僕らは、世界を変えられる、絶対。

ここ数週間、生成AIの指数関数的な進化に対して、危機感を抱く(煽る)二ュースやSNS投稿を目にすることが増えてきました。私自身は生成AIに救われ、希望を感じているし、楽観的です。一方で、漠然と不安に包まれている人たちがいることも感じております。その不安は世の中の大きな外的変化に為すすべもない一個人の絶望から来ているように思います。
塚越暁 2025.12.23
誰でも

ここ数週間、生成AIの指数関数的な進化に対して、危機感を抱く(煽る)二ュースやSNS投稿を目にすることが増えてきました。私自身は生成AIに救われ、希望を感じているし、楽観的です。一方で、漠然と不安に包まれている人たちがいることも感じております。その不安は世の中の大きな外的変化に為すすべもない一個人の絶望から来ているように思います。

世の中の大きな、急速な変化の前にはそりゃ不安になる。ただ、ワタクシが確信をもって思うのはリアルワールドを生きる私たちは、絶対に、世界を変えられるということ。そして世界を変えられるのであれば、外的環境によって不安に支配されるなんてもったいない。

原っぱ大学の現場で遊んでいると、私は日々、人々が「世界を変える」瞬間に立ち会いまくっております。ここ1週間でもそんなシーンばかりでした。少し紹介させてください。

自分たちの汗の積み重ねで「鉄」ができる。

この週末の活動のひとつは「たたら製鉄」。

大人と子どもが一緒になって、炉を組んで、海岸で集めてきた砂鉄を炉にいれて、手押しふいごを交代で数時間、押し続け、炉の温度を1200度に保ち続け、鉄をつくるというもの。もののけ姫でエボシ御前の「タタラ場」のあれです。

ふいごを押し続けるのは大人でもしんどい全身運動。それを子ども、大人が交代でひたすらにやり続ける。止めてしまったら炉の温度が下がってしまうから、ひたすらに、前後運動を続ける。炉の中の状態は最後に開けてみないとわからないから、うまくいっていることを信じて漕ぎ続けるしかない。数時間、ひたすらに、ひたすらに。

満を持して炉を開くと、真っ赤に固まった鉄の塊(ほとんどはケラと言われるカス)。その塊を冷やしたのち、トンカチで叩きまくると小さな破片になる。その破片を磁石に近づけると…、くっつく。小さな小さな、ゴミみたいな破片だけど、それは紛うことなき鉄。

私たちが世界を変えた瞬間。海岸から拾ってきたさらさらの砂鉄を「鉄」の塊に変えた瞬間。

子どもも大人も、その小さな石ころみたいな鉄を大切にポケットにしまって持って帰りました。他人から見ればただの磁石にくっつく石ころみたいなもの。でも、その場にいた一人一人にとってそれは、世界を、実際に変えた証明。だから大切に持って帰るんだな。

真冬の海で大人だって遊べるのだ。

もうひとつ、小さな事例。「たたら製鉄」の前日は大人たちが集って遊ぶ、おとな学部の活動でした。この日は寒中水泳。逗子の海に水着1枚で飛び込んで遊んで、冷えた身体でドラム缶風呂で温める、ただそれだけ。

その日は生憎の曇天&小雨。12月の雨のなか、水着1枚で海に飛び込むなんて意味不明。でもそれでいい。それがいい。

いい大人たちがわー!きゃー!と言いながら海に駆けていく。ドボンと水に飛び込んで遊んでいる時間はものの数分から長くて10分ぐらい。あっという間にあがってきて、あとは交代でドラム缶風呂で温まる…。

ただそれだけなのだけど・・・。この小さな時間で世界が変わる。世界と、自分との関りが変わる。冬の海に入るなんて信じられない、できない、と思っていた自分がアップデートされる。(もう二度とやらないかもしれないけど)冬の海でも人は遊べるんだと知る。案外、それほど寒くないんだと知る。ドラム缶風呂の温かさ、気持ち良さを知る。

自分から見る世界の景色がほんの少し変わった瞬間。

世界が、変わった瞬間。

子どもたちこそが、世界を変える天才。

世界は私たちの働きかけで実際に物理的に変えられる。火をつける、木を切る、穴を掘る、小屋を建てる、石を投げる、レンガを砕く、魚を捕まえる…。なんだっていいんだけど、その小さなアクションで、確実に世界は変わる。

さらには私たちの捉え方ひとつで世界の見え方も変わる。

海が、森が、川が、近所の小さな空き地が、押入れが‥、私たちの見立てひとつで遊び場になる。石ころだって小枝だって泥団子だってセミの抜け殻だって貝殻だって、大切な宝物になる。メルカリで買ってきたドラム缶で沸かした海水のお風呂がどんな温泉よりも贅沢な時間になる。

と、ここまで書いて、改めて思うのであります。
子どもは世界を変える天才だな、と。

子どもたちは日々、世界を変え続けている。障子に穴をあけるときも、壁に落書するときも、意味もなく石を投げるときも、そこらへんあるものをいきなり壊すときも、きっとそれは世界に対して働きかける行為だ。世界を変える営みだ。自分は世界を変えられるという実感を獲得しにいっているんだ(だからきっと、大人はそんな時間をなるべく、邪魔しちゃダメ)。

戦いごっこにしても、おままごとにしても、よくわからない独自ルールの鬼ごっこにしても、それは世界の見方をアップデートしている時間なんだな。

そんな子どもらのあり方には、僕らがこの変化の時代を生きる知恵がたくさん詰まっているのかもしれない。子どもたちが先生なのかもしれない。(原点回帰でございます)

私たち大人も、ほんの少しの勇気を握りしめて世界を変えに行こうぜ。絶対に、世界は変わるから。そしてその実感は、漠然とした不安をかき消してくれるから。

そんなことを言っても何から始めればいいか分からない?

そんな皆様はどうぞ原っぱ大学へ遊びにお越しくださいませ。(おあとがよろしゅうようで)

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