バトンを受け継いで渡すということ。
先日のこと。私が新卒で入った会社の、最初に本配属になった部署のボスの還暦祝いのパーティーがありました。20年以上前に一緒に働いた先輩方、仲間たちと久しぶりに集うとあっという間にタイムスリップして当時の自分の感覚が戻ってくるから不思議です。その場でボスが発した「バトンの受け渡し」ということについて書きます。
この部署は自動車の情報誌の編集部。今では考えられない無茶苦茶な働き方をする組織でした。そしてお酒が飲めない世間知らずのぼーっとした新卒の私が、野武士集団のようなその部署に配属になって、そりゃ大変な思いをしました。豪快でハチャメチャで、おっかない先輩たち。
その豪傑の象徴みたいな存在が当時の編集長で私のボスでした。とにかく迫力があってスケールがでかくてかっこよくて、怖い。憧れながらも恐れ、「自分はあんな風になれないよなー」なんて思っていたのを思い出します。
還暦祝いのパーティーでも、まったく還暦っぽさがなくて、果たしてこの人は本当に人間なのか、と思ったほどです。でもそんなボスが集まった20名ぐらいの仲間の前での挨拶で涙を見せました。20年前の当時では涙のなの字も見せたことがなかったのに。
そして、こんな趣旨の言葉をくださいました。
「20年ぶりにこうして懐かしいメンバーで集まれて、その一人一人が自分の足で立って、それぞれの場で活躍しているのを感じられて嬉しい。先輩から受け継いだバトンを次に渡せた気がして幸せで胸がいっぱいになる」
なんだかその言葉を聞いて胸が熱くなり、私も涙しました。
バトンの受け渡し。たぶんそれは指導とか教育とかいう直接的な形ではなくてもっと無意識下で感覚的で、とらえどころなく、存在そのものを通じて行われることなのだろうなと思ったのであります。
実際、その場に集まったメンバーの今の仕事は多様でした。元の会社に残っている人はたぶん誰もいなかったと思うけど、編集業界で引き続き働いている人、会社経営者、個人で全く違うジャンルで活躍している人、弁護士…。
私自身もボスからこのスキルを教わったとか、この知識が今に繋がっているといったことはぱっと思い浮かびません。でも、なんだかわからないけど、共に死ぬ気で働かせてもらった期間にバトン的な、エネルギーの塊を受け取っていたのだと思います。
それが何なのかうまく言語化できないけど、20年ぶりに当時の先輩・同僚たちと集まって感じたのは、今も僕の中に当時の経験がちゃんと生きている、ってことでした。
話がちょっと飛ぶのですが、この週末、ティーンエイジャーのスタッフと一緒の現場でした。彼は将来の進路を選択するタイミングなのですが、もちろん、悩みはありながらも自信をもって自分自身の選択をとろうとしている姿にこれまた胸が熱くなりました(すぐ熱くなる)。
そんな彼が言いました。
「原っぱ大学に関われて本当に良かったと思うんです。ここって変な大人がいっぱいいるじゃないですか。そんな大人たちに出会えて、自分の選択もこれでいいんだって思えるようになったんです。今が、人生のターニングポイントだと思うんです」
泣かせるじゃないですか(すぐ泣く)。
何を伝えられるわけではないけれども、一緒の空気を吸って一緒に働いて、他愛もないことを話して、ときに話を聞いて。ただお互いの存在を感じあうだけでバトンなのかエネルギーなのかわからないけど、そういうものを交換できて。若い世代が自分の足で立つプロセスにほんの少しでも関われたとしたら、そんなうれしいことはないです。
そして、改めて自分の経験を振り返ってみると、普段は思い出さないけれど、自分自身が本当に本当にたくさんの人のバトンを受け取って存在しているのだということに思い至ります。
だから、願わくば自分自身も自分の存在を通して、誰かにバトンを渡し続けたい。たくさんの先輩から受け継いできたリレーを止めないようにしたい、そんな風に今、思っています。
果たして、ワタクシのボスが60歳で見た景色を自分はあと15年後に見られるかしら。でもたぶん、その景色を見ようと頑張る必要はなくて、ただひたすらに日々を真摯に生きていくことが大事なのかな、なんて思ったりもします。
尻切れトンボですが、本日はこれにておしまい。

仕事の合間にお昼寝中の私。本文とあんまり関係ありません。
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