刻みこめ、そのよろこびを。

ワタクシたち、夏の海の活動を終えて久しぶりに山に帰ってきています。海水も好きだけど、山の土も好き。久しぶりに踏みしめる山の土の感触が気持ちよく、虫の羽音がここちよく、木々の間の日の光が眩しのであります。そんなフィールドでの出来事。ある5歳男子の姿に大いに心が動かされました。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.10.22
誰でも

ワタクシたち、夏の海の活動を終えて久しぶりに山に帰ってきています。海水も好きだけど、山の土も好き。久しぶりに踏みしめる山の土の感触が気持ちよく、虫の羽音がここちよく、木々の間の日の光が眩しのであります。そんなフィールドでの出来事。ある5歳男子の姿に大いに心が動かされました。

たしか、2歳のころからお母さんと共に原っぱ大学に通い続けてくれている彼。年齢もありますし、慎重な性質なのもあり、当初はお母さんのそばを片時も離れませんでした。常にべったり。大声を出す私の存在は恐怖でしかなかった時期もあったようです。

それでも山に通い続けてくれた。そうすると徐々に場に溢れるあれやこれやとと「友達」になっていくんです。土や木々、周囲の大声で走り回る年上の子どもたちと。

いつしか彼は自然とその場になじむようになり、お母さんがいなくても一人で遊びまわる様になり…。もちろん、年齢による進化もあるのだけれども。それを加味してもあまりに自然に山で遊べる子になっていきました。

そして先日のフィールドでのこと。急遽、山の探検に出かけることに。小学生のお兄さんたちがロープを使って登っていく急な断崖。最初はおぼつかなかった足取りが2,3メートルも上がると自信に満ちた身体の動きに変わっている。足を置く場所、手の動き、ひとつひとつが美しい山登りの所作に。

余談ですが、「崖登り」での子どもたちの身体感覚の進化って本当にすごいんです。いろんなペースがあるのだけど、どんな子でも大抵、スイッチが入る瞬間がある。その瞬間に身体の動きが変わる。そして変わった動きを身体は忘れない。私が山でやっていることはいつも、この「スイッチ」が入るまで、無理をさせずに待つということ、成功イメージが身体になじむのをサポートするということだけです。これだけで子どもは簡単に怖さを乗り越えて楽しさに変え、身体の動きを身に付けていきます。

閑話休題。

ワタクシはこの、スイッチが入った子どもたちが全身で表現してくれる身体の喜びというか躍動感というかエネルギーというかが大好物です。顔の表情を見なくても、身体が喜んでいるのが伝わってくる。

ほら見てください。こちら、その5歳の子が切り立った斜面を水平方向にダッシュしているところ。バランスをとるために伸びた左手、グイッと曲がって大地をつかんだ左足、地面をけり上げた右足、太ももとお尻の泥…。美しすぎる。

探検から戻った彼の誇らしげな、エネルギーに満ちた表情は私にとって最高のギフトでした。原っぱ大学をやっていてよかったな、と思う大好きな瞬間です。

また別の日のこと。放課後サボールの活動で川探検をしていた日。川から地上に戻るには高低差3mほどの垂直の岸壁を登らなくてはいけません。小学2年生の彼。彼も慎重な性質で無理矢理の挑戦はしないことが多い子でした。でもこの日はこの崖を登らないと帰れない。少しの躊躇ののち、登る、と決めた彼。ぐいっと踏み出しました。

ああ、美しい登り姿。高いことによる怖さよりも前にでること、上に上がることに意識が集中している姿。この尊さよ。この日の彼も、登り切った後の自信あふれた姿、表情が最高でした。

彼らはこの日のこの瞬間のことは忘れてしまうかもしれません。いや、おそらく、きっと忘れてしまうでしょう。これから先積み上げるたくさんの経験に埋もれてしまうでしょう。でもなんというか、ここで体験した大地とのつながりというか純粋なエネルギーというか喜びはきっと彼の心の深いところに軸となって、芯となって残り続けていく、そんな気がするのです。

私がたびたび戻ってくる大好きな井上雄彦さんの漫画「バガボンド」に「おっさん穴」のエピソードが何度も出てきます。

「バガボンド」は吉川英治の小説を原作に宮本武蔵の一生を描いた作品です。武蔵が「天下無双」の剣客を目指して剣の修行に励み、たくさんの剣豪と命のやり取りをして成長していく物語。その中でたびたび武蔵は「天下無双」という言葉に囚われます。今でいうところの世間からの評価とか自意識、みたいな感じでしょうか。そして迷い、苦しみます(←このあたりの人間共通のリアルな悩みの描写がバガボンドを私が大好きな理由です)。

そんな武蔵が原点として、原体験として帰る場所が「おっさん穴」。

子どもの頃に武蔵が遊んでいた山の中にあった洞穴。その中には刀を抱いたどこかの武芸者の白骨化した死体がありました。その死体の脇で、自意識とか世間からの評価とかに一切とらわれず木刀を振り回していた日々。それが武蔵の「おっさん穴」であり、「帰る場所」であり、原体験的ななにかだったようです。

どんなに迷っても、惑っても、離れても、帰ってくる場所がある。それが心の奥底に刻まれている。それはきっと深い深い「強さ」につながると思うのです。それは別に、「自然」の中の体験である必要もないと思います。心の深いところからワクワクがあふれ出てくる、言葉もいらないそんな体感だと思うのです。

バガボンドのなかで最も心に残る場面のひとつ↓ 

「師匠」と武蔵のことを慕う少年が彼自身の「おっさん穴」を見つけた瞬間。その姿をそっと見守る大人になった武蔵。こういう大人の関りでありたいなぁ、と思うのであります。

バガボンド 37巻 井上雄彦著

バガボンド 37巻 井上雄彦著

刻みこめ、そのよろこびを。

ちなみに、私にとっての「おっさん穴」は小学生の頃、友人の住む電電公社の社宅とその脇の山をぜんぶを使ってやっていたドロケイ、クラス対抗で山の中や原っぱで戦っていたBB弾の鉄砲を使った大戦争、そして、自分の部屋で一人、妄想とともに遊んでいたガチャガチャのSDガンダムの人形たちとの時間です。

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