働くことはしんどいこと、なのか?
皆さんは「働くことは楽しいことですか?」と小さな子どもに聞かれたらどう答えますか?ありがたいことに今の私は「楽しいよ!」と自信をもって答えられる気がします。が、弊社の社員のケイちゃん(43歳男性)は「働くことはしんどいものだ」と思い続けていた日々があったと言います。働くことは、しんどいことなのかしら!?
「働くことは楽しいことですか?」と子どもに聞かれたときに「楽しいよ!」と大部分の人が言える社会って理想的ですよね(←と、ワタクシは思うのですが皆さんいかがでしょう?)。子どもたちはいずれ、大人になって、たぶん働くことになるはず。そんな未来の働き手が「そうか仕事は楽しいのか」と私たち大人の背中を見て育つ、というのは健全な社会だと強く思うのであります。
一方でこういうことを書いていると、「何をきれいごと言ってるんだ」「働くのはしんどいことだぞ」「お金をいただくのに楽しいとか甘いこと言うな」とかとか、そんな指摘が飛んできそうです。でもね、きれいごとを胸張っていうことって大事なのだと思う。こうあったらいいぜ、の理想をガンガン発言する2024年にしたいのであります。
もちろん「楽しい」には人それぞれの楽しいがあって、その内容や言葉の意味付けは様々だと思うのですが、それでも「仕事は楽しい」ってシンプルに言い切れることは未来への希望になるでしょ、と思うのであります。
ワタクシ自身の経験でいうと今の仕事も、その前の仕事も総体的に「仕事は楽しい」と思い続けてきました、ありがたいことに。一方で我が社の社員ケイちゃんは「仕事はしんどいことだ」と思い続けてきたそうです。「仕事がしんどい」ってどういうことなのかしら、と思いケイちゃんに話を聞いてみました。
大学新卒から、大企業でエンジニアとして20年間働いてきたケイちゃん。就職して最初の数年は仕事を憶える期間で楽しいもしんどいもなく、ただがむしゃらだったそうです。数年経って仕事を憶えてから10年目ぐらいまでは、今思い返せば「仕事が楽しかった」そう。
エンジニアという仕事柄、シンプルにものを作ることは楽しい。当時は労務管理も今ほどうるさく言われていなかったから、徹夜してこだわってよりよいものを作る。そのときの上司の方が人間的にも魅力で、その上司のもとで皆で一体となってものをつくる。
「体力的にはしんどいこともあったけど、あの頃は仕事が楽しかったなって思うな。今、改めて聞かれて思い返すと。」
分かる気がする。チーム一丸となって時間を忘れてものをつくるのはそりゃ楽しい。では、いつからケイちゃんは「仕事はしんどいもの」と思うようになってしまったのかしら?
「いつからなんだろう…。課長になってチームをもって、手を動かす現場の仕事から離れていって。コストを削るとか、マネジメント業務とかばかりになっていって。仕事の内容についても自分でコントロールできることがどんどんなくなっていったんですよね。」
コントロールできることがなくなるって?
「クライアントのオーダーに対して確実にこたえていくというか。やることはコストカットぐらいで裁量の幅がまるでない。工夫の余地もない。ただ粛々とこなすこと、納期どおりに納めることを求められる。」
うむ、そりゃ面白くない。
「管理職をやっているといろんな人と働くわけで。当然、ネガティブな思いが湧いてくることもあるのだけど、そういう感情はギューッと小さく押し込んで『あの人はこういう人だ』とラベルを貼って、自分の感情に蓋をしてやり過ごす。このままではやばいと思って…。スキルと知識を身に付けて会社の環境を変えようとビジネススクールに通ったけど、今度は家族との時間を圧迫するし、なんだか八方ふさがりな感じ。」
そりゃしんどい。
「とてもしんどいけど逃げ出すことは格好悪いと思って逃げ出せない。僕がいないと仕事は回らないと思うから歯を食いしばる。で、時々、体調を壊す。」
がんばってがんばって、さらにがんばってよりよくしていこうと踏ん張るし努力するし、そうやって積み重ねれば積み重ねるほどしんどくなっていく。人間的なつながりもシャットダウンしてその状況はつらすぎる…。
「当時は働くということ自体がしんどいことだと思い込んでいた。でも家族のためにがんばらなきゃだし、自分が居なきゃ仕事が回らないという思いで必死だったんだなって。」
「今、改めて考えれば仕事が楽しいかどうかは自分次第なのだと思う。仕事のどこに楽しさを見出すかは捉え方次第なんだなって。でもまあ、今あの環境に戻って『楽しい』と言えるかは自信がないけど…。」
いたって正直なケイちゃん。
「子どもに自分の背中を見せたいんですよね。子どもに『幸せになれ』って言ってるのに自分が幸せでない、しんどい背中を見せているのはないなって。原っぱ大学の仕事をはじめたときに息子が『パパ楽しそう』って言ってくれたのがすごくうれしかった。そうありたかったってつくづく思うんです。お金の面はしんどい部分がありますが(←シャチョーとしてごめんなさい。一緒にがんばろう!)、今の選択は間違っていなかったって思ってます。」
自己決定ができないこと、感情を発露できないこと、いろんなことを我慢して抑え込んで、何とかやり過ごすこと。粛々とオーダーをこなすこと。これが「仕事」の要件だとしたら、そりゃ仕事というものはしんどいことだろうなと思います。でもきっと、ケイちゃんが言うようにどんな仕事もとらえようによっては「楽しむ」余地を見つけられるのだと思う。
あるいはケイちゃんが43歳でエイ!と決めてHARAPPAに飛び込んできてくれたように、いつでも私たちは自分の環境を変えることができるのだと思う。
それで生きていけるのか?収入をどうするんだ?家族を路頭に迷わせないのか?…いろんなリスク、不安要素は浮かぶかもしれないけど、ケイちゃんが自分の子どもに楽しんでいる背中を見せたい、と決めたこと以上に大切なことってあるのかしら、とワタクシも思う次第です。
我が子に「幸せになってほしい」と願わない親はいないと思います。その願いの第一歩として、我ら大人自身が積極的に幸せになりにいき、楽しく働いて。その背中を見せることで、子どもたちも幸せな未来をリアルに思い描けるそんな社会を共に作れたらなと思います。
理想的に過ぎると思われるかもしれないけど、わが社に飛び込んできた43歳ケイちゃんはそんな選択をして、そんな背中を子どもに見せられ続けるように、日々、トライ&エラーをしているかっこいい男です。
社員自慢みたいになってしまった。今日の結論:働くことはしんどいことかもしれないけどそれはきっと変えていける。自分が決めることで。
道なき道をかき分け進むケイちゃん。その背中を息子は見つめ続けているぜ!
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