2024年、ありがとうございました。

年末に、タイムラインに流れてくる1年を締めくくる挨拶や振り返りを読むのが、好きです。たぶんそうした投稿は普段のSNSの投稿よりも自分に向けて書かれた言葉だったりするのだろうと想像します。だからそこに素のその人が現れていて、そんな姿を覗き見させてもらうと温かな気持ちになるんです。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.12.31
誰でも

年末に、タイムラインに流れてくる1年を締めくくる挨拶や振り返りを読むのが、好きです。たぶんそうした投稿は普段のSNSの投稿よりも自分に向けて書かれた言葉だったりするのだろうと想像します。だからそこに素のその人が現れていて、そんな姿を覗き見させてもらうと温かな気持ちになるんです。

みんな、それぞれ様々な思いを抱えて、喜びを得たりジタバタしたりしながら1年間を過ごしてきたことが伝わってきてなんだか勇気と元気をいただくのと、この「年末年始」の真空状態というかあれこれをいったん手を止めて、過去と未来に思いを馳せている感じがなんかいいなぁ、と思います。

そんなわけで私も、1年の締めくくりのご挨拶というか振り返りというかをさせてください。

2024年のワタクシ的なキーワードは…。

「言葉が面白い」
「遊ぶの楽しい」
「自然の中へ」
「厳しい現実を伝える」
「今、あることは有り難い」

なんだかたくさんあるし言葉が雑だ…。まあいいや。ひとつひとつ書いていきます。

「言葉が面白い」。

言葉を形にするのって面白い。そしてその言葉を介して他者とやりとりすること、かつての自分の言葉を読み返して過去の自分と対話すること、これも面白い。

原っぱ大学をはじめてしばらく、ワタクシは言葉の不完全さというか、表現しきれなさが嫌で、「言葉なんかに頼るな、感じろ!」みたいなことを言っていました。過去の私が言いたかったことも分かります。言葉で伝えられることに限界はあると思う。でも、不完全な言葉を尽くして、表現しようと誠実に言葉に向かうこと、その結果、絞り出された言葉を交換して、何かを伝え合おうとすることはとても尊い行いだと思えるようになりました。ここ最近。

それは何よりもこのワタクシのメルマガの文章を読んでくださる皆さんがいてくださることが大きいです。SNSでの「いいね!」だったりコメントだったり、「いつも読んでるよー」というお声がけだったり、目を通して伝えてくださる皆さんがいるからです。

読んでくださって、言葉のやりとりを共に楽しんでくださってありがとうござます。2025年もつれづれに続けてまいります。

「遊ぶの楽しい」。

こちら、2024年の大いなる発見でした。私、やはり野で遊ぶのが本当に、心底、好きなのだと気付きました。仕事だからとか役割だからとかそういうことを超えて、海で、山で、川で、「遊ぶ」という行為そのものがハラの奥底から好きなんだと改めて思い出せた2024年。

やっぱりそこにワタクシの居場所があるんだよな、と。お尻が穴だらけのジーンズと埃だらけのジャンパーと泥だらけのビーサンで大人、子どもと野で遊んでいるだけで内側からエネルギーが湧いてくるんだと改めて実感しました。そこに、私の、居場所がある。そう思える有り難さよ。

年末最後の活動は「たたら製鉄」を山でしました。長年の夢。逗子海岸の砂鉄を集めて、フイゴを作って、炉を組んで、風を送ってほんの一握りの鉄をつくる。ああ、ロマンだ。そうしたロマンも楽しいし、ただ何も計画なく遊ぶのも楽しい。

繰り返しちゃうけど、そこに、私の、居場所がありました。ありがとうございます。

原っぱ大学たたら製鉄所!ワタクシにとって一つの夢でした。子どもたちがせっせとフイゴを押しまくってくれました。photo by aya higashida

原っぱ大学たたら製鉄所!ワタクシにとって一つの夢でした。子どもたちがせっせとフイゴを押しまくってくれました。photo by aya higashida

「自然の中へ」。

「自然」というものを改めて意識した1年でした。私たちは「自然」の一部。そしてこの10年で私たちの活動しているフィールドの「自然」が大きく様変わりしたということ(季節の移ろいだったり、台風の進路だったり、花や虫たちの活動パターンだったり)。その事実。自分にとってあまりにも当たり前なことなのだけど…。その事実を実感として共有するのが難しいシーンに何度も出くわしました。そうした変化に意識を向けられているのは自分たちが野で遊び続けているからなのかもしれない。

「気候変動」とか「持続可能性」とかそういう大きな言葉ではなくて、もっと個人的な実感として、私たちが自然の一部分であり、その自然がいま大きく変わっていっているという肌感覚がきっと大切だと思うのです。そんな「肌感覚」をもつためには、自然のなかで、季節を超えて、遊び続けるのが一番手っ取り早い。

私の役割のひとつはそんな風に自然の中に、自然と皆さんを誘うこと。肌感覚を共有すること。そんな思いが強くなっております。2024年は京急電鉄さんと、たくさんの仲間とともに三浦半島の森に触れ続ける「みうらの森林プロジェクト」をスタートしました。

多くの人にとって自然への入口となり続ける場。三浦半島随一のインフラ企業とともに始めた事業。2025年、きっと大きなうねりになっていきます。

みうらの森林プロジェクトの1シーン。10年後を目指して茶畑をつくろうと固い土に鍬をいれております

みうらの森林プロジェクトの1シーン。10年後を目指して茶畑をつくろうと固い土に鍬をいれております

「厳しい現実を伝える」。

厳しい現実をちゃんと見る、って私が本当にできなかったこと。今も一人ではたぶんできないです。そして人に「厳しい現実ですよー」と伝えるのは非常に面倒なことです。とくに、その本人がその現実を見る準備ができていない/見る気がないときに。

そんな私に、2024年前半、「あなた、今、厳しい現実のど真ん中ですよ、どーん」とそのままに伝えてくださった方が何人もいます。創業パートナーの志村、社外取締役の中澤さん、経営者の先輩方。

そこから目をそらさずに、どうしようか考えたのがスタート地点。そして厳しい判断をしつつも、少しずつ前に進むことができた気がする2024年。その過程で私自身が「厳しいこと」を伝えなくてはいけないシーンもいくつかありました。それはしんどいし、面倒だし、できれば避けたいことなのだけど‥‥。でもそうしないとならん。厳しさを伝えてくださった方々への感謝と、伝えることの難しさと、厳しさを直視することの大切さを実感した年でした。

「今、あることは有り難い」。

この具体的な実感が2024年の一番大きな変化かもしれません。友人の森重君のススメで始めた「お参り」。ご先祖様に思いを毎日向けること。その中で具体的に感じてきた自分や他者の存在の有り難さ。有り難さゆえに、自分を大切にする、という強い思いと、与えられた自分の役割を全うしたい、という願い。

年末にじっくり読んでいるマンガ「呪術廻戦」のなかで主人公の虎杖悠仁が先輩の秤さんに向かって問うシーンがあります。

「俺は部品だ。部品には役割があんだろ。(中略)先輩、アンタの役割は何だ?」
呪術廻戦18巻  芥見下々


「部品」って感覚は少し違うかもしれないけど、でもそういうことなんだよなと。大昔からの時間の流れで今、ここにたまたまこの形の「自分」というものが存在しているわけで。だからその存在の役割をまっとうしたい、できるようにありたい、そんな自然な思い。

「自分を守ること」「自分が心地いいこと」が大切なことなのだけどそれが最優先事項ではなくなった感覚。役割をまっとうすることが最優先事項。「自分」は最優先事項ではないのだけれども、自分を守り、自分を心地いい状態に保つことがとても大切なのだ、という感覚。この両者が矛盾せず、自分の中で筋が通ったのであります。シャキーン。

とりとめのない振り返りになってしまいました。なんだか10年ぐらいぐるっと回って原点に返ってきた感覚があります。戻るべき場所に戻って、そこに立っているけど、10年前とは違う自分で立てている気がする。

2024年、楽しかったー。いろいろあったけど。

2025年も楽しい年でありますように。役割を、まっとうできますように。

皆さまもよいお年をお迎えください!

photo by aya higashida

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