オジサン初心者の剣道。自由について。
センパイに誘われてなんとなくはじめた剣道。今年の1月にはじめたので気づいたら半年経っていました。たかが半年、されど半年。ワタクシ、「練習」とか「トレーニング」とか嫌い。人と時間とか場所とかを合わせるのも苦手。基本、ぐうたら。・・・というわけで、武道とか格闘技とは今世では無縁だと思っておりました。
人生とは不思議なもので、ときどきよくわからない想定外が起こります。
地元の大切な先輩からの声がけだったこと。活動時間が僕が参加しやすい時間だったこと。誘われたときに少しだけ心の余裕があったこと。父が剣道をやっており、実家に亡き父の道具がのこっていたこと・・・。などなど、状況がなんとなく重なって初めてしまった。
はじめてみたものの…。痛い。重たい。息苦しい。そして何よりも、身体が思ったようにまるで動かない。想像した動きと、実際の動きの乖離っぷりが甚だしい。一体何なんだこれは・・・。一生懸命やっても「違う!」と怒られる(もとい、指摘していただく)。
意識すべきことが多すぎて混乱する。足の位置、重心、体重の運び、竹刀の握り方、竹刀の位置、腕や肩の力加減、目線、タイミング、声、気合…。ひとつに意識を向けると別のことがズレる。ひとつができるようになると別ができなくなる。頭と身体の回路がなかなかつながらない。50歳間近のおじさんが経験なしから剣道をはじめるなんて、どうかしてるぜ。
かたや、一緒にやっている小学生たちの上達スピードは目を見張るものがあります。嫌になっちゃうな。
何で練習場に足が向くかと言えば、誘ってくれた先輩の顔をつぶしたくないから、というのが8割ぐらいなんだな(だって練習に行く直前はいつだって少し憂鬱だもん。次の日の予定が…、とか言いたくなるもん)。始めた以上、もう少しやってみよう、、、と逃げ出したくなっても、なんとか練習に向かうのであります。
剣道は当然なのですが、「道」なわけで、身体の使い方の決まりごとが山ほどあるわけです。足の位置と運び方、手の位置と動かし方、重心、目線・・・。基本、好き勝手やりたいワタクシからすると、このお作法と決まりごとが窮屈で仕方ない(私の大好きなチャンバラとは違うんですよね、当然…)。そしていつだってその練習の繰り返し。
そんなわけで、半ばしんどいだけの剣道だったわけですが、夏の間はいろいろと予定が重なってしばらく練習に行けておりませんでした(ラッキー!)。そして、先日、久しぶりに時間があって練習にいきました。
しばらくぶりの竹刀、しばらくぶりの防具。
もちろん身体は思うようには動かないのだけど、あれ、何だか少し前と違う感覚がある。周囲が少し見える気がする。肩の力が抜ける気がする。これまでの練習でいろんなことを言われてきたのだけど、そのあれこれのなかの、大事そうな言葉の中心だけが残って、余計なことを考えなくてよくなっている(気がする)。
練習の最後に試合形式の稽古があるわけですが、この時の感覚が以前と少し違った。これまではやみくもに竹刀をふるって相手を力でねじ伏せようとしたり、思い切り1本とられて凹んだり、相手にムカついて感情のままに叩きにいったり、という感じだったのですが…。
ちょっと冷静な自分がいた。
以前、教えてもらった「とにかく相手の動きをみること。相手の動きにあわせること。やみくもに打ち込まないこと」というアドバイスがすーっと立ち上がってきた。相手を見る、見る、見る。相手の呼吸とリズムに合わせて動く。ちょっとした足のさばきで相手を誘い出そうとする。相手が前に出るタイミングで打ち込もうとする。ずらす、先手をとる、すきをみつける。
おわっ・・・、なんだこれは…。じ、自由だ!
もちろん、僕の動きのパターンの数は限られている。コテとメンしか打てない。動きも遅い。だから、当然、相手には見切られるし、決まらない(後で録画をみると矢張り無様)。
それでも、その瞬間に感じた「自由」の気持ちよさが衝撃的でした。相手と見合っているその瞬間は完全に自由。自分の知っている動きをどう組み合わせるか、相手を誘うのか、飛び込むのか、待つのか、よけるのか。なんて心地よい時間なんでしょう・・・。
怒りとか怖さに任せて竹刀を振り回していた時には感じなかった、自由。自分の感情に支配されていない自由。ひとつひとつの身体の動きを自分で選択する自由。
いや、剣の道で自由を得た、なんて格好いいことを言うつもりはありません。
そんなことはまだ先の先。僕が立ったのっは入口の手前の手前だと思うのだけど、「形」は自由を得るための手段なんだ、と思ったわけです(←やはり分かった風で恐縮・・・)。
違う世界に足を踏み入れてみるって大事よね。
そういえば、最近、これまた別の先輩や友人から「登山」に誘われております。私、沢登りや藪漕ぎなど、道なき道を無計画にさまよい歩くのは好きなのですが、登山道を歩く「登山」はちょっと窮屈で、避けてきていました。計画を立てて、仲間と日程調整をして、山頂を目指して歩く。そのひとつひとつが息苦しくて億劫で・・・。
そんな話を山好きの皆さんにしたら、皆さん、口々言うんです。
「違うよ、その先に自由があるんだよ。登山道自体は誰かが整備したものかもしれない。でもその道をどう歩くかは完全に個人の自由なんだよ、その足の運び方、歩み方ひとつに意識を向けて、自由を感じるのが楽しいんだ。」というような話を聞かせてくれました。
なるほど・・・。僕の知らない「自由」がそこにあるのかもしれない。いくつになっても、新しいことを始めるのはいいものですね。どの道にも、きっと新しい気付きがあるし、それは自分が今まで歩んできた道とつながっているんだろうな。
節操なく、知らない世界に踏み出そう♪

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