「先生は見ているだけ。何も教えてくれない。」

先日、とある中学2年生と出会いました。京急電鉄さんと一緒に横須賀の山の管理保全に取り組んでいる「みうらの森林 共創プロジェクト」の活動日のこと。刈払機を使って下草刈りをしたい、という。現場での彼の在り方と身体知に大いに感動した、という話です。
塚越暁 2026.10.27
誰でも

先日、とある中学2年生と出会いました。京急電鉄さんと一緒に横須賀の山の管理保全に取り組んでいる「みうらの森林 共創プロジェクト」の活動日のこと。刈払機を使って下草刈りをしたい、という。現場での彼の在り方と身体知に大いに感動した、という話です。

私は「今日の作業で刈払いの作業をやりたい中学生がくる」と聞いていました。また、「彼がADHD傾向が強くて集団行動やコミュニケーションが苦手」という事前情報ももらっていました。特段、珍しい話ではないですし、そもそも私も集団行動が苦手なわけで、特に気にしていませんでしたが…。

彼がやってきてパッと顔をみて、「お・・・」と思いました。自信が溢れていて、意思がはっきりしているなと感じた。ぱっと見の第一印象なので、こちらの思い込みもかもしれないけど、いい顔しているな、と思いました。

雨が降りそうだったのだけど、「刈払いやる?」と聞くと彼は二つ返事で「やります」と。

「使い方は分かる?」と聞くと「学校でやっているから大丈夫です。これ、学校にあるやつと同じ型です」だって。学校で刈払機を中学生が使っているということに若干、驚きつつも彼を尊重してそのまま口出しをせずに機械を渡しました。

刈払機。田舎暮らしで草刈りを日常的にやっていれば、なんてことない道具ですが、普段、触れていないとなかなか怖い代物です。爆音を轟かせてエンジンで動くマシン。超高速で回転する金属の刃。慣れていないとあの音と振動、回転スピードだけで恐怖感が沸き起こるし、実際に使い方を間違えると危ない。そしてたぶん、そもそも慣れていない人はエンジンをスタートできない。

彼は慣れた手つきで刈払機を地面において鼻歌交じりでポンプを押して、チョークを開閉して、スターターロープを数回ひく・・・。あっと言う間にドルルン、ドルルンとエンジンがかかりました。

あ、慣れてる。

大人でも、初めてで腰が引けている人の扱いは危なっかしいものですが、彼の所作は日常的に道具を扱っている人のそれでした。丁寧に、入念に根元から草を刈る。邪魔な落ち枝を見つけたときは一度、エンジンを止めて枝を取り除いてまた作業に戻る。

その時に私が感じたのは、作業の段取りがあまりに丁寧(同じ個所を何度も刈り込む)なのと、刃の角度や扱いが大人のそれと少し違うな、ということ。ただ、作業のクオリティはカンペキだし、気負わずに自信をもって作業する姿が非常に頼もしかった。

休憩時に彼に聞きました。「学校の先生が(刈払機の)使い方を教えてくれたの?」
「いや、先生は見ているだけ。何も教えてくれないから、自分たちでやりながら覚えました。」

あああ、合点。彼の所作は誰か指導者がいるのではなくて、実際に道具を扱い、試行錯誤を繰り返し、学びながら身に着けたものなんだ。だから、一般的なやり方とちょっと違うけど、ちゃんと成果に達するように扱えているんだ。

「僕が草刈りをやりたいと言ったら先生が刈払機を用意してくれて任せてくれたんです。チェーンソーを使って木の伐倒もやっています。学校の環境整備を僕たちでやっているんです。」
「僕たち?」
「僕の声がけで、今は40人ぐらい仲間がいます。」

感動です。

こういう仕事に興味を持って「やりたい」と表明する彼や彼の仲間たちが素晴らしい。そして何よりも普通だったら「危険だから中学生が扱うのは禁止」としたり、扱うとしても厳密な手順に従わせて試行錯誤をする機会を奪ってしまいそうなのに・・・、中学生の彼らに道具を託して、彼ら自身が試行錯誤をする機会を渡しているその学校の先生方の関りに感動しました。

実際、危険な道具たちです。木の伐倒などはときに命の危険を伴います。それを子どもたち自身がやるという判断は並大抵の覚悟ではできないと思うし、子どもたちが気づかないところでかなり、細かく安全確保をしているのだと想像します(←私の勝手な想像)。彼らが自分たちでやったという実感と、試行錯誤の機会を奪わないように、細心の注意をしながら・・・。

ここまで彼とやり取りをして、私が第一印象で彼から感じた「自信」の背景が見えた気がしました。彼は、自分で意思を表明して実際に機会を作り出して、試行錯誤を重ねてきた。その喜びを仲間に伝えて、共感してくれる仲間が周りにいる。彼らが動いた成果は環境の変化で分かりやすく見える。そして誰かに感謝される。そりゃ自信がみなぎるわな。そこに仕事の喜びのすべてが詰まっている!

しかもこれが「学校」の現場での出来事なんですって。すごい学校があるものです。

「見ているだけ」と感じさせる先生方の関わり。その奥には、子どもたちとの信頼関係をベースに、最終的な場の安全に対しての責任と覚悟があるのだと想像します。そして、その試行錯誤のプロセス全体を通じて子どもたちが手にするものへの確信がきっと、ある。安全のために機会を取り除くよりも、現場に出て実体験を積み重ねることの価値を信じているんだ。

もちろん、刈払機やチェーンソーを中学生に自由に使わせるというのは、大人の側も相当な経験がないと実際には難しいとは思いますが・・・。それが料理でも、ゲームでも、AIなどのデジタルツールだったとしても、彼のような経験につなげる関りは、大人の側の覚悟があればきっとできる。

中学2年生を通じてその向こう側にいる、会ったことない先生たちの在り方を想像して勝手に共鳴してしまいました。

無料で「原っぱ大学 ガクチョー塚越の「つれづれ通信」」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
世界中が「敵」に見えても。
誰でも
「じゃあねー」と言える関係の尊さよ。
誰でも
忘れることができる人間、バンザイ!
誰でも
AIによる経営の自動化で見えてきたこと。
誰でも
「おまえ、担当だろ」と怒られた僕は今、48歳。
誰でも
人類を滅ぼしそうなAIと、僕らの日常について
誰でも
Gの気持ちを、考えてみる。
誰でも
オジサン初心者の剣道。自由について。