12年経って、元の位置に立っていた私。

「身近な自然で発見体験」。これ、私が12年前に、原っぱ大学の前身の「子ども原っぱ大学」を立ち上げたときのタグラインでした。12年経っていろんな経験を重ね、トライ&エラーしてきたけど、シンプルに、「身近な自然」がワタクシの居場所だと改めて腹落ちしました。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.07.02
誰でも

「身近な自然で発見体験」。これ、私が12年前に、原っぱ大学の前身の「子ども原っぱ大学」を立ち上げたときのタグラインでした。12年経っていろんな経験を重ね、トライ&エラーしてきたけど、シンプルに、「身近な自然」がワタクシの居場所だと改めて腹落ちしました。

身近な自然、すなわち「原っぱ」です。12年前に「子ども原っぱ大学」と名付けたとき、正直、あまり深く考えていませんでした。当時、割と「〇〇大学」という名称のサービスがいくつかありまして、「大学」って音の響きがいいな、と考えたのがひとつ。自分が大切にしたいことを言葉にしようとあれこれ考えていて、結果、たどり着いたのが「原っぱ」という言葉でした。イメージはドラえもんの空き地。あの空き地のように、ひとりひとりが感じるままに遊べる場、そんなことを考えていました。

ちなみに、当時、ネーミングを考えていたときのノートが手元にありまして、恥ずかしいけど公開するとこんな感じです。五感総動員学園(GSG)…。これを選ばなくてよかった…。

「自然」の対義語ってなんだろ?と思って調べたら「人工」と出てきました。その一方でこんな素敵な文章が検索結果に出てきたのでシェアさせてください。20年以上前に書かれた、兵庫県の自然に関する文章のようですが、頷くしかありません。

本文から引用すると・・・

自然の反対概念が人為・人工であるという共通の解釈が成り立つようになったのは、人為・人工の技法が飛躍的に発達し、いわゆる科学技術が自然に与える圧迫が極端に強くなってからである。
兵庫の自然環境 -現状とこれから-

とのことです。感覚として分かるのです。自然と人工は本来、対立概念ではなくて…。人のなりわいも大きな意味での自然の一部分。人は自然の中で、関り合いながら生きるのがそれこそ「自然」なことだと思うのです。そしてそのとき、私が意味する「自然」は、決して、清流が流れていて新緑に囲まれた高原とか、真っ青な透き通った海とか、息をのむような山々と迫力のある滝とか、そういうものである必要はないと考えています。

それこそ、23区内でも雑草が生えて、セミが鳴いて、場所によってはカブトムシやヤモリが住んでいるし、川には野鳥や亀がいるわけで。そういうものと共に生きる感覚が大切だと思うし、私はその楽しさ、気持ちよさ、大切さをシェアしながら遊び続ける人でありたい、と思うのです。

家族に内緒にしていたのですが…。先日のこと。我が家で飼っていたニホンミツバチの巣を採蜜しようと、蜜の詰まった蜂の巣を私の部屋にしばらく置いておきました。なんかの拍子に巣から蜜が部屋の畳に垂れてしまったのですね。蜂蜜はベタベタしているし、ハチがせっかく集めた蜜をふき取ってしまうのも申し訳ないし、何より面倒だから、としばらく放置していたんです。そうしたら、蟻の群れがやってきまして。蜜にたかっているんです。おおお、と思ったけどその蟻たちも放置していたところ、2,3日して群れはいなくなり、垂れた蜜はすっかりきれいになっていました。自然と共に生きる、ってこと…、ですな。たぶん(違うかな)。

自然は、敵ではない。排除すべき対立項目ではないし、肩ひじ張って守るものでもない。どこか遠くの巨大な自然にわざわざ触れにいかなくても味わえるもの。私たち自身が自然の一部分だから。シンプルにその感覚を共有したくて、原っぱ大学があるんだよな、なんて思いました。

週末に原っぱ大学の「おやこ学部」の活動が逗子のフィールドでありました。降り続く雨のおかげで、いつもの沢に水が溢れていました。ふだんはちょろちょろと流れるだけの沢がゴーゴーと滝のようになっていました。急遽、皆で探検に出かけてずぶ濡れになってシャワークライミング。この日、このタイミングでしか味わえない最高な「身近な自然」の触れ方でした。

そしてそのテンション、勢いのままに原っぱ大学名物の泥滑り台。大人、子どもが全長50mほどの泥スライダーを猛スピードで滑走していく、よくわからん遊びです。文字通り、耳の穴まで全身泥だらけに。

その日、体験で参加してくれた友人がこんな素晴らしい言葉をくれました↓

「ワタクシ、これでも5大陸でさまざまな遊びにチャレンジして来ましたが、まさか逗子でこんな体験が出来るとは夢にも思っていませんでした🤯 泥スライダー最高です! スライダーのアドレナリンもだけど、泥のなんとも言えない感触もやみつきになりそう。」

もう、嬉しすぎる。光栄です。

「自然」はどこか遠いところではなくて私たちの暮らすこの町に、私たちがときにスルーしたり排除したりしようとする足元に、目の前にあったりするのですな。そんな事実を言葉で理解するのではなくて、身体をセンサーに、体感すること。私たちが自然の一部分だと感覚で理解すること。

そんな機会をたくさんつくっていくことが、ささやかだけど、私の、そして原っぱ大学の、未来に向けての大きな使命だな、と思うのであります。

  身近な自然を感じたくなった皆さま、ぜひ原っぱ大学に体験にお越しくださいませー。親子参加(おやこ学部)、小学生以上の子どものみ参加(こども学部)、大人のみで遊ぶおとな学部があります!  

「身近な自然」と一体化しました。

「身近な自然」と一体化しました。

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