母が70年前に過ごした家との再会。
82歳の母と妻と3人で熱海に一泊二日の小旅行に行ってきました。70年前に母が過ごした熱海の家が今回の旅の目的地。母が小さなころ、私の曾祖父や祖父と通った別邸が熱海にそのままに残っていると知らされ、その家を実際に訪れました。
今回は3月に書いたこちらの文章の後日譚です。
母の祖父が所有していたであろう熱海の海を見下ろす崖に立っていた日本家屋。その建物は母が小学生のときに売られ、人手に渡ったもの。母以外の親族は誰も記憶していないか、みんな亡くなってしまって、母の胸の内側の記憶の深いところだけに、ひっそりと佇んでいました。もちろん、私もその存在を知りませんでした。
その家は家主が変わったあとも取り壊されることなく、70年間、そのままの姿でその地にあり続け、この春から民泊施設として再利用されることになったそうです。その運営チームの皆さんが、元のオーナーが私の曾祖父(母の『おじいちゃま』)だったことを調べ、連絡をくださり、逗子まで母を訪ねてきてくださいました。そして、ぜひいい季節に熱海まで泊りにきてください、とお誘いくださいました。
↑ここまでが3月に書いた文章の大まかな内容です。
夏を越えて涼しくなったこの時期に、ついに母を連れて現地に行くことができました。
母の古い思い出のなかの建物。満を持しての70年ぶりの再会。思い出の建物との再会はさぞかしロマンチックだろう…、記憶の扉がどんどん開かれるのであろう、と勝手にワクワクしておりました。
現実はさもあらず。
その家はまさに、私が母から聞いていた通りの素敵な家でした。
山の中にあって断崖絶壁みたいな道を駅から車で家に向かうの。その道が怖かったこと…。道を下った先に家があるの。海を一望する崖の上にあって遠くには初島だか大島だかが見えていたわ。
長い長い土間があって家の中を下駄で走り回ったの。
庭先にはたくさん蜜柑の木。そうそう、お風呂には大きな窓があって海がよく見えたわ。屋根裏があってその階段が秘密基地みたいで楽しかったの。崖の下は断崖絶壁で子どもは絶対に近づいちゃダメって言われてたわ。
母のお話のとおり、急な下り坂の先にその家はありました。窓からは初島と大島が見えて、長い土間の廊下があって、大きな窓のお風呂場があって、庭には蜜柑の木。私からすると母の記憶そのままの家がそこに広がっていました。私は大興奮していたのですが…。
母の反応はどこか、「あらぁ、素敵なお宅ねぇ」という感じ。「この広い家をお掃除するのは大変そうね」とか「崖の先が危なそうだから子ども連れは注意しないとね」とか。自分の思い出の家との再会というよりも、素敵な民家にお招きいただいた感想を淡々と述べている感じ…。
少し拍子抜けをしていると、母が言います。「庭はとっても広くて蜜柑の木だらけだったのよ」「崖を覗くと海がばーーーーんと広がっていたのよ」。
母の記憶は70年前。小学校低学年の頃の記憶。当時の10歳前後の少女が、逗子から電車と車を乗り継いでやってきた特別な場所のキラキラと輝いた記憶。その映像と、それから70年経った現実の姿。その両者がぴったり重ならなかったのかも知れない。そしてそれは当然のことなのかも知れない。
頭では70年前のその家に帰ってきた、と分かっていても、10歳の小さな母が見て感じた景色とはあまりにかけ離れていて、重ならないのでしょう。きっと「記憶」ってそんなものなのでしょうね。
それでも、話をしていると、「今のあなた達の住んでいる家の蜜柑の木はここの家の蜜柑の木を移したものなのよ」なんてことを突然、母は言い出しました。この家の話を何度もしていたのに、そんなことはこれまで一度も伝えてくれたことなかったのに…。
記憶は不思議。
82歳の母の記憶はここ半年でさらにおぼろげに曖昧になってきた感じがします。さっき伝えたことを忘れてしまう。以前に伝えたことでも初めて聞くように驚かれる。遠い記憶は割とはっきりしているけど、それでも何がはっきりしていて、何がはっきりしていないのか母も、周囲の私たちもよくわからない感じになってきました…。
うっすらと霞のかかった記憶の箱から、ときどき最適なものを取り出せたり、取り出せなかったり。そういえば、ずっと昔に亡くなった祖母もこんな感じだったことがあるな、と思い出しました。記憶は曖昧になり、何度も繰り返し同じ話をするようになり、「それはさっき伝えたでしょ」「そうだったかしら」ということが少しずつ、確実に増えてきました。
もちろん、一人息子としてはそんな母の姿を見るのはとても寂しく、悲しく、「それはこの前、伝えたじゃん!」というちょっとした苛立ちもあったりするのだけれど…。
祖母も、母も、私たち自身の未来の姿。ほんの三十年先に自分がそうなっているであろう姿。未来を背中で見せてくれているんだと感じます。いずれ、私たちも通る道。記憶があいまいになって、考えることに霞がかかって、おぼろげになって、身体が動かなくなっていく。
この旅の道中、何度も繰り返される母からの同じ話題の投げかけに、嫌な顔せず似た話を笑いながら返してくれる妻。その妻の話に「えー、そうなの!?」と毎度、新鮮な驚きを返す母。その関係そのものが有り難いことこの上ない、と温かな思いでいっぱいになります。
記憶、思い出はもちろん尊いものだけど、記憶が一連の流れとして繋がりづらくなったとしても、そこにやり取りしあえる人がいて、その瞬間の暖かな時間を重ねることができたら、その時間こそが、お互いに尊いものになのだな、と感じます。
私たちは民泊施設となったその家に泊まりました。遠くに初島が見える海。台風の影響の高波で、どーんどーんと響く波音を背景に、もしかして、母が祖父や曾祖父と小さいころに寝たかもしれない部屋で、母と妻と3人でそれぞれの布団でぐっすり寝ました。
私たちを招待してくださったそれら民泊施設を運営する合同会社いとへんの皆さんがとても暖かく、最近、真鶴、湯河原、熱海エリアの自然フィールドにほれ込んでいる私にとって、家のご縁を超えてとても大きな出会いになりました。
母の記憶がつないでくれた出会い。もしかして、母はこの小さな旅のことも忘れてしまうかもしれない。それはやはり、僕にとってはとてもとても寂しいことなのだけれど、それでも母の古い記憶のおかげで僕と妻は母の胸の内にしまわれていたこの場所にたどり着くことができて、素敵な方々と出会うことができました。
記憶のバトン、とでもいうのかしら。確かに、受け取りました。
この家は墨荘という名前で民泊運営されています。とっても気持ちのいい空間です。
ぜひ訪れてみてください↓

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