試しに「心の声」に委ねてみる。

台風の影響が残る9月1日、妻から話を聞いおりずっと会いたかった方が逗子に来てくれて、ついに会えました。その方との時間がとても心地よく刺激的で、今日はそのときにもらった示唆をもとにいつもと違った形で、実験的に書いてみます。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.09.03
誰でも

台風の影響が残る9月1日、妻から話を聞いおりずっと会いたかった方が逗子に来てくれて、ついに会えました。その方との時間がとても心地よく刺激的で、今日はそのときにもらった示唆をもとにいつもと違った形で、実験的に書いてみます。

その方の名前は野村浩平さん。絵を描き、言葉を紡ぐ人。妻がのむさんと呼ぶので僕ものむさんと書きます。のむさんは毎日、日記のような文章を書いているとのことでした。僕も週1回、このメルマガを書いているので、毎日書くことの大変さがよくわかります。そのことをのむさんに聞きました。「書きたいことが湧いてこないときはどうするんですか?僕は週1回でもその時間が一番大変なんです」と。

するとのむさんは「とにかくPCを開いてただ文章を書く」とのこと。「書くことがなければ『書くことがないなー』とか『雨が降っていて、窓の脇に猫がいて、コーヒーの湯気が立っている』とか、思いつくことや目に映ることをひたすら書き続けるんです。そうするとどこかでスイッチが入って、言葉が溢れてくるんです」と教えてくれました。あとは出来上がった文章の誤植を直すだけだと。

のむさんは「便宜上、『頭の声』と『心の声』を分けている」と言います。そうやってただPCに向かって紡ぐ言葉はきっと「心の声」に溢れているのだろうな、と思います。

※のむさんの言葉の文責は私です。記憶をたどって書いているのでご本人の言葉とずれてしまっていたらごめんなさい。

「心の声」の一筆書きの文。いいなぁ。

私のこのメルマガの文章はもう少し、思考とコントロールを込めている気がします。「心の声」が立ち上がらないと書き始められないのだけど、最終的に世に出す前までには「頭の声」で調整をたくさん書けています。

伝えたいことはなにかとか、どう表現したら思いが伝わりやすいかとか、読んでくださる方がどう感じるかとか。意図とズレて解釈されないかなとか。あと、恰好つけ。自意識がちょっとだけ見え隠れするぐらいがいい感じだと思ってまして、自意識が溢れすぎていないか慎重に推敲して、言葉選びを繰り返して、調整しています(←この作業をすること自体が自意識の塊)。

のむさんの日記の書き方が生野菜的だとすると私のは加工食品というか調理済みの文章。どちらにも書き手の色が出るし、どっちがいいとか悪いとかではないし、メルマガとしてひと様が読んでくださるものだから、ちゃんと調理するのはむしろ当たり前のプロセスだと思うのですが…。

それでも毎週書いていると新しいことをやってみたくなるんです。

ということで、私も、のむさんのやり方をマネして「心の声」の一筆書きの文章を書いてみました。こんなルールで↓。

・ただ思い浮かぶままに言葉をPCに打ち込む
・推敲や文章の追加、言い回しの変更は一切なし
・誤字脱字だけは後から修正
・段落分けは後から(読みやすいように)
・タイトルは後から

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他人以上、友達未満。

9月になりました。8月は特別な月。夏休みシーズン。僕らにとって夏休みであり、仕事のピークであり、エネルギーのピークであり、とても疲れる季節。頭が働かずに身体主導で「乗り切る」季節。毎年そう。今年も。加えて今年は台風が2個、やってきて、波がずいぶんあった。波があると僕は波のリズムに合わせたくなる。今年はとにかく波のリズムに合わせることが最優先の時間を随分長いこと過ごした。波のリズムに身体をあわせると頭は働かなくなる。波のことでいっぱいになる。昔はそれでちょっとした罪悪感みたいなものがうまれた。でも昨年ぐらいからそういうものはなくなったみたい。

ひたすら、ただ、波と向き合ってみる。こう表現すると恰好いいけど、恰好よさとかはどうでもよくて、ただいい波に乗りたくて、ただ気持ちいい波乗りがしたくて、ただ上手になりたくて。そうすると海の中でのつながりが深くなる。年齢を超えて仲間が広がっていく。娘の同級生。世界トップクラスのウィンドサーファー、地元の先輩、大先輩、サーフィンのうまいひと、それほど上手でもない人、昔からこの町で生まれ育った人、最近引っ越してきた人。友達の弟…。下は10代から上は70代まで。

彼らはいわゆる「友達」というほどではないけど、赤の他人でもない。同じ海が好きな、その場で出会う緩やかな関係。その関係が心地いいと思う。ひとりで楽しむサーフィンだけど、結局ひとりでやっているわけではなくて、その、「他人以上友達未満」の人たちと共有する時間が好きなのかもしれない。

そんなサーファーたちと共に味わう大雨の朝だったり、クラゲだらけの海だったり、きれいな夕日だったり、雨のあとの虹だったり、横殴りの暴風だったり、最高に気持ちいい形のいい波だったり、手に負えないぐらいドキドキする巨大な波だったり、予想を裏切って小さくて力のないしょぼしょぼの波だったり。そういう時間そのものが好きなんだなと思う。

2024年9月2日14:45 横浜のプロントにて
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後から読むと正直、何だかこっぱずかしい文章。修正したい言い回し、削りたい場所、追加したい言葉だらけ。けれども、あえてそのままに。もともと一筆で書いたものだから、段落分けするとちょっとフィットしない気もするのだけど、それもまあ良し。

どこにもたどり着かないただの独白みたいな文章。メルマガでお届けするのに適しているかちょっとわからないのですが、たまにはこういうのも、ということでご容赦くださいませ。

のむさんに今回、即興で私をイメージして絵を描いていただきました。初めてお会いして5分、私の仕事や何やらを伝える前の、まっさらの素の状態で。ただインスピレーションに任せて。モチーフだけください、ということだったのでモチーフは8月に私が思いを向け続けた「波」でお願いしました。

さらさらさらー、っとペンを動かして描いてくださった絵がこちら。絵の中には上下バラバラでちりばめられた「STATION」の文字。「あきらさんは場。STATION=駅みたいなもの。人が出会ったり、別れたり。立ち止まったり、談笑したり。ひととき交わってそしてまた進みだす。そういう場。波がそうであるように、そばに寄ってみるとひとつひとつはバラバラだけど俯瞰して遠くから見ると紋様になっている。そんな感じ」

ありがたいし、嬉しいな。なんとなく上の文章はのむさんの「STATION」が頭の中に残っていたから生まれたのかも、と思いました。

野村浩平さん作。 https://www.instagram.com/nomurakouheino/

野村浩平さん作。 https://www.instagram.com/nomurakouheino/

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