「言葉で説明できない」を抱きしめる。

少し前のこと。とある学生さんが言いました。「私、好きなことが見つからないんですよね」と。「スポーツとか、アクティビティとかいろいろやってみるけど、いまいち好きになれなくて。自分を少し責めちゃうんです。そういう『趣味』で人とつながれる大人になりたいじゃないですか」と続きました。なるほどー、確かにそのアプローチだと「好きを探す」プロセスそのものがしんどそうだな、と思いました。
塚越暁 2024.05.14
誰でも

少し前のこと。とある学生さんが言いました。「私、好きなことが見つからないんですよね」と。「スポーツとか、アクティビティとかいろいろやってみるけど、いまいち好きになれなくて。自分を少し責めちゃうんです。そういう『趣味』で人とつながれる大人になりたいじゃないですか」と続きました。なるほどー、確かにそのアプローチだと「好きを探す」プロセスそのものがしんどそうだな、と思いました。

彼女が探していたのは「ゴルフ」とか「ヨガ」とか「サーフィン」といったわかりやすいラベルがついていて、ちょっと素敵で、自己紹介の趣味の欄に書けるような「好きなこと」だったようです。もっと聞いていくと、そういう他人に言えるキラキラした「趣味」がないとなんかダメっぽい、みたいな思いがあったみたいです。

そんなある種の義務感で「好き」を探したら、そりゃしんどくなるし、本当のワクワクを見失ってしまいそうな気がします。ワクワクや好き、という気持ちはもっと原始的で捉えどころのないただ中にただよっているのだよな、と思うのであります。

彼女と言葉をもう少し交わしていくと、「私、人とお酒を飲むことがすごく好きなんです」と伝えてくれました。十二分にそれが「好きなこと」だと思うし、それで十分だと思うし、そのことを大切にしていったらいいと思った次第です。

大人も子どもも、私たちはとかく、説明を求められすぎているのかもしれません。

「私が好きなことは〇〇です。なぜならば…」。「私の将来の夢は△△です。なぜならば…」。「私は御社に入りたいです。志望の理由は…」。などなどなど。小さなころから繰り返し、自分の考えや気持ちを合理的に、論理的に言葉で表現することを訓練され続けてきた気がします。

あるいはSNSを通じても、言葉のわかりやすさはもちろん、ビジュアルでのイメージのしやすさ、共感のしやすさとかとか、自分の経験や気持ちや考えは他者に説明することが大前提だと考えるようになっている気がします。

でもたぶん、本来的に「楽しい」とか「好き」という根源的な気持ちと、他者への説明はまったく別の話で。説明できないけど、何だかわからないけど楽しい、好き、というものが私たち一人一人の奥深くにあるのだと思います。

原っぱ大学のフィールドで言えば、私たちが「名もなき遊び」と呼んでいる子どもたちの姿があります。ただ無目的に釘を打ち付けるとか、そこらへんの木の枝をひたすらツンツンしているとか、ガラクタとかガラクタを組みあわせてさらに意味不明のガラクタを生み出すとか…。名前をつけようもない、説明をしようもない行為に没頭する子どもたちがたくさんです。

本人たちはその瞬間に没頭しているから、あとで「あれは何だったの?」とか「なんであれをやっていたの?」と聞いても説明できないし、場合によってはその行為を憶えてもいません。

ああ、素晴らしいかな。いまここに没入する姿。その瞬間の好き、やりたい、楽しいをそのまんまに体現するその在り方。

我ら大人は説明すること・人に伝えることの訓練を重ねるなかで、そんな風に没頭することを忘れてしまったのかもしれません。説明できない時間は「無駄」と排除する習慣がついているのかもしれません。

でも別に説明なんてできなくたっていいよね。「すごいね」って言ってもらえなくたっていいよね。「だって好きなんだもん」、「だって楽しいんだもん」、「だってやりたいんだもん」とシンプルに言いきれる瞬間をたくさん重ねることが幸せだと思います。たとえそれがどんなに些細なことだとしても。たとえ人が理解してくれなそうなことたったとしても。

そんな感覚はとっくに忘れてしまったよ、というのであればぜひ大人の皆さん、一緒に遊ぶところからはじめましょうぜ。

先日リニューアルした原っぱ大学は「おとな学部」を開設しました。大人たちが集って、説明不要に遊ぶ。そのなかで、自分なりのワクワクする瞬間、好きな瞬間に出会っていく。もちろんその過程でこういうのは嫌い、苦手、というものにも出会うでしょう。それもまたよし。他者に説明する必要はなくて、ただ、自分の感覚をよりどころに何が好きで、何が嫌いかを重ねていく。そこに一貫性がなくていいし、説明ができなくていい。その場その場の自分でいい。

そんな風に、言葉を超えた時間を大人同士で重ねたい。それは私たち大人が自分自身への優しいまなざしを育むプロセスだと思うし、他者、特に子どもたちへの優しいまなざしを育むことにつながるともうのです。

そんな思いで「おとな学部」開いてます。

ぜひ遊びにお越しくださいませ。

以下「おとな学部」にまつわるリンクです。ご興味ある方ぜひ!

ものすごい集中力で全身の力を使ってなんかやってます。が、彼が何を思って何をやろうとしているのか外側からはまるで分らないし、この写真は数年前のものだから本人だって覚えていないと思う。でも、自分に沸き起こる欲求に忠実な、こういう時間の蓄積が大切だよな、と思うのであります。

ものすごい集中力で全身の力を使ってなんかやってます。が、彼が何を思って何をやろうとしているのか外側からはまるで分らないし、この写真は数年前のものだから本人だって覚えていないと思う。でも、自分に沸き起こる欲求に忠実な、こういう時間の蓄積が大切だよな、と思うのであります。

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