七十年の時を超えた蜜柑のお話

今日は80歳を超えた私の母の物語です。有り難いことに母は目と鼻の先に住んでおり、妻も、子どもたちも大切に関わってくれているので、気持ち良く暮らせていると思います。それでも少しずつ記憶が朧気になったり足が痛んだり、母の年を実感すると一人息子としては少し寂しくなります。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2025.03.04
誰でも

今日は80歳を超えた私の母の物語です。有り難いことに母は目と鼻の先に住んでおり、妻も、子どもたちも大切に関わってくれているので、気持ち良く暮らせていると思います。それでも少しずつ記憶が朧気になったり足が痛んだり、母の年を実感すると一人息子としては少し寂しくなります。

そんな母のお話。

数カ月前、原っぱ大学に私宛の一通のメールが届きました。古民家の再生に取り組んでいる方々からのご連絡で、熱海の伊豆山エリアにある古民家の履歴を調べたら私の曾祖父がかつてその家のオーナーだったらしいとのこと。当時を知る人がいないか探しているので、何か知らないか、という問い合わせでした。

私の曾祖父(母にとっての『おじいちゃま』)は昭和の有名な実業家でした。私たち家族が今、住まわせてもらっている家も、築80年以上の曾祖父の家です(隙間風が寒い…)。熱海に別宅を持っていた可能性はもちろんあるけど、そんな話は母から聞いたことはないし、昭和の前半という時代的にこっそり保有していた可能性もあって(妾さんとの別宅とか…)、母に聞くのを一瞬、躊躇しました。

でもまあ、せっかくのご縁だからと母に聞いてみたんです。「熱海にひいおじいさんの家があった?」と。母はちょっと記憶をたどり、すぐに「あったわー。小学2年生か3年生のときに一度行った。海を見下ろす崖の上にある素敵な家だったわ」と語ってくれました。

「懐かしいわねー、あの家がまだ残っているの?」と。なんだかキラキラワクワクが溢れていました。

母の記憶の断片をたどると…。

小学2年生か3年生のころ。逗子から電車に乗ってその熱海の家に行ったのね。山の中にあって断崖絶壁みたいな道を駅から車で家に向かうの。その道が怖かったこと…。道を下った先に家があるの。海を一望する崖の上にあって遠くには初島だか大島だかが見えていたわ。
長い長い土間があって家の中を下駄で走り回ったの。庭先にはたくさん蜜柑の木。たしか、その家をもうじき売っって手放すことになっていたんだわ。その日は家とお別れをしながら、庭の蜜柑を収穫しにいったんだった。
みんなでたっぷり蜜柑を収穫してリュックサックいっぱいに蜜柑を詰めて電車でかえったの。おとな達はみんな、リュックに山盛りの蜜柑を背負って電車に乗ったの。おかしいわね。帰りの電車で、父(私の祖父)のリュックサックが倒れて蜜柑がころころ転がっていったのを憶えているわ…。

母が小学3年生だとすると昭和の20年代半ばごろ。今から70年以上前。10歳前後の母が確かに感じたみずみずしい原風景。1通のメールが届かなかったら私が知ることはなかった母の記憶。不思議なご縁と母の弾んだ声にワタクシまでなんだか心が温かくなりました。

その家はきれいに掃除をして、傷んでいる個所を補修して民泊施設としてオープンされるとのこと。そのメールが届いたころ、送り主の皆さんはちょうど施設オープンで忙しく、落ち着いたら逗子に会いに来てくださる、とのことでした。

そのやりとりから数カ月たって、今日、熱海からその施設を運営する方々が逗子まで母に会いにきてくださいました。その建物の庭で採れた箱いっぱいの蜜柑と檸檬をお土産に携えて。

蜜柑。

もちろん先方は母の蜜柑のエピソードなど何も知らないままに、我が家を訪れ、「庭で採れた蜜柑と檸檬です」と箱を渡してくださいました。なんという、なんという…。母の記憶の中でその家と深く結びついた象徴の蜜柑。その蜜柑が家の物語とともに我が家に届く不思議さよ。

もちろん、当時と同じ蜜柑の木ではないかもしれないけど、その庭には今も確かに、蜜柑が生えているのです。現在の庭の写真、家の写真を見せてくださいました。

きれいに掃除されて、民泊施設として生まれ変わったその家の写真を見ると母の記憶がどんどん呼び起こされるようで…。「そうそう、お風呂には大きな窓があって海がよく見えたわ」とか「屋根裏があってその階段が秘密基地みたいで楽しかったの」とか「崖の下は断崖絶壁で子どもは絶対に近づいちゃダメって言われてたわ」とかとか。いろんな記憶がふわーっと湧いてきます。

母のワクワクしている様と、温かな気持ちが私の中に入ってきてしまって、何だか知らないけど涙が溢れてきました。なんで涙が出るのか理由が言葉にできないし、説明できないのだけど…。

「みんな死んじゃって私しかいないけど、こうしてあなたたちのご縁で70年ぶりに懐かしい家に巡り合えて、ありがたいわ」としみじみ語る母。ああ、よかった。なんだかよかった。月並みな言葉しかでてこないけれど、よかった…。私の胸のうちは「よかった」で溢れんばかりでした。

暖かくなったら母と家族で泊りに行くと約束して、逗子まで来てくださった皆さんとお別れしました。

今日の話は何も結論めいたことはないし、気づきがあるわけでもないのだけど、とても暖かく、私の大切な部分に触れた気がした出来事だったので、文章にしてみました。おしまい。

ちなみにその家はこちらです。熱海の伊豆山エリアの奥地、稲村地区に民泊施設としてオープンしているのでご興味あるかたぜひ!

(そうそう、私、昨年から熱海の伊豆山エリアに関わらせていただいており、なんというかご縁しか感じませぬ。ご縁とは不思議なものです。有り難いことです)

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