問題起こしたって、失敗したっていいと思う。マジで。

この場で時事ネタはあまり書いてこなかったのですが、オリンピック選手が飲酒・喫煙で出場辞退というニュースについて。ニュースそのものは私はメディアをみるだけでは裏側の事情が分からないからどうこう言い難いのですが、元陸上選手の為末大さんの書いた記事が心に残りました。この記事に乗っかって今回の文章を書いてみようと思います。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.07.23
誰でも

この場で時事ネタはあまり書いてこなかったのですが、オリンピック選手が飲酒・喫煙で出場辞退というニュースについて。ニュースそのものは私はメディアをみるだけでは裏側の事情が分からないからどうこう言い難いですが、元陸上選手の為末大さんの書いた記事が心に残りました。この記事(大人は十代の子供が起こした問題とどう向き合うべきか)に乗っかって今回の文章を書いてみようと思います。

元の記事はそれほど長いものではないのでぜひ読んでみてください。

ワタクシ、下記のエピソードにものすごく共感しました↓

私は大学時代にスランプになったストレスから、金髪ピアスにしたり、(当時は珍しかった!)、素行も悪く、陸上界の爪弾きものでした。もう為末は終わったなと、あちこちでよく聞きました。(中略)そんな時に、ある会見でメディアの方が当時日本代表の短距離部長であった高野進さんに為末の可能性について質問しました。もう彼は厳しいんですかね、と。その時に高野進さんは「何言ってるの。あいつがあそこで終わるわけないでしょ」と即座に答えました。(中略)私はその日、部屋で号泣しました。このまま終わっていいのかと。今も立派な大人ではなりませんが、そこで私は変わったと思います。一人でも信じてくれる大人がいれば子供たちは変われると思います。
https://note.com/daitamesue/n/nc6b30c7e7c6a

そういえば、私も似たような経験があったなと思い出しました。

10代ではなくて、20代ですが。

社会人になって2年目ぐらいだったと思います。私は雑誌メディアの編集部に配属されていました。自分で振り返っても要領が悪く仕事ができない若者だったと思います。その時のボスは「ゲシュタポマネジメント」と揶揄される、ハードマネジメントをするボスでした。どんくさいワタシは仕事の段取りや企画書の出来はもちろん、机の整理から経費精算の仕方までイチイチ怒られていました(今となってはありがたいことです)。

あるとき、外部のブレーンさん(デザイナーさんやフォトグラファーさん)と編集部メンバーとの飲み会がありました。その場で、とあるデザイナーさんが「やー、こいつほんといつまで経っても仕事できねーし、しょーもねーな」と僕の目の前でゲシュタポなボスに話を振ったんです。他愛のないノリからの話題だったと思います。

その瞬間、酔っぱらってグズグズだったボスがキッと真剣な顔になってそのデザイナーさんに毅然とと伝えたんです。「こいつだって一生懸命、真剣に仕事しているんです。そんな言い方ないでしょう」と。

20年以上も昔の出来事。ボス本人は憶えていないと思うのですが、私は今もこの瞬間をはっきりと思い出します。胸が熱くなって、よし、がんばろう、と思ったのを思い出します(今でも思い出すと胸が熱くなって元気が出ます)。

ゲシュタポのようにおっかなくて、日々、その上司の下で震え、緊張していたけど、でもこの人は自分のことをちゃんと見てくれている、と心の支えになったのを思い出します。

一人でも信じてくれる大人がいれば子供たちは変われる。

為末さんの言葉に大いに頷きます。

為末さんは10代の子どもたちの失敗の話をしていますが、大人になっても失敗は繰り返してしまう。しょーもないこともやってしまうし、どうしようもない過ち、うまくいかないこともしょっちゅう。でもそんなときに一人でも、表面的なそうした失敗やしくじりではなくて、その人自身を見つめて声をかけてくれる人がいたら、僕らは変われるしやり直せる気がします。

そうそう、このメルマガで最近、ハードモードだと白状して2カ月ぐらい経ちます。その間、本当にありがたいことにたくさんの皆さんが助けてくださいました。今も、継続的に。状況的には緊張感が高いのですが、それだけの方々が思いを向けてくださり、支えられ、頼れるのだから、踏ん張るしかない、と思い続けられております。20年後の私も、20年前の若者だったときと変わらず、心ある先輩、友人、知人のつながりを頼り、助けられているのであります。

自立とは依存先を増やすこと。
https://www.univcoop.or.jp/parents/kyosai/parents_guide01.html

小児科医の熊谷晋一郎さんの有名な言葉です。まさにですね。

先の文章を為末さんはこう結んでいました:

子供たちの問題にフォーカスするより、可能性を信じる社会の方が私は良いと思っています。

法律は法律、ルールはルール。そういう向きも分からんではないですが、でもやはり、一度の過ちにフォーカスするのではなくて、人は失敗するもの、過ちをおかすもの、という前提において互いの可能性を信じて支え合っていける社会を作っていけたらなと思います。子どもだけでなく大人だって過ち・失敗を犯すものだし、それでも次の可能性にかけられる社会、潰されない社会。お互いの可能性を信じられる社会。

願わくば、目の前の一人と向き合うときに表面的な「問題」に支配されずに、その人自身とその人の可能性に向き合える人間でありたいなと思います。かつてのボスがそうしてくれたように、そしてたくさんの私の周囲の先輩、友人、仲間たちが、自然とそうした関係を築いてくれているように。

関係があるようなないような。本日の原っぱ大学の海の活動で子どもがひたすら集めたヒトデ。まったく意味不明なコレクションですが、いいんです。それでいいんです。それがいいんです。

関係があるようなないような。本日の原っぱ大学の海の活動で子どもがひたすら集めたヒトデ。まったく意味不明なコレクションですが、いいんです。それでいいんです。それがいいんです。

無料で「原っぱ大学 ガクチョー塚越の「つれづれ通信」」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
試しに「心の声」に委ねてみる。
誰でも
夏休みの終わりに思うこと。「原風景」が大切なのよ。
誰でも
遊びのバイブスが共鳴しあう時間が、好き。
誰でも
悲しき「覗き見根性」が教えてくれた、大切なこと。
誰でも
「戦う」ことへの根源的欲求と、8月6日に思うこと。
誰でも
おっさんが短パン履いて何が悪い。
誰でも
「無理をしない冒険」のススメ。
誰でも
「なんとかなるさ」を卒業いたします。