身体が少しずつ老いることと、自由について
私、48歳。諸先輩方からしたらまだまだ若造でしょう。また、身体を使っている仕事をしている分、体力もある方だと思います。それでも、徐々に、徐々に、昔とは違うぜ…、の症状が増えてきました。
先日のこと、行きつけの美容室に久しぶりに(3カ月ぶりに)行って話をしました。私、もともとくせ毛なのですが、最近、そのくせっぷりが半端ない。くるんくるんと暴れまくるんです。そんな話をしたら、言われました。それは加齢です、と。「年を取ると毛が細くなって、毛量が減って、毛に癖が出るんです。これは避けられません」ですって。
わたし、肉体労働者かつ、お酒は一切飲めなない&規則正しい生活をしているほうなので、割と、健康な体をたもっているつもりなのですが・・・、それでもそこはかとなく、うっすらとまとわりつくお腹周りの肉はどうしようもない・・・。すごいついているわけじゃないんだけど、なんとなくそこにある肉。なんとなくある柔らかいやつ。とれないやつ。
先々週は台風の影響で湘南は連日、大きな波がありました。
サーフィン三昧。毎日のようにサーフィンをしていたら、あるときから、左手の肘が痛み、指先が軽くしびれるように…。以前ならそんなもんは軽くストレッチして一晩休んだら治ったのですが、ぜんぜんよくならない。整体にいってもだめ。整骨院にいって解説をしてもらったらインナーマッスルが弱っている→肩甲骨が下がる→首と肩の奥の筋肉が神経を圧迫しているとのこと。「若いころはこういう痛みはなかったんですけどね・・・」とぼやくと「年をとってくると外側の分かりやすい筋肉と内側の繊細な筋肉の力の差が大きくなってくるんです。それに気づかず外側ばかりケアしていると内側が弱ってぼろが出やすいんです」ですって。
ここ数日、立て続けに自分の「加齢」を感じるフィードバックがありました。
まあでも正直、私の身体は割と丈夫な方です。
放っておいても大丈夫。そんな自信(過信)がありましたが、身体は確実に変化している。昔みたいには動かなくなっている。あちこち少しずつ積もった痛みが出てくる。悲しいかな、これは仕方ないことかもしれません。
力で押し切る。体力で乗り切る。気力で踏ん張る。
そんな風にこれまでやってきたけど、そろそろモードチェンジが必要なのでしょうな。
医者をやっている義理の兄が言ってました。「神様は人間の耐久年齢を50歳として創った(としか思えません)と患者さんに説明しています。50歳すぎると今までとは違った次元の肉体になるのだと・・・」。
あたしゃ、まだ48歳。50歳はまだ先。老眼だってまだ始まっていないヨ。
でもまあ、こればかりは仕方ないですな。順番ですもの。
安宅和人先生が「自由」という言葉について最新のブログに書いてらっしゃいました↓
Killing Me Softly——AI時代に「自らに由る」とは
freedomやlibertyといった欧米の概念との対比での、東洋の概念としての自由。
中国古典由来の「自らに由る」、みずからをよりどころにする、を源とするこの言葉は、外からではなく、自分自身を起点として動くという意味だ。
これが仏教的な影響を受け「自由自在」という言い方につながっていく。欲望のままに振る舞うことという意味では毛頭なく、むしろ逆に、執着や固定観念、自我へのこだわりに縛られず、その場に応じて自在に動けるという状態のことを意味している。自在というのは、状況が変わっても、自分を失わず、その状況に応じて動けることだが、この意味では、自由と自在は近い。つまり、自由とは制約がなくなることではなく、制約のある世界のなかでも自在に動ける力を持つことと言える。
この軽やかな東洋的な「自由」を大事にしたいのでござる。年を取って身体が動きづらくなっても、心は自由でいたい。動きづらいなかでも、自由にあれる自分にいたい。
でも願わくば、身体も自由自在に動かし続けられる自分でいたい。AIを触れば触るほど、デジタル世界にダイブすればするほど、自らの身体をセンサーに自在に遊びまわることの喜びを感じる次第です。
自らをいたわって、無理しないで、メンテナンスをきちんと続けて・・・、よく遊ぶ。
先日、温泉に行ったときに、向こうから入ってきた爺様の身体がかっこよかったのです。御年、70歳はゆうに超えている感じ。頭はつるっとしているけど、上半身はいい感じに日焼けをしており、余計な肉がない。筋肉質だけど、身体を鍛えることが目的化した若者のそれとは違うやつ。ちゃんと使ってる身体。
憧れるな。そんな風に年を取りたいものです。

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