白黒つけない。つかない。灰色がいい。
最近、AIの話をあちこちでしていると、どうやら、「あいつはデジタルに魂を売った」と思われることがあるそうです。もともと、自然、野遊び、身体、みたいなことを言っていたのに、急に趣旨替えしよってからに、ということ・・・。でもね、両者は対立しないのよ。どちらも大事でどちらも楽しい。それでいいじゃない、と思っています。
対立構造をつくって、そのどちら側に属するかで相手を判断する。これはまるで、小学校入学前の当時、息子が映画を観るたびに「この人はいいもん?悪いもん?」と聞いてきたときのよう。
特にネットのコミュニケーションをみているとこの「対立構造で白黒つける」圧の強さが目に余ります。AI賛成派と自然礼賛派、右派と左派、現政権の賛成派と反対派。派、派、は、は、は・・・・。善と悪、良い行為と批判される行為・・・。なんでもかんでも白と黒。白へは礼賛、黒へは攻撃。その中間はナシ、無視。
ばーか、と思うわけです。世の中、そんなにシンプルじゃないっつうの。白か黒か判別がつかないことだってあるじゃない。むしろ、そんなことばかりでしょ。背景にはいろんな思いと複雑さがあるじゃない。その複雑さ、自分が見えていない背景があることを想像しようよ、と思うのであります。
最初の話で言えば、僕は自然で遊ぶことが好きだし、人間においてその経験は本当に大切だと思っている。人間が自然から切り離されること、自然の中で遊ぶ機会が減っていることに危機感を覚えるし、もっともっとそういう機会を作っていけたらと思う。それに、僕自身が自然のフィールドで遊ぶことが人生の一部です(昨日も今日も、波乗りをしております…)。
一方で、AIを触ることにも夢中になり続けています。ロボットも作るし、自分の会社の業務はガンガンAIに任せて行っている。世界を変える最先端の技術に我ら一般市民が触れられ、その進化を体感できることそのものに圧倒的に興奮します。そして、その進化自体が僕らの社会にどんな変化を起こしていっているのかをポジティブネガティブどちらも、この目でみて、この身体で体感したいと思っている。
自然が好きな自分も、AIが好きな自分も、どちらもオレ。
僕からすると両者は対立するものじゃありませぬ。自然も、AIも未知の領域がたくさんあるという共通項があるわけです。そのどちらも、未知の領域にダイブして、リスクを取りながら何かをつかもうとする「遊び」なのです。その意味ではまるで変わらない。
昨日もそんな会話をしていたときに「LLMのデータセンターの消費電力、放熱、水利用についてどう考えるの?」みたいな話題になりました。その問いの裏には、「自然を(本当に)愛するなら(加速する資本主義をベースにした)LLMを推進するような発言はおかしいんじゃないの?」というメッセージがあるように感じます(違うかもしれませんが)。
自然のフィールドが職場である身として地球温暖化のヤバさは文字通り肌で直接感じています。そして、LLMのデータセンターの問題ももちろん、胸が痛いし、僕が好奇心を発動し、LLMを使うこと、Anthropic社やOpenAI社に利用料を支払うことがそうしたデータセンター建設の流れを加速する方向に(ほんの少しでも)寄与していることは否定できません。
それは矛盾かも知れないし、いいとこどりかもしれないし、自然を愛する事業者としては欺瞞かもしれない。
・・・なのだけど、人間というのはそういうもんでしょ、と思うのです。
真っ白いきれいな立場に居られる人なんていないと思うのです(同時に、まっ黒い完全な悪もいないと思います)。だから、僕は自然をフィールドに活動し、自然の中で遊ぶことを愛し続け、自然環境への感謝は持ち続ける。その一方でAIに触れ続ける。デジタルを触り続ける。そのことでちょっとしたうしろめたさ、申し訳なさも感じ続けるし、なんとかできることはないか考え続ける。矛盾かもしれないし、欺瞞かもしれないのだけど、それでいいと思っております。
白じゃない。でもたぶん、黒でもない。灰色。
お互いが灰色であることを受け入れあったたうえで、その灰色の違いはどんなものかを語り合う。どう灰色のままによりよき灰色であるか、ということを議論できたらいいなと思うのです。自然-AIの話だけじゃなくてね。政治の話、右と左の話もそうだと思っております。
しょうもない正義のぶつかりあいはもう、卒業だな。

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