世界中が「敵」に見えても。
そういえば、小さいころ、僕は世界を敵だと思っていました。世界中が敵に見えていた。自分の両親も、学校も、少年野球のチームも。ぜんぶ敵。いつ攻撃されるか分からないし、攻撃されたときにSOSを説明する言葉を持たなかったからしんどかった。僕にできることは言葉にならない言葉とともに大声で泣き叫ぶことだけでした。
大人になった今なら、それをやると周囲はますます困惑し、離れていくとわかるのだけど、当時の僕はそんな世界の法則を知らないから、困ったら泣き叫ぶ、ということしかできませんでした。そしていつも思っていました。「なんで僕のことを誰も分かってくれないんだ・・・」って。
原っぱ大学で5年間ぐらい一緒に過ごした一人の男子のことを考えていたら、そんな僕のちいさな時の記憶がよみがえってきました。彼はいま、中学1年生。すっかり優しい「お兄さん」になって、この秋に原っぱ大学を卒業することになりましたが、当初は幼少期の僕のように、世界中に牙をむいていました。
人一倍、優しいけど(優しいからこそ)繊細で敏感な傷つきやすい心を持っていた彼。ほんの些細な事(と周囲は思うこと)で傷つき、怒り、大声をあげて人に殴りかかったり。「帰る!」といってフィールドを飛び出すことも1度や2度ではありません。これは想像だけど、幼き頃の僕のように、彼の心の中には言葉にならない言葉や思いが溢れ、それが相手に伝わらないことに怒り、怯え、苦しんでいたんだろうなぁと思います(僕の勝手な想像です、はい)。
周囲と衝突した回数、数知れず。振り上げたこぶしの回数、数知れず。震えながら流した涙、数知れず…。
原っぱ大学で、彼は本当に多くの大人、子どもと関わり合いました(笑い合いも、衝突も)。そしてきっと、原っぱ大学だけでなく、彼の行く先々で本当に多くの経験を積み重ねたのだと思います。何よりも、彼のお母さんがずっとそばに寄り添っていた。男子のコントロールできないエネルギーに戸惑いながらも。
そんな時間の積み重ねで、いつのまにやら中学1年生。「優しいお兄さん」になっていました。
先週末が彼の原っぱ大学での最後の日。
残念ながら、僕はその日は別の現場があってそこにいられませんでした。ただ、スタッフからの報告を聞いて彼が良き時間を過ごしたことは伝わってきました。その日の最後に彼と、お母さんと、友達とスタッフたちと写した写真が1枚。最高の笑顔。卒業写真。
その後、お母さんとのメッセージのやりとりでこんな言葉をいただきました↓
「どう対応するかも、もちろん大事なのかもしれませんが、自分に真剣に向き合ってくれる大人が周りにいることが、原っぱが彼にとって安心できる大事な場所だった理由でもあると思います。」
涙もろいワタクシは泣いてしまいます・・・。
たくさんの原っぱ大学のスタッフたちが彼に関わってきました。そのなかで、いろんな緊急事態が起こりました。突然山のなかにいなくなってしまったり、年下の小さな子に手を挙げようとしたり、フィールド全体が凍り付くような大声で暴れまわったり・・・。その都度、その現場に居合わせたスタッフは全身全霊で全力対応。
しかもそこにはマニュアルがない。正解もない。現在進行形で状況が刻一刻と変わっていく。だから、身体を当てて、魂をこめて、全力で必死に向き合う。自分の対応が「正解」なのかどうか迷いながら、必死に向き合う(そういう状況で完全な『正解』なんて存在しないと思っています・・・)。そんな風に、彼と関わり、向き合ったスタッフがたくさんいます。おそらく、その一人一人を思い浮かべて、お母さんが下さったこの言葉。涙が出るな。
人と人として、真剣に向き合うこと。
たぶん、これが原っぱ大学が受け継いできたど真ん中の価値。
世界中が敵だと思っていた僕ですが、いつしか、世界は味方だと思えるようになっていました(いつの頃、からそう思えるようになったのかわかりません・・・)。彼も、気づいたら、世界の見え方が変わっているのだろうな。でもまだまだ中学1年生。ここから先も大変なことがたくさんあると思う。思い通りにいかないこともたくさんあると思う。
それでも、きっと大丈夫なんだよ。
その瞬間はつらくてしんどくて、世界中が敵に見えても、手を差し伸べてくれる人がいるし、見ていてくれる人がいる。「あのときは大変だったよね」と時間が経ってから笑いかけてくれる人がいる。
原っぱ大学、ご卒業おめでとう。
いったん、節目としての「卒業」ではあるけど、ここはいつでも君が戻ってこられる場所です。いつでも帰ってきてね。

2021年10月。5年前の彼のちいさな背中。
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