おっさんが短パン履いて何が悪い。

最近、SNSで見かけて思わず反応してしまったのが…、「中年のおっさんは短パンを履くな」という風潮です。すね毛が汚い、見苦しい、ということのようですが…。1年の2/3を短パン&ビーサンで過ごしている46歳のワタクシとしては聞き捨てなりません。おっさんの権利を全力で主張しようと思う次第でございます。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.07.30
誰でも

最近、SNSで見かけて思わず反応してしまったのが…、「中年のおっさんは短パンを履くな」という風潮です。すね毛が汚い、見苦しい、ということのようですが…。1年の2/3を短パン&ビーサンで過ごしている46歳のワタクシとしては聞き捨てなりません。おっさんの権利を全力で主張しようと思う次第でございます。

「中年のおっさんは短パンを履くな」というのが「風潮」なのか、ワタクシがたまたま目にした誰かの個人的なつぶやきなのかはよくわかりません(でも、何回か目にしたので、一定の市民権を得た議論なのでしょう。本当かな??)。

たとえ個人的なつぶやきであったとしても、おっさんが短パンを履くことで責められるような風潮が広がる芽は事前に摘んでおかねばなりません。個人的な事情なのですが、ワタクシ、長ズボンが極めて苦手なんです(ついでに書くと靴も苦手です)。

昭和生まれの皆さまはご記憶にあるかもしれませんが、かつて、皆さんの小学校に1人ぐらい、真冬でも半袖短パンの少年がいませんでしたか?実は、ワタクシがそんな子でした。正確には、真冬でもランニングシャツ。ノースリーブってやつです。まるでキャミソールかというぐらい肩の紐が細いランニングシャツに、B’zの稲葉さんのようなピチピチの短パンで1年中過ごしていました。

もはや、なんでそこにこだわりがあったのかは記憶が曖昧なのですが…。いまだに、私の生まれ育ったこの町では「ランニング(シャツ)のつかちゃん」とか言われたりします。名誉なのか不名誉なのかよくわからない名称ですが。

そんな学童期のバックグラウンドのせいなのかどうかは不明ですが、私は長ズボンが苦手です。白状しますと、最近はTシャツもなるべく着たくなくて家ではもっぱら上半身は裸かランニングシャツです。原点回帰ですね。三つ子の魂百まで。

そんなわけで。昨日今日の短パンじゃねぇんだぜ、と声を大にして言いたい。そしてこの短パンはファッションスタイルなんて生易しいものではなくて生き様なんだぜ、と言いたい。

ちなみに私が愛してやまない短パンはpatagonia社の「バギーズ・ショーツ」。軽くて丈夫で、乾くのも速いから、そのまま海や川にも入れる水陸両用ショーツ。メッシュサポーターがついているからパンツ履かなくてOK。ワタクシ、6枚ぐらい持ってまして真冬以外はこれをローテーションで履いております(どうでもいい情報でスミマセン)。

SNS時代は心の声が形になって拡声器のように広がっていく。だからまあ正直、どこかの誰かが「中年のおっさんが短パンを履くな」とつぶやいたところで、へー、そんな風に思う人もいるのね…と感じるぐらいです。今回はネタとして取り上げてしまったけど…。

ただ、人様の恰好にまであれこれ注文つけたり、それによって自らの気分を害してしまう、というのはどういう背景からなのかな?ということは気になります。

自分の行動範囲、あるいは視界の中をなるべくアンダーコントロールに置きたいということなのかな、と推測します。あるいは、自分の身辺、環境をコントロールできると思い込んでいる。コントロールできないと不安になったりイライラする、ということなのかもしれません。

これまた推測ですが、自然と切り離された暮らしゆえの視点なのかもしれないと考えるのです。

当然ですが自然のなかでは、どうにもこうにも思い通りにならないことだらけです。森に入れば虫がいる。泥だって落ち葉だって蜘蛛の巣だって動物の死骸だって転がっている。自分のコントロールを越えた環境に囲まれている。晴れると思っていても雨が降るし、突然の雷だってある。

だから、自分の好みと違う環境をコントロールしようとも思わないし、そもそもコントロールできない。自分を環境に適合させていくしかない。

一方で、空調管理されて、きれいに掃除が行き届いたピカピカの環境の中でばかり暮らしているとそんな感覚は育ちにくいのかもしれません。汚いものは目の前から排除する、が当たり前なのかもしれません(短パン姿のおっさんが『汚いもの』なのかどうかは議論が必要ですが!)。

もちろん、ある程度、環境を整え、自分好みの快適なものに囲まれて生活する、ということは普通の行為だと思います。ただそうは言っても、この世から自分と異質のものや自分が嫌いなもの、違和感を感じるものを消し去ることはできない。どこかで受け入れ、共存していく感覚が必要だと思うし、その感覚が寛容さやお互いの受容につながっていくのでないかしら、と思うのです。

ちなみに余談ですが、ワタクシは家の中に現れるゴキブリとも共存の道を探っており、退治しないのですが、家族からは大変、不興を買っております…。

えーっと、というわけで…。家の中のゴキブリに生存権を!短パン姿のおっさんに優しいまなざしを!きっとその小さな共存の意識の積み重なりが世界平和につながるのです、たぶん。

我が社の仕事の1シーン。短パンおっさん勢ぞろい。

我が社の仕事の1シーン。短パンおっさん勢ぞろい。

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