これで、いいのだ、40代。
ワタクシ、45歳です。いい年ですね。なんだかひとつの節目を感じるお年頃です。私自身はもちろん、周囲の友人・知人とちょっと立ち入った話をすると表面的な成功や元気の良さとは関係なく、心中に複雑な思い、苦しさ、不安、混乱を抱えている人が多いお年頃だなと感じます。そんなわけで今日は「40代の苦しさ」について書きます。
孔子の有名な言葉、「三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従う」。含蓄深いですね。孔子先生は40歳にして惑わなくなったようなのですが、ワタクシは惑いまくりの45歳でございます。
もうひとつ。以前、教えてもらったのですが「シュタイナー教育」のルドルフ・シュタイナーさんの人間は7歳周期で発達する、という考え方がとっても面白いので紹介させてください。
最初のフェーズが~7歳、8歳~14歳、14歳~21歳の3段階。ここは「受肉」のプロセスで大人に成長していく期間なんだそうな。22歳~28歳、29歳~35歳、36歳~42歳。ここは大人としての「自己」を確立していくフェーズ。そして、次のフェーズが43歳~49歳、50歳~56歳、57歳~63歳の3段階。若かりし日の「受肉」の反対で「離肉」(←肉を離れる。すごい言葉ですね!)のフェーズなのだそうです。(ワタクシの浅い理解なので正確でなかったらごめんなさい!)
孔子のお話と、シュタイナーのお話。全く異なる文化的背景から作られたものだと思うのですが、時代や文化を超えて、人間の年齢による変化には共通項があるのだなと感じます。
で、我らが40代。「自立」のフェーズから「離肉」のフェーズに大きく段階が変わるときなんですよね。そりゃ惑う。惑いまくる40代だからこそ、孔子もきっと惑いまくった先に訪れる「惑わず」についてあえて書いたのかな、と思います。
仕事においても家庭やプライベートな暮らしにおいても、必死に積み上げてきて、磨き上げてきて、成功パターン的なものを手に入れてきて、だいたいこうやればOK、みたいなのが見えてくる気がするのが我ら40代なのだと思います(推測)。
そうやって「見えた」気になった矢先に何かの歯車が合わなくなる。あるいは、がんばりすぎてきて踏ん張りが効かなくなる。あるいは、これまでの「成功パターン」が裏目に出続ける。そうして混乱するけど、その状況を受け入れられない。心の内ではグルグル混沌としているけど、外面は冷静そのもの、順風満帆の自分のふりを続ける。
なかなかややこしいぞ、40代。
おそらく、仕事のフェーズ、子育てのフェーズ、自分の親との関係性、自分の体力…。そういうあれやこれやが変化していくタイミングにおいて、自分の限界や癖、しがみついてきた成功パターンを見直して、書き換えるチャンスがやってくるのが40代なんだろうな。
そして、悲しいかな、そのチャンスは大抵の場合、「トラブル」とか「苦難」の顔をしてやってくるようです。そりゃ苦しいし、しんどいのであります。
でもきっと、その苦しさと向き合って、これまでの「いい感じの自分」をいったん捨てて、新しい自分に生まれ変わる必要がある。それができたら、きっと「惑わず」になれる。これ、どうやら太古の昔から、洋の東西を問わず40代が通る道筋のようでございます。
でもしんどいもんね。ワタクシもしんどい、真っ最中でございます。
ちょっと乗り越えたかな、と思ったらまたやってくる。繰り返しやってくるマラソンみたいなもの。しんどいけど、負けないぞ。
話がちょっとだけ変わりますが、男たちが集うヨガの場、「俺のヨガ」の先生をしてくださっている佐藤ゴウさんが教えてくれ、僕の心に残っているヨガ哲学の教えが3つあります。この3つはきっと、そんな苦しい40代の救いになると思うのでシェアしますね(ゴウさんのお話をベースに僕の解釈が入ってます。違ったらごめんなさい)。
教えその1。「人間は不完全にできているよ」
ヨガの教えにおいて、神様はあえて人間を「不完全」に作ったそうです。どんなに「完全」を目指しても決して「完全」にはたどり着かない。人は宿命として不完全。だからこそ、助け合って生きていくしかない。それぞれの強さを活かし、弱さを補いあうしかない。お互いを生かしあっていくしかない。そのことに気づくために人は「不完全」にできているそうな。我らすぐ「完ぺき」や「完全」を目指したくなるけど、それはどうやら無理なことらしいです。
教えその2。「目の前のできごとは全部、前世のカルマのせい」
今世の出来事は常に、前世のカルマが引き起こしている(だからどうしようもないんです)。割と身もフタもないのだけど、今、目の前で起きている出来事は前世のカルマが引き起こしているから、どうしようもない、今世の自分にはどうにもならない(だから責任を負いすぎなくていいよ)。「責任」を重んじる我ら現代日本人には新鮮な考えだけど、この開き直りが心地よくありません?全部、カルマのせいだ。
教えその3。「あとは神様がやってくれる」
神さまたちの存在が生活の大前提となっているインドの暮らし、ヨガ哲学の世界。自分がある程度までやったらあとは神様が「よしなに」してくれるそうな。だから責任をイチ個人で背負いすぎる必要ない。そこそこやったらあとはなるようになる、神様が良きに計らってくれる、ということらしいです。
ほら、なんだかちょっと、気が楽になるでしょ。世界の見方が変われば同じ状況でも感じ方は変わるものですな。ちなみにゴウさんの好きな言葉は「これでいいのだ」だそうです。(ヨガの教えをもう少し知りたい男性諸氏、「俺のヨガ」をチェック!10月からの第2期の参加者を募集中です。宣伝でした)
えーっと、何の話をしていたのだっけ。
40代、苦しいこと、向き合わなければいかんことがたくさんあってしんどいですが、一度、一呼吸を置くことがきっと大切。私たちはどうがんばっても不完全なわけだし、全部カルマのせいにして、神様がやってくれることを信じて、「これでいいのだ」と自分に言えたらいいじゃないか。
そのうえで、改めて真摯に毎日を送っていきたいものであります。「不惑」を目指して。
photo by Keiko Uchiyama
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