまえるかということだ。そしてその結果、僕がこうしてここにいる。父の運命がほんの僅かでも違う経路を辿っていたなら、僕という人間はそもそも存在していなかったはずだ。歴史というのはそういうものなのだー無数の仮説の中からもたらされた、たったひとつの冷厳な現実。
「猫を棄てる」村上春樹
歴史は過去のものではない。それは意識の内側で、温もりを持つ生きた血となって流れ、次の世代へと否応なく持ち運ばれていくものなのだ。
同上

「戦う」ことへの欲求はたぶん、根源的に私たちの中に流れていて。そして一方で、直接的な形ではないにしろ、戦争の激しい痛みも私たちの血となって流れ、受け継いでいる。痛みを抱えながらこの世界を形作ってきてくれた前の世代の皆さんがいるから私たちは今ここに立っていられる。

話が大きくなってしまったけど…。

「戦う」ことへの欲求を忌避したり、隠したりする必要はないと思う。それが我らの中に流れる根源的なエネルギーとして存在するのだということを受け止めつつ。ときどき破滅的でない方法で発散させつつ。私たちも歴史の流れの中で戦争の影響を受けている、当事者のひとりだという実感を持ち続けていきたいし、当事者として下の世代にも受け継いでいきたいと思うのであります。

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