ハラをくくれて、おりますか?
ワタクシ、どうしても自分が居心地のいいところに、快適なところにふわふわと流れていくのであります。それはもはや才能かも、と自分でも思うのですが…。事業をやっていると、それだけではどうにもならない局面がやってくるんですよね。居心地のよさとかではなく、やり切らないとダメな局面。そんなときはきっと自分の「ハラ」が試されているんです。今日はそんな話です。
私はシャチョーをもう8年もやっております。自分で言うのもなんですが、まあ出来が悪いのです。嫌になってしまうのは、自分が出来が悪いことすら認識しないままに時間ばかり経過してきたこと、もっとできたことがあったはずなのに「できたはずのこと」をできずに今、ここに立っていること。そうやって、自分のできなさ加減に直面すると、逃げ出したくなって、もうおしまいにしたい、って思っちゃうんですね(自暴自棄)。
「できない自分」「不完全な自分」を受け入れる。それでいいんだ。と、つぶやくものの、やっぱり残念だ…、と思うのであります。
そして割とすぐ、逃げ出したくなるんです、はい。これまでも何回もありました。
このメルマガでは「逃げたくなったら逃げていいし、不完全な自分でいい」なんてことをよく書いておりますが…。かたやワタクシ、現実世界は逃げ出すこともできず、でもそんな現実を直視することもできず向き合いきることもできず、途方にくれて立ち尽くすことがしばしばです。
それこそ「余」がないし、ギリギリ、ひりひりしつつ、気持ちは逃げているけど、実際に「逃げる」という選択もできず、時間がとまってしまうのであります。
現実逃避。
でも、現実逃避は現実を何も解決してくれない。よっぽど現実世界で全力で逃げ出すほうが何かが変化すると思うのですが、それもなかなかできないのであります。
そんな八方ふさがりの「現実逃避モード」。身動きできずにそれは苦しい時間なのですが、そんな渦中の私を原点に立ち返らせてくれるのは、原っぱ大学の参加者の皆さんであり、チームの仲間であり、センパイ・同志の経営者の皆さんの存在なのです。
原っぱ大学の場に溢れる参加者の皆さんの圧倒的な笑顔、「楽しかったー」の声。思いをもってチームに関わり続けてくれるスタッフ。そして、文字通り様々なハードシングス、困難に直面しながらもそんな出来事を笑いに変えて前を向いている経営者のセンパイ、同志の皆さんたち。
心に浮かぶ、たくさんの顔、顔、顔。
ワタシにとって「ハラをくくる」とはこのたくさんの顔を思い出すことなんだなと。この顔たちを一瞬でも忘れてしまって、目を閉じて、背けてしまうと「逃げ出したい」になるんだなと思うのです。
「ハラをくくる」ということは、肩に力を入れて歯を食いしばることとは違うのだと思う。「ハラ」の底からエネルギーが湧いてくることなんだ。私にとってそれは、たくさんの顔をひとつひとつ思いだすこと、思い浮かべること。一呼吸してその存在を感じること。
自分のまわりにはたくさんの参加者、仲間、センパイたちに囲まれているという事実をハラに感じて、いつでも「助けて」と言えると思いだすこと。不思議と、それだけでエネルギーが湧いてくるのです。
湧いてきたエネルギーを糧にジタバタしようと思うのであります。
「ハラをくくれて、おりますか?」の問いには胸を張って「はい!」と答えて、現実世界での切った張ったをやっていくぜ。現実とはそんなもんなり。
ハラハラ言い続けたら、ハラハラした気持ちが収まってハラがすわってきました。
なんだか私の個人的な決意表明みたいになっちゃってすみません。
ハラをくくって、ジタバタしようぜ!
エイエイ、オー!
本文と全然関係ないけど、ハラ(というか体中)を括られたコブタさん。先日の原っぱ大学 逗子のフィールドで。豚の丸焼き、おいしくて楽しいです。
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