我らの未来のために(たぶん)一番大切なこと。

数日前に京急電鉄さんから、原っぱ大学との共同事業のリリースが出ました。京急さんが所有する三浦半島の広大な放置された森をパートナー事業者の従業員の皆さんと、ともに未来の山の姿を描きつつ、継続的に手を動かし再生していく、そんな事業です。今回は少し真面目にこの事業への私の思いと背景とを書くことにします。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.09.10
誰でも

数日前に京急電鉄さんから、原っぱ大学との共同事業のリリースが出ました。京急さんが所有する三浦半島の広大な放置された森をパートナー事業者の従業員の皆さんと、ともに未来の山の姿を描きつつ、継続的に手を動かし再生していく、そんな事業です。今回は少し真面目にこの事業への私の思いと背景とを書くことにします。

今回の共同事業の原点は2023年の1月ごろ。「京急が50年以上、横須賀に所有している山で何かできないか」とお声がけいただき、軽い気持ちで見に行きました。そこに広がっていたのは広葉樹のきれいな森。とたんにワクワクが爆発してしまい…、その日は麓から山を見るだけのつもりだったスーツ姿の京急のご担当たちを誘って、山の奥深くに急遽、探検に出かけることにしました。

この50年でおそらく京急社員は1人も立ち入ったことがなかった山の奥。ふかふかの土。落ち葉、落ち枝。折り重なる倒木。荒れ果てた山ではあるけど、人の手がしばらく入っていなかった山奥に分け入るのは最高に楽しいのです。ちなみに、京急の皆さんはスーツ姿に革靴。当然滑る。汚れる。

たかだか小一時間のプチ探検だったけど、不慣れで装備が適していない彼らは滑るし、尻餅をつく。先ほどまでのビシッとしたスーツが落ち葉だらけ、泥だらけでくしゃくしゃ。ピカピカだった革靴も泥と一体化…。一瞬、突然の探検のお誘いに申し訳なさが溢れてきたけど、そのときの皆さんの醸し出す雰囲気から、申し訳ない思いが吹き飛びました。

突然、山の中にぶち込まれて野性が開花したのか、あるいは脳内に分泌物が溢れたのかわかりませんが、全身からほとばしる「生きている」エネルギー。はつらつとした表情。

手つかずの森で訳が分からぬままに生命力をみなぎらせたスーツ姿の京急の皆さんの迫力よ。体感と実感をもって「自然のエネルギーすごい」「なんだか楽しい」と全身で感じてくれた姿。「自然を大切にしよう」「緑を守ろう」と言葉での表現なんぞ吹き飛んでしまうかのような説得力。

私にとってはこの日のこの瞬間が今回の共同事業の原体験というか、スタートラインに立った瞬間だったのであります。京急の皆さんと「同志」になった瞬間なのであります。

スーツ姿×手つかずの森、というこのミスマッチが最高で。今回のプロジェクトを象徴する1枚でございます

スーツ姿×手つかずの森、というこのミスマッチが最高で。今回のプロジェクトを象徴する1枚でございます

あのとき、目撃したのは自分たちが「生きている」という実感なのだと思う。

自分たちが自然の中で生かされているひとつの生き物であるという感覚。その感覚とつながって沸き起こってくる根源的な喜び。言葉にうまく表現できない、深いところにある感情(たぶん)。そんなものが大人も子どもも、私たち一人一人の中に存在するんです(たぶん)。自然のなかに解き放たれるとそれが溢れてくるんです(たぶん)。

あたくしは原っぱ大学を通じて、この奥底のエネルギーというか喜びというかがぶわーーんと溢れてくる大人、子どもにたくさん遭遇しておりまして。この一瞬であふれてくる根源的な「ぶわーーん」が大好物だし、生きるうえでとってもとっても大切な経験だと思っているのであります。

そんな経験を多くの人がたくさん重ねてほしいな、と秘かな願いをもっているのであります。でも一方で、私たちの暮らし・生活からは「自然」がどんどん切り離されているという現実。

お膳立てされたレジャーとして消費する「自然」、観光として眺めるだけの「自然」、台風や地震など災害のときに意識する脅威としての「自然」は意識されど、日常の中で暮らしと隣り合わせの自然は小さくなって、意識されなくなって、見えなくなって…。自分たちが「自然の一部」「自然の中で生かされている」という感覚が直感として持ちづらくなっている。

そこに私は「危機意識」があります。

紛れもない事実として、私たちは呼吸をして、自然の恵みを口にして、排せつして、生物の循環の中で生きているわけなのだけど…。その事実が見えづらく感じづらくなって、都市の、人口の、人間がコントロールできる出来事の範囲の中で生きているような錯覚をもってしまっているように思います(私の中にもそんな錯覚はあります)。現代社会を生きる以上、四六時中に自然を感じるというのは難しいとは思うのだけど、でも我々が本来、自然の一部分だという感覚を忘れちゃいかんと思うのです。

その感覚を忘れてしまうから、自然を過度に恐ろしいものだと怖れたり、汚いもの、危険なものだと切り離したり、コントロールできると勘違いしたり、ということにつながっているのではないかしら。

地球環境の変化を見れば今が過渡期だと切実に思うんです。

10年間、同じ山で遊んでいて、如実に環境の変化を感じています。10年前は僕らの山では蚊が発生するのは5月末で11月にはいなくなっていた。ところが今は3月上旬には蚊が飛んでいて12月の末まで飛んでいる(そしてかつての蚊の活動のピークだった8月は暑すぎていなくなる)。たった10年の変化。たかが蚊、されど蚊。そんな小さな変化が海でも山でも、あちこちでたくさん起きているみたい。

ただ、自然が身近にないとそういった変化に気づかない。感じない。ニュースで聞いても実感が湧かない。

言葉で「自然を守ろう」とか「温室効果ガス削減」というのはまあ簡単なわけだけど。生活に根差して、暮らしに根差して、自然の中に居て自然と共にある感覚を僕らの世代で失うわけにはいかんと思うわけです。未来の世代のためにも。

ありがたいことに私たちの世代は子ども時代には存分に自然で遊ばせてもらった世代なのだと思うのです。そんな我らが、都市生活を送りながらも自然の中で生きる人の在り方を取り戻していくこと、率先して実践していくことが次の世代に対しての使命だと考えています。

今回の京急電鉄さんとの「森林 共創パートナー事業」はそんな、自然の中で生きる感覚を企業と、その企業の従業員の皆さんとと共に取り戻していく場です。だから、面倒で手間がかかるけど継続的に、長期的に関わる取り組みにしています。

それは決して価値観の「押しつけ」や「お説教」的なことではなくて。シンプルに土に触れ、生き物たちに触れ、四季の変化を感じることで自然と内側から沸き起こってくるものだと思います。誰一人の例外もなく。

京急電鉄という三浦半島を支えるインフラ企業がこのなかなか儲からなそうで時間がかかって面倒くさそうな(だけど非常に本質的な)ことに乗り出してくれたことに大いに意義と希望を見出しております。そしてそして、大変ありがたいことにこの事業に期待し、ワクワクし、共感してくださる事業者・個人の皆さまがたくさんいます。

今、始めなきゃと思う。今だから始められるとも思う。私が、未来の世代のために、掛け値なく一番大切だと思っていることのひとつの結実がこの事業です。

ワクワクに乗って未来を共に拓いていきたい皆さま、ぜひご連絡くださいませー。

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