「じゃあねー」と言える関係の尊さよ。

三連休明けの火曜日。サービス業の私にとって連休明けはちょっとだけ気が緩む休業日。たまたま打ち合わせも入っていなかったので久しぶりにおもいっきりお休み。正真正銘のオフ。一日たっぷり波乗り。
塚越暁 2026.10.13
誰でも

三連休明けの火曜日。サービス業の私にとって連休明けはちょっとだけ気が緩む休業日。たまたま打ち合わせも入っていなかったので久しぶりにおもいっきりお休み。正真正銘のオフ。一日たっぷり波乗り。

サーファーしか気にしないけど10月のこの時季は、南の方の遠くの海上に台風があって、そこから緩やかに僕らの海に波が届いてきます。この季節は空気がきれいで、風がおだやかになって、太陽の光は優しくて、水が澄んでいて、暑くもなく寒くもなく、緩やかな北風に押されてクラゲも沿岸にいない。文字通り、最高。

海に入っているとイワシかなんかの小魚の群れがピチピチッと跳ねて、その群れを狙ってカモメが低空飛行で飛び回って。その向こうには江の島、そのさらに向こうには伊豆半島と富士山。青い空と白い雲。

平日の海で、いつものように顔を合わせる波乗り仲間と海の上でゆっくりお話しながら時間を過ごす。波は期待したほどよくなかったけど、あれこれリラックスして世間話をしながら浪間をただよう時間が気持ちいい。

世間話は波のこと、サーフボードのこと、ちょっとした町の出来事、以上。仕事の話はほとんど出ない。誰がどんな仕事をしているかお互いになんとなくしか知らない。どれだけ稼いでいるかとか、どんな役職かとか、どれほど仕事ができるかとか一切関係ない。

サーフィンが上手か下手かもあんまり関係ない。それでも誰かがいい波を捕まえると「今のは良い波だったなー」と素直に驚いて喜ぶ。そういう気持ちよさを交換できれば、技術の差はあんあり気にしない(だいたい、みんなおじさんで身体は固く、重たくなってきているのであります・・・)。

潮の関係で波がなくなったので海からあがると、別の仲間が午前の仕事を終えて、海にやってくる。

「ここはもうダメだから〇〇に行こう。あっちはまだ波がありそうだよ」

サーファーならではの会話。その日の波の向き、強さ、風の向き、潮の具合でできそうな場所に向かう。僕らが暮らす湘南エリアは海岸線が入り組んでいて、ほんの数km、移動するだけで全然違う波にありつけるからワイワイ情報交換して、あれこれ推測して、次の遊び場に向かう。

子どもが遊び場を探す様とまるで変わらないのだけど、これが40代、50代のおじさんたち。

場所を変えて2時間思い切り遊んで、一旦海から上がったら、また別の場所でいい波が割れている。じゃ、もう1回やろっか、とそそくさともう一度、海へ。

1日3回。朝から夕方まで。流石におじさんたちはへとへとになっているのだけど、ぱっと東の空を見るときれいな大きな虹。西の空には夕日。なんという贅沢。

地元に帰ってきたら、さくっとみんなそれぞれの家路を目指す。
「じゃあねー」と声を掛け合いながら。(40代、50代のおじさんたちです)

映画「我々は宇宙人」の中でも印象的だったセリフが「じゃあねー」でした。「じゃあねー」って不思議な言葉。「バイバイ」ではない。「さようなら」でもない。まだ先がある感じ、終わらない感じ。そこはかとなく優しい感じ。親し気な感じ。

その短い言葉の奥の方に、儀礼を超えた「いい時間だったね、またこんな感じの時間を共にすごそうね」という言葉にならない充足感の共有と願いみたいなものが詰まっている(たぶん)。

AIに代替できないものは?という問いは常に頭のなかにあるけど、この「じゃあねー」はまさにそれだな。季節の自然を感じて、思い切り遊んで、しょーもないことで笑い合って…。何かを約束するわけでもなく、さらりと「じゃあねー」という。こんな時間をプライベートでも、原っぱ大学でも積み重ねていきたいのであります。

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