生産性が永遠のゼロ。最高じゃないか。
ワタクシ、学生の頃からサーフィンが好きで続けておりまして、気づいたらもう25年ぐらいやっております。下手の横好きとはよく言ったもので、大してうまくならないのだけど、ただシンプルに海で遊ぶのが好きです。そして先日、海の中でふと思ったのであります。この時間は見事に何も生み出していないな。清々しいまでに、どこまでいっても生産性がゼロだ。
「生産性」って何だっけ?と思ったのでググりました;
生産性は、経済政策に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度である。次の式で定義される:
生産性 = 産出量 / 投入量
すなわちより少ない投入量(インプット)からより多い産出量(アウトプット)が得られるほど、より生産性が高いという関係にある。
なるほど。ワタクシの認識は正しかったのであります。海に2時間浸かって(インプット)、ああ楽しかった、ああ気持ちよかった、と感じて帰ってくる。満足度は無限大ですが、アウトプットはゼロ。ということは生産性はゼロなのであります。
同じタイミングで海に入っていた50代半ばのセンパイが夕暮れのなかで叫びました。「ああー、サーフィン好きだなー、ずっとやっててぇなー」。夕日がきれいで、風が穏やかで、形のいい波が届いていて、海の上は数人だけで。私にとって忘れられない素晴らしい瞬間でした。生産性は、ゼロだけど。
そして、改めて思うのであります。「生産性ゼロ」とは、最高の贅沢なんじゃね、と。
勤勉な労働者であり、日々、経済活動にいそしむ社会生活者である私たちにとって「生産性」はとても大切な指標であり、あまりにも当たり前な価値判断尺度として自分自身のなかに取り込んでいる気がします。
より少ない投入量(インプット)からより多い産出量(アウトプット)が得られることが善である。少しの投資でたくさんのリターンを得る人が賢くてエライ。効率よく、スピーディに、たくさん産み出す人がすごい。えらい。
勉強して(インプット)、よりランクの高い学校へ(アウトプット)。
働いて(インプット)、よりたくさんお金を稼ぐ(アウトプット)。
もっと大きな〇〇を、もっとたくさんの〇〇を、もっと良質な〇〇を…。もっともっと。私自身も含めて、多かれ少なかれ、現代を生きる誰しもの心のなかにある声な気がします(違う人もいるかもしれないけど)。
ただより大きなアウトプットを求め続ける戦いは果てしないし、きっとどこかで疲れる気がします。
対して、生産性ゼロの世界は産出量にこだわらない世界、気にしない世界。言ってしまえば自己満足の世界。アウトプットの大小など気にせず、自分が気持ちいいと思えば気持ちいい。自分が好きと言えば好き。自分がヨシと思えばヨシ。アウトプットのボリュームにとらわれないことは、自由で軽やかで、最高に気持ちいいことだと思うのです。まさに贅沢。
ちょっと話が飛びますが、本日、夏の小学生キャンプの下見に三浦半島のとある秘密の磯に下見に行行きました。知る人ぞ知る秘境の磯なのですが、そこに車を停めて60代後半~70代ぐらいの真っ黒に日焼けしたオジサマたちがのんびりくつろいでいたんです。休憩中の釣り師かな?と思ってぼんやり見ていたのですが、目があったので、挨拶して近づきました。
オジサマさちの足元には巨大な模型飛行機が何台も置いてありました。
面白そうなので聞いてみると、模型のグライダーらしいのです。「風が吹くのを待っているんだよ。ここはいい風が吹くからな、がはは」と豪快に笑っておりまして。丁寧に飛行機の飛ばし方を教えてくれました(エンジンはついていなくて、上昇気流に飛行機をのせて飛ばす。遠隔操作で舵だけ切って思い通りに飛ばすんだそうです。面白そう!!)。風が吹かないと飛ばせないから、風が吹くのをのんびり待っている。崖の上には自分たちでこっそり作った飛行機の発射場所があったり。好き勝手に遊んでいる。
そしてそう、生産性ゼロ。ただ、自分たちのために楽しい時間を過ごしているオジサマ。
かっこよかった。あんな風に年をとりたいと思った。
風が吹くのを待って、風が吹いたら飛行機を飛ばして、おしまい。生産性は永遠のゼロ。最高じゃないか。

オジサマたちの秘密の発射台から磯を望む。
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