「自立している」ってどういうことだっけ?

逗子にはシネマアミーゴという小さな映画館がありまして。妻と、とある映画を観にいこうと約束をして席についたのですが、想定していたのと全く異なる映画が始まりました。アメリカの映画のはずなのになんだかフランス語。予告編かな、と思ったら本編のようでずんずん進んでいく…。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.10.01
誰でも

逗子にはシネマアミーゴという小さな映画館がありまして。妻と、とある映画を観にいこうと約束をして席についたのですが、想定していたのと全く異なる映画が始まりました。アメリカの映画のはずなのになんだかフランス語。予告編かな、と思ったら本編のようでずんずん進んでいく…。

しばらく、脳がバグっていたのですが…。結論としては、プログラムの見方が間違っていて、私たちが全然違う映画の上映時間に迷い込んだだけでした。しかしながら、前知識ゼロでいきなり観たこの映画がすごくよかったのであります↓

この邦題のフランス映画はまず間違いなく私の選択肢にあがってこない。そんなわけでセレンデピティ。たまたま巡り合った映画だったのだけどこりゃ、皆さんに圧倒的にオススメです。

ざっとあらすじ↓

パリに住む5歳ぐらいの女の子(クレオ)が主人公。お母さんを小さいころに亡くして、母親代わりに育ててくれたアフリカの島国出身の乳母(グロリア)と深い結びつきを感じています。そんなグロリアが家庭の事情で出身国に帰ることになり、深く悲しみます。クレオは父親にお願いをして夏休みに単身、グロリアのところへホームステイに出かけることに。その現地でのひと夏のできごと。

淡々とした描写を通して、クレオ、グロリア、クレオのお父さん、グロリアの娘、息子の心の声みたいなものがポツポツと画面に浮かび上がってきます。大人になる前の人たちが率直に見せる優しさと残酷さと身勝手さと、大人になった人たちの見せるどうしようもなさと慈愛と、選択しなくちゃいけないしんどさと。そういうのが自然に溢れてきて、いやほんと、素晴らしい映画だったのであります。

端的に言えば少女の成長と自立の物語です(←こうストレートに表現すると身もフタもないけど)。そして改めて、「自立」ってなんだろう、と思うのであります。

自分で決めるということ?

いや、たぶん、自分の今を自分で引き受ける、ということなのかもしれない。当然、人生は自分一人で決められるものではなくて様々な要因によって流れ、流されていかざるを得ないものなのだと思います。クレオで言えば、お母さんが亡くなったこと、グロリアが帰国しなくてはいけなくなったことなど、本人にとってはどうしようもないこと。

そんなどうしようもないことで嘆き、悲しみ、人に当たり散らすこともできるけど、その一方でそのどうしようもないことを引き受けて、自分が今、できることに向き合うこと。自分の今を引き受けること。これが「自立」な気がする。

クレオもそうだったのですが、「自立」への過程では人にひどいことをしたり、迷ったり、嘆き悲しんだり、呪いの言葉をはいたり、身勝手にふるまったり…。なかなか人間的なのであります(子どもをこういう風にリアルに描くのはさすがフランスの映画)。でもそういう人間的なプロセスがきっと「自立」に向かうには必要なのだろうな。この映画のグロリアのようにその人の傍らで、そのプロセスを共に歩んでくれる、向き合ってくれる人の存在がきっと必要。

今回の映画は少女の物語だったけど、決して「自立」へのプロセスは子ども時代で完結するものではない気がします。そして、逆上がりみたいに、一度できるようになったら合格、というものではなのだろうな。

もっと不安定な、一時的な状態のことを指すのかもしれない。「自立している」ときと「自立していないとき」を私たちはフラフラ行ったり来たりしながら、徐々に上手に自分で立てるようになったり、自分で立てる時間を長くできたり、するようになっていくものなのかもしれない。

そんな風に自立していたり、していなかったりする私たち一人一人がお互いに関わり合って支え合って生きているのがこの社会。なんだか暖かい気持ちになりますな。

昨年、亡くなったThe Birthdayのチバユウスケさんが昔、パフィーに提供した「誰かが」という曲を思い出しました。

誰かが 泣いてたら 抱きしめよう それだけでいい
誰かが 笑ってたら 肩を組もう それだけでいい
誰かが 倒れたら 起こせばいい それだけでいい
誰かが 立ったなら 支えればいい それだけでい
Everybody needs somebody
「誰かが」チバユウスケ

最近、立て続いて大切な人が「自立」する瞬間を目の当たりにすることがあって、そのプロセスも含めて改めて尊く、ありがたいと思うのであります。

「自立」って言葉を辞書で引いたらちょっとニュアンスが違いました↓

1 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。
2 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。
goo辞書 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%87%AA%E7%AB%8B/

ワタクシ流にちょっと書き換えますと…
1 今の自分を受け入れている感覚。他からの助力があって存在していることを受け入れること。
2 支えるものがあって、自分が立ってることを理解していること。  

もはや、辞書の定義が跡形もない改変…。これはもっと違う言葉が当てはまるのかしら。よくわからなくなってきたので今日はこの辺で…。

Photo by miho oyoshi.  本文と関係があるのかないのかわかりません。これは自立?いや、ちがう?

Photo by miho oyoshi.  本文と関係があるのかないのかわかりません。これは自立?いや、ちがう?

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