結果を急がないこと。急いじゃうけど…。
子どもと関わる仕事をしていると常々思うのが「結果を急いでしまう」自分との戦いだということ。ここでの「結果」は成長とか目標達成だけでなくて、子どもが発する「楽しかったー」という感想だったり、「ありがとう」という言葉だったり、爆発する笑顔だったり、その全部。そしてこのことはたぶん、「親」という役割においても一緒だよな、と思うのです。
今日はそんなお話です。
原っぱ大学の場は一生懸命作っている場だし、その準備や天気予報とにらめっこしてのドキドキや当日の運営の緊張感は私たちスタッフにとってなかなかのものです。その大変なことを何のためにやっているの?と聞けば、私を含めた多くのスタッフが「参加してくださる方々の笑顔」とシンプルに答えると思います、多分。
笑顔はうれしいし、私たちの活動の原動力。間違いない。
でもその「笑顔」(≒結果)を得ることを私たちが急いではダメだよな、と自戒を込めて思うのであります。子どもが何かを「できるようになった」という成長もしかり。「できるようになった」ということは関わった人間として共に喜びたいし、実際とても嬉しいこと。だから結果を共に味わうのはすごーくありがたく大切なことだと思うのだけど、その「結果」を急いではならん、そう思うのであります。
思い通りの「結果」のときはそんなことあまり意識することもないんです。皆で笑顔で、あー楽しかった、で済む話。ただ、人と人との場だから、思い通りにいかないこともあります。
先日のこと、割と楽しく穏やかで和気あいあいとした時間が過ぎたフィールドの後半で、ちょっとした行き違いが原因でトラブル発生。一人の子が泣きながら「もう帰る」となりまして、立てこもってしまいました(生の現場ですから、こうしたことは割とよくあります、はい)。
もちろん、私たちとしてはそんな状態で帰したくないですし、行き違いが起きた原因を整理して消化して、すっきりした笑顔で、楽しい思い出だけを持ち帰ってほしいと切に願っています。
ただ、現実はなかなか思うようにはいきません。
「もう帰る」の一点張り。籠城から出てこない…。
こんなシチュエーションのときに、私は問われていると感じます。結果を急いでいないか?と。
この場合の「結果」は彼の笑顔であり、籠城の解消であり、「もう帰る」という発言の撤回であります。場の主催者であるワタシはその「結果」を勝ち取りたい、という欲望がむくむくと沸き起こってきます。その時こそが要注意。
なぜなら、その「結果」は私にとっての結果なんですね。はっきり言ってしまえばそれは「場の主催者の私が欲している私のための結果」。それと、彼が望んでいるそのときの在り方、やりたいことはズレている可能性がある、そのことに思いを馳せる余裕が自分に欲しいなと常々思います。
「笑顔になる」のも彼の選択。泣き続け、立てこもり続けるのも彼の選択。「もう帰る」と主張し続けるのも彼の選択。帰るのを撤回するのも彼の選択。
主体はこちらではなく向こう側にある。そのことを忘れないこと。その前提のうえで、私自身の言葉で私自身の思いを彼に伝えること。ひとりの主体として。短期的な「結果」にこだわるのでなく、「結果」を急ぐのでなく、私の言葉が彼に届くように、言葉を扱う。
怒りだったり悲しみだったりを深く味わうことはときに大切だと思うし、そこから急いで立ち直るのが「正解」かというとそんなこともないと思うんです。だから、結果をコントロールしようとしない方がいい。彼が立てこもり続けて、泣いたままに家路について、「もう原っぱ大学には行かない!」となったとしても…(それは私にとってはとても悲しい、避けたいことだけれども)、その選択は彼の選択なんです。
願わくば、私の言葉が彼の心の奥深いところに届いて、長い時間軸のなかで何等かよききっかけになってくれたらいいな。よききっかけにならなくてもそうした積み重ねで彼の人生がより良き方向に向かう小さな一助になっていたらいいな。その願いに託しつつ、彼の選択を尊重するしかない、と思うのであります。
ちなみに、その日、その彼は立てこもりから出てくることなく、帰り際に笑顔を見せることなく帰っていきました。でも1時間ぐらい彼と1対1で対峙したなかで、私が私自身の言葉として彼に伝えたことは深いところに伝わったであろう感触はありました、たぶん。きっと。願わくば。
きっと届いた。何かを受け取ってくれた。そう信じることが、私ができること。
たぶんこれは、親子関係でも一緒だと思うのです。とかく私たちは結果を急いでしまいがち。それはもう、仕方のないことだと思う。でもでも、だからこそ、願わくば急ぎすぎていないか、その私たちが欲している「結果」は子どもたちのものではなく、私たち大人が一方的に望む「結果」ではないか。そこに意識的であれたらなと思うのです。
そして、そのことは「親子」の閉じられた関係だけだとどうしても客観視し、意識的になることが難しいと思うから…。ちょっと距離の第三者の関りが大事だと思うのであります。
だから、原っぱ大学が必要だ!
そうだ、原っぱ大学に行こう!
たき火の気持ちいい季節がやってきました。皆さん、フィールドにおいであそばせ!(はい、宣伝でした)
原っぱ大学の最新のプログラムカレンダーはこちら
おやこ学部体験ご希望の方はこちら。※通常1回1家族11000円の体験費ですが、メルマガ読者の皆様は5500円にて。こちらより。パスワード harappadaigaku といれてください。
思い切り宣伝を挟んでしまいました…。
子どもたちが何をどう受け取って、どう反応するかは究極的にはコントロールできないし、コントロールしようとするものではない。だからこそ、子どもたちの溢れる笑顔や、楽しそうに弾ける姿や、ふと発される感謝の言葉や…、そういった胸が温まる瞬間というのは圧倒的なギフトだと思うのです。そのギフトは心に刻みこんで受け取れりたいな、と思う次第です。
この三連休のおやこキャンプのワンシーン。たき火が気持ちいい季節になりました!
すでに登録済みの方は こちら