自分で決めることと、他者と関わり合うこと。

3月の終わりに3泊4日、京急電鉄さんと場づくりを進めている「みうらの森林」に子どもたち22名と共に「サバイバルキャンプ」に出掛けてきました。自分たちで寝床をつくり、料理を作り、遊ぶ。やること自体はシンプル。原っぱ大学のキャンプでいつもギリギリのせめぎ合いをするのは「自分の軸を大切にする」ということと「他者と共に存在する」ということのバランス。今回はそのお話です。
原っぱ大学 ガクチョー ツカコシ 2024.04.02
誰でも

3月の終わりに3泊4日、京急電鉄さんと場づくりを進めている「みうらの森林」に子どもたち22名と共に「サバイバルキャンプ」に出掛けてきました。自分たちで寝床をつくり、食材を買い出し、料理を作り、遊ぶ。やること自体はシンプル。原っぱ大学のキャンプでいつもギリギリのせめぎ合いをするのは「自分の軸を大切にする」ということと「他者と共に存在する」ということのバランス。今回はそのお話です。

20人規模の子どもたちと野外活動をするうえで、運営側として一番らくちんなのはやることや役割をすべて大人が決めて割り振ってしまうことです。この時間は〇〇の時間、夕飯のメニューは△△、誰々の役割は××…、といった具合に。そして、その決めたことがきちんと遂行されることを大人がガイドする。これだと安全性と公平性を担保しやすい。

ただ、私たちはこのスタイルを採用しません。「自分で決める」ということを大切にしているから。原っぱ大学は「遊び」の場であり、遊ぶことの出発点は自分で感じて、自分で決めることにあります。そして、それは生きていくうえで非常に重要なスタート地点でもあると考えています。

一方で「ソロキャンプ」ならいざ知らず、大人も含めて30名近くの共同生活となると、「自分のやりたいこと」だけでは成立しません。全体のために果たさなきゃいけない「役割」が当然生まれるし、安全のためやほかのメンバーのニーズとの調整のために自分の気持ちを一瞬我慢したり、調整したりする必要が必ず出てきます。「他者との関わり合い」のなかで、自分の気持ちと向き合って調整したり代替案を出したり、意見を交わしたり、ということが、生じ続けます(そして時には感情のぶつかり合いに発展します)。

これが原っぱ大学のサバイバルキャンプ最大のだいご味であり、一番大切にしているところです。そして、実社会での「サバイバル力(=生き抜く力)」を育む実践の現場だったりするのかなと思うのです。

言葉を発すること。相手の言葉を聴くこと。そのうえで共に納得する解を探すこと。時間がとってもかかる。場合によっては本音が簡単には出てこないこともある。感情がぶつかることもあるし、不公平と感じることが生まれてしまうこともあるし、大人が「楽しいはず」と思って用意したことにまったく子どもたちが乗ってこないこともある。そういうこと全部を子どもはもちろん、大人であるスタッフも一緒になって味わっていく。お互いを尊重しあって、納得できる接点を探り続ける。これが私たちのサバイバルキャンプです(なかなかすごいことでしょ)。

スタッフ慶ちゃんを中心に朝夕に開催される「キッズミーティング」。この場の対話でその日にやることや役割が決まっていきます。非常に時間がかかる…。

スタッフ慶ちゃんを中心に朝夕に開催される「キッズミーティング」。この場の対話でその日にやることや役割が決まっていきます。非常に時間がかかる…。

寝る場所もそれぞれが選んで決めるから様々です。写真は全部、今回のキャンプの子どもたちの寝床です。左上から時計回りにテント、ブルーシートの秘密基地、落ち枝でつくったシェルター、押し入れ…。

大人にとっても濃厚な3泊4日でここに書きたいエピソードが山ほどあるのですが、印象的なものをひとつだけご紹介させてください。

自分がやりたいことはやるけど、集団の中での役割や仕事のようなことは「やらない」と宣言していた、ある子がいました。大人としてはなかなか悩ましいのです。他の子からは「仕事をやっていなくてずるい」みたいな声が上がってくるし、でも、強権をふるって強制的に何かを「やらせる」のではなく、自分で決めて関わってほしい…。

その子が、フィールドに生えていた「ノビル」を大量に収穫しました(食べ物を採る、という行為は本当に子どもたちの心を惹きつけてやみません。原始時代のエネルギーだと思う)。採ったら食べたい、ということで、次の日の朝食の味噌汁に入れよう、となりました。

翌日。あまりに自然な流れで「仕事はやらない」と宣言していた彼が朝食づくり班に入ってせっせとノビルの味噌汁を作っていました。ただ、野草を採ったまま、下洗いが甘いままに味噌汁に突っ込んだから、他の雑草や土が混ざっていて、舌に残る。食べられはするけど、美味ではない・・・。そんな皆からのフィードバックを彼はもらいました。

1日目のノビルとわかめの味噌汁。

1日目のノビルとわかめの味噌汁。

ここで諦めるのかな、と思ったら、その翌日の朝食のときにも彼はノビルを片手に調理スペースに登場しました。今度はきちんと洗うと。皆に美味しい味噌汁を食べてほしいと。きれいにがんばって洗ったけど、まだちょっと雑草が残ってしまった。そしてこの日は味噌の残りが少なく、うすーーい味噌汁になってしまいました…。彼はまた残念そうな様子を見せたけど、でもどこか誇らしげ。「今日の食材調達では味噌を買ってきてね」と伝えてくれました。

最終日。やはり彼は朝食づくりコーナーに現れ、最終形態のノビル味噌汁づくりに、細心の注意を払っていそしみました。丁寧に洗って、細かく刻んで。そして、出汁が足りないからと余っていたツナ缶をいれました(←ツナ缶味噌汁、初めて食べたけど、あら汁みたいな出汁が出て旨いです!)。ツナ缶を入れるのはおばあちゃんに教えてもらったとか。その味噌汁の美味いことと言ったらありませんでした。そんなフィードバックを皆からもらって嬉しそうにしている姿に、大人たちは胸が熱くなりました。

彼は、役割を果たすことを自分で決めました。

他者と関わるのは面倒だから仕事はしない、と言っていたのに、そんなことはどこ吹く風で自然に役割を全うし続けました。そして、他者のために役立つという素朴で原初的な喜びを体感していたように思います。関わり合いの中から生まれる喜びの温かさよ。

「仕事をさせる」という強権を発動せず、彼に関わり続けたスタッフたちも素晴らしいし、そんな彼のあり方に特別な意識を向けず、自然体で普通に「うまい!」とか「雑草が口にあたる!」とか「味噌が薄い!」とか率直なフィードバックをかえしていた仲間たちも素晴らしいと思います。生々しい関り合いの現場がそこにありました。

こんな物語がそこかしこで生まれるから、子どもたちとのサバイバルキャンプはたまりません。次はたぶん、夏休みに開催しまっす!

サバイバルキャンプの何気ない1シーン。小学生から10代、20代、40代までが混ざってワイワイ野球をやっている。素朴で気持ちいい時間。何度も書いちゃいますが、我ら原っぱ大学スタッフの関りが自然体で本当に素晴らしいのです。

サバイバルキャンプの何気ない1シーン。小学生から10代、20代、40代までが混ざってワイワイ野球をやっている。素朴で気持ちいい時間。何度も書いちゃいますが、我ら原っぱ大学スタッフの関りが自然体で本当に素晴らしいのです。

無料で「原っぱ大学 ガクチョー塚越の「つれづれ通信」」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
「言葉で説明できない」を抱きしめる。
誰でも
遊ぶということを真剣に考え続けてきまして。
誰でも
ゲーム好きは野遊び上手、なのだ。
誰でも
いい状態をキープできる、わけがない。
誰でも
誰も、部外者でいられない。
誰でも
大学生になった息子へ(公開お手紙です)。
誰でも
45歳にしてテンパり方のお作法を学ぶ。
誰でも
親としての責任感をゆるやかに拡張してみる。