ワタクシたちの「脱・自己完結宣言」。
「つかちゃんは受け取るのが苦手なんだね」。久しぶりに会ったコーチのカズ君が私(つかちゃん)に伝えてくれた言葉です。なんと、僕は受け取るのが苦手だったのか。そうです、ワタシは基本的には自己完結でいたいのです。ほかの方から差し伸べられるあれやこれやを「ありがとう」と素直に受け取るのが非常に下手くそなのであります。本日はそんなワタクシのカミングアウトでございます。
私、人に自分の気持ちなり善意なりを受け渡すのは割と好きです。適切なものを受け渡せているかどうかはわかりませんが、私を必要としている人に、私の持っているものを惜しみなく渡すことについては制約がありません。持っているものはホイホイと出せる(と思ってます、わからんけど)。
でも、自分が困っているとき、弱っているとき、助けてほしいとき、自分の中が空っぽになてしまったとき、不安で押しつぶされそうなとき…。そんなときに「助けてほしいです」ってなかなか言えません。ギリギリまで言えません。自分ひとりで処理したい。
相手が差し出してくださった助け舟や善意も遠慮してしまう。強引にポケットの奥まで突っ込んでくださって初めて受け取れる。そんな筋金入りの受け取りベタでございます。
思えば、飲み会など人が集まる場も自分が主催者側のときには生き生きと伸び伸びとその場を作れるし、参加してくださった方々がたくさん受け取ってくれるようにと意識を全力で向けられるのですが…。はじめての場や人の集まりに参加したときの所在なさたるやありません(だからワークショップや講演会とかも苦手です…)。場の主催者の方のギフトや気持ちを受け取る準備がまるでできていないのであります(←大人として割とひどいですね)。
そんな話をしたら、カズ君は冒頭の言葉を僕に返してくれました。
「つかちゃんは受け取るのが苦手なんだね」。うん。
話がちと飛ぶのですが、わが社で毎朝6時からやっている朝のミーティング、通称「朝ミ」。最近はサービスのアップデートに向けて原っぱ大学の価値を徹底的にリフレーミングする議論をしております(朝の6時から)。もともとは1時間で終わっていた朝ミですがここのところ、議論が尽きず毎朝9時ごろまで3時間がっつり話しております(朝ドラが観られない…)。
そんな中、個人の進化として、「他人軸→自分軸→共存軸」への視座の変化が大事だし原っぱ大学が実現しようとしていることの根っこはこれだよね、という話が共同創業者の志村から出ました。
他人軸:他者からの評価、他者との比較のなかで形作られる
自分軸:自分の内側から沸き起こってくるものから形作られる
共存軸:そんな「自分」と「自分」が混ざり合い共存する世界をそのまんまに生きる
私の理解ではロバート=キーガン先生の「成人発達理論」も似たプロセスをたどって成人が発達していく、ということを言っている気がします。キーガンの理論だとたしか、環境順応→自己主導→自己変容という発達段階のフェーズ。言葉は違えど、近しいことを表現しているのだと理解しました。
そして何を隠そうワタクシのこれまでの旅は「自分軸」を追い続ける旅だった気がします。
もともと我が強く、自分の感覚を信じ、大切にしてきた幼少期。高校、大学と進学して社会に出て会社員として働くプロセスで、それじゃダメなんだと認識を改めました。他者様に評価され、他者様に受け入れられるようにならないといけないんだ、と。そんな風に他人軸を内在化させてきた10代~30代。30代半ばで原っぱ大学を立ち上げたのはそんな私の「自分軸で生きたい!」という内側からの渇望だったように思います。
原っぱ大学を立ち上げてこの10年、「自分軸」って良いもんだよ!って言い続けてきた気がします。自分自身に、そしてたくさんの人に。でも、あれなんです。どうやらそこにいつづけるとそれはそれでバグが出てくるんです。対処できないことや、矛盾や、ぐらつきが生じるみたいなんです。10年経ってようやくのフェーズに行くタイミングのようなんです。それは志村理論においては「共存軸」にワタクシが移っていく、移っていかないとどうにもならないタイミングであるからのようなのです。
脱・自己完結。
というかむしろ。自己完結なんぞできるわけないし、自己完結しようとすれば苦しくなるだけでしょうに。だって、ワタクシはデコボコで自分の得意なことと不得手なことがあるわけで、自己完結しようとすると不得手なことも全部自分でやらなくちゃいけない、やろうとしなくちゃいけない。しんどくなるか、何もチャレンジせず自分の小さな世界で粛々と生きるかどちらかなわけで。
それなのになぜゆえ私は自己完結を希求してきたのか。
自己完結派はワタクシだけではないようです。新入社員のケイちゃん(43歳)にも同様の癖があるとんですって。「助けてっていったり人に頼ったりするのは格好悪いとおもっていました」ですって。
うん、わかる。
ケイちゃんにしても、ワタクシにしても、自己完結型の中年男性はそれなりに多い気がします(多分)。自己責任を叩きこまれた我ら世代。自分で頑張って努力して這い上がって成果を出すこと、勝ち抜くことが美徳とされた我ら世代。その論理では周囲はライバルですからね。負けるわけにはいきません。エイエイオー!レッツ自己完結!
でもきっと、そんな歯を食いしばるエイエイオーな世界観はそろそろ限界にきているわけで。そんな世界にバイバイして、みんなで共に存在しあえる、共存する世界に生きるということが、私たちHARAPPA株式会社が掲げる「余」のある世界なのだと思うのです。
そんなわけで、「受け取るのが苦手」とか言ってる場合ではアリマセン。
苦手もなにもやってみたらきっとできるはず。最初は上手でなくても。
まずは自分を満たす。自分が満ち足りていたら、足りていない他者にエネルギーを注ぐ。自分が足りて居なかったら「足りてませーん、エネルギーくださーい」と言葉に出してエネルギーをいただく。その循環のただなかを生きること。これを実践することだろうな。
大切なのは心のもちようで。自分が受け取る準備ができていないときは蓋を開ける。あるいは「はい!準備ができていません」と宣言する。そんな風に、自分の心の在り方、他者とのエネルギーの交換にどれだけ意識的であれるか、ということが大事なのではなかろうか、という気がしております。
このあたり、アタクシはまだ上手に言葉にできておりませぬが、ネクストステージ原っぱ大学では「共存」を皆さんとともに試行錯誤し、実感できる試みをしていきたいと考えています。特に昭和平成を生き抜いてきた同志たちと分かち合いたいなと妄想しておるのであります。
集え、自己完結派の同志よ。共に脱・自己完結宣言しましょうぞ!
男たちが山に集って焚火を囲んでともにヨガに興じ、あれやこれや語り合う「俺のヨガ」。40代、50代の我らが仕事を超えてつながりあい、語り合う場はまさに自己完結の向こう側の世界を感じさせてくれる場であります。
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