気持ちが、気持ちいい。
「気持ちが、気持ちいいんだよなぁ」。単なる「気持ちいい」ではないし、「気持ちが、いい」でもない。「気持ちが、気持ちいい」としか表現できない、と苦笑いしながら彼はいいました。10歳児の言葉ではなくて、40越えのオジサンからあふれ出した素朴な、そして日本語としてちょっとおかしいかもしれない一言。
なんだかとっても印象に残りました。
もう4期目となる私たちの秘かな人気プログラム「俺のヨガ」でのできごとです。プログラム名の通り、男性のみが集ってヨガをするプログラムです。ヨガはもちろん、そのあとに焚火を囲んでオジサン同士、ポツポツと語らう時間が非常にいいのであります。
仕事の仲間でも、子育ての仲間でもない。バックグラウンドが様々なおじさんたちが、特に合意を目指すわけでもなく、ただ語らうゆるりとした時間。心のヨガであります。
そんな緩やかな焚火を囲む時間に、参加者の一人からこぼれ落ちた一言。
気持ちが、気持ちいい。
焚火を囲んで語らう「サットサンガ」の時間。俺のヨガ、体験を随時受け付けてます!
その翌日の原っぱ大学のフィールドには「体験参加」としてはじめてフィールドに来られる方々がいました。原っぱ大学の体験って最初はちょっと構えがちなんですよね。なんせ、山の中ですし、初めて会う人がたくさんいるから、大人も子どもも最初は少し緊張してしまいます。
そのご家族もなんだか緊張している感じが伝わってきました。でも自然のフィールドの力というか、場の力というか、徐々に、その緊張というか硬さみたいなのが溶けていくのが伝わってきます。何をするわけでもなくて、火にあたって、他の子が遊ぶのを遠くからゆっくり眺めて、草や木の実を拾って、他愛もなく、過ごしている時間。
誰かに何かを強制されるわけではない。それでも孤立してポツンとというわけでもなくて。周囲の他の参加者や私たちスタッフとゆるやかに交流しながら場に馴染んでいく時間。1、2時間もすると固かった空気は溶けて、リラックスしてただその場にいて、その時間を楽しんでいる感じが伝わってきます。身のこなし、表情、動き、ひとつひとつから。
あ、気持ちが、気持ちよくなっている!そんな風に感じました。
そして今日のできごと。大切な人から仕事の相談を聞いてほしい、と連絡をいただき、めっこりじっくり、お話をしてきました。相談の内容は私自身が通ってきた道とそっくり。自分の経験があるからその悩みも、苦しさも、迷うことも、戸惑うことも、不安も自分のことのように思えます。そして、その方は自分では気づいていないけど、答えは全部自分の中にある感じ。その答えの輪郭を一つ一つ確認していくだけで、だいたい、進むべき道は見えてくるようで。
私は話を聞いて、そんな輪郭の確認作業をひとつひとつ一緒にやっていくだけ。それでも少しずつほぐれていくのが伝わってくる。肩の力が抜けて柔らかくなってくるのが伝わってくる。
そして、ふと思いました。あ、(私の)気持ちが、気持ちいい。
役に立った感じがあるからではなくて(それも少しはあるけど)、なんというか彼女と気持ちが通じ合った感じというか気持ちの交換ができた感じが大きかった気がするのです。
その瞬間に単なる「気持ちいい」と「気持ちが、気持ちいい」の違いがストンと腹落ちしたのであります。
たぶん、「気持ちいい」は自己完結できる感覚。サーフィンをすると気持ちいい、ヨガをすると気持ちいい、瞑想すると気持ちいい、ホームラン打つと気持ちいい、100点取ると気持ちいい…。どれも最高に「気持ちいい」し、なるべくたくさん得たい感覚であります。ただそれは、一人で得ようと思えば得られる感覚。
対して、「気持ちが、気持ちいい」は他者との関りのなかで、エネルギーの交換の中でふわっと沸き起こってくることのようなのであります。冒頭の焚火を囲んだ対話も、フィールドに体験に来てくださった方の変化も、私の今日のできごとも…、ゆるやかな関わり合いのなかから発生したものでした。
損とか得とかで測れるものではないし、役に立つかどうか、という指標でも測れない。そういう手に取りやすいものじゃないけど、なんとなく感じられて、それが感じられるといい感じな気持ちになれる。
それが、気持ちが、気持ちいい。たぶん。最初にその言葉を発してくださったKさんの意図がそのようなものだったのかどうか分からないし、日本語として正しい用法なのかどうかわからないのではありますが…。掛け替えのない、そして紛れもなくそこに存在する「気持ち」の状態に名前が付いた気がするのであります。バンザイ!
何するわけでもないのにゆるやかに流れるひとりひとりの「気持ちが、気持ちいい」時間。Photo by Misa Mine
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